あかり

不安シェルター

かつて「ここだけが地球なんじゃないのか!?」と思うほど孤独を感じたことがあると書いた。子どもたちがまだ小さくて会話が成立しない頃…でもあれは「ココだけ地球」というよりはわたしの中の「不安シェルター」だったのかもしれないなぁ…と、ふと思ったのだ。不安の先はさらなる闇に思えたあの頃

布団に入っているのに、部分的に寒い部位があると思い出す…みたいな? わけわかんないか
でも、冬の方が孤独を感じやすいと思うのは、わたしだけだろうか?

孤独になると温まろうとするね。体のみにかかわらず、心もほっこりとしたい。なんだか急に寒さを感じたり、足先冷たくなったりね。毛布にくるまり寝てしまおうとしたり、好きな映像を見て落ち着こうとしたり、いろんな温もりを求める。そういうことなのかな、と

ひとは温かさに満たされると、かつての「孤独」を忘れてしまう。「初心」を忘れてやらかしちゃうやつだ。わたしはそういう薄情者にはなりたくないな…と常々思っているけれど、うっかりやらかすことも多々で、これまでの反省の意味でもここに残しておこうと思う


年末の忘年会や年明けの顔合わせ、呼ばれちゃいるけど「お呼びでない」気がしている最近。特にお酒の席で、やらかしてる訳では無いのに必ずと言っていいほど翌日に湧いてくる罪悪感。なんだろう?トラウマかな・・・・
およびじゃないって思うのには、多分「やりすぎ」てる感があったり、呼ばれているはずなのにあてにされてない空気だったり、コンプレックスとか仕様のなさとかそういうのものすご~く感じちゃってるんだなぁ。深読みしすぎなんだろうけど…そこまでわたしひとりに感じていないだろうし…って、そこを考えると、思うにかまってほしいんだな、きっと

時々思い出してしまう「ココだけ地球」
いま、わたしはシェルターに取り込まれているのだと思う。そんな時はシェルターに入り込んでしまったのだと思おう

今でこそ、そこまでの「ココだけ地球」に追い込まれることはないけれど、この先、子どもたちが独立して、家に寄り付かなくなるようなときが来ればまたやってくるのかな? 先のことを気にしていてもしょうがないとは思うけれど、孤独についてくる不安に飲み込まれているあの状況を知っているからこそ、ちょっとこわいのかもね。なにかいい解決法を考えないと!

取り越し苦労・・・・よくするの、わたし。これってとっても無駄なことだと思うけれど、書く人にとってはさ、そういう陰鬱な空気って時々必要だったりするんだよね。わたしだけかしら?
イメージ的にはね、明治か大正あたりの書生さん。かび臭いような畳の部屋に、それこそカビ生えてそうな書籍がい~っぱい積み重ねられていて、背の低い平机に、当時のマスの大きい原稿用紙重ねて、かいまき背負った青い顔の若者が、咳しながら薬湯とか飲んじゃって、傑作残して死んじゃうやつ…あ、だめじゃん

死んじゃダメじゃん
死んで結果を残すのはいちばんダメじゃん

あ、落ちもない
これもだめなんじゃね?

ま、いっか。不安シェルターだしな・・・・







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