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デザインの仕事を夢見て

好きなことを仕事にできるのは幸せなことですよね。今はデザインの仕事が好き!と思えるのですが、最初は好きか?と問われたら、答えに困るなぁって感じていました。

その昔、昭和の終わり頃。
高校2年の時に、キャビンアテンダントの夢を諦めて、自分は将来何がしたいんだろうってモヤモヤしていた時期がありました。そんな時に、銀座・和光のショーウィンドウを見て、雷に打たれたような⁈衝撃を受けたのを憶えている。大きなガラスの向こうで、ツンとした表情のマネキン。その周りには様々な造形物。

次の瞬間、こういう仕事がしたい!どうすればこんな仕事に就けるのだろう?と頭の中でグルグルと考えた。隣にいた叔母に、こんな仕事をするためにはどうすればいいか?って聞いてみた。のんびりとした田舎の環境で育った私の知識の中には、存在しなかったから。
それは、ディスプレイデザイナーがデザインするものだということ、デザインを勉強しなければならないことを知った。よくわからなかったが、そういうものなのだ、ということがわかった。伊豆に帰ってからも、和光のショーウィンドウが頭から離れなかった。

田舎には現在のように情報を得る術がなかった。何となく時間が過ぎてしまい、高校3年になってしまう。一応進学校だったので、大学に進学する前提で、担任との面談に臨む。
その時に初めて、デザインの仕事がしたいと言ってみた。というのは、田舎では、そんなこと言ったら笑われるのだ。何がデザインだよ!ってね。だから、親にも友達にもデザインのデの字も言ってなかったわけです。
担任は、最初は驚いたような顔をしたが、笑わなかった。それならば、美大に進学ってことだねって。美大?また初めて聞く言葉。でも、なんだかステキな響きだ。美大って何?って聞いてみたら、更に驚いた顔して私を見た。
とにかく何も知らなかったのだ。
ずっと英文科に進学するつもりでいたので、美大なんて文字は見たことがなかった。

その日から、私ののんびりとした生活は一変した。担任から得た情報では、美大に進学するためには、実技試験というものがある、もちろん学科試験もあるというのだ。他にも美大を目指している人がいるから、色々話してみたら?って言ってくれた。まずは、美術の先生のところへ相談に行けと。行ってみたら仲の良い友達が美術室にいて、みんなガシガシ何かを描いている。そんな雰囲気の中、美術の先生に、美大を受験したいと恐る恐る言ってみたら、じゃ、明日から毎日ここに来てデッサンしてねって言われたが、デッサンって何?といつものように頭に?マークが。鉛筆、ねり消しなど、必要な道具を何も持っていなかった。
異世界に迷い込んだような感覚だった。

帰り道に美大を目指している友達と話してみたら、みんな絵画教室にも通っていて、絵を描くことが好きで、さらには上手い!
私はといえば、絵なんて好きではないし、描くなんてできるわけなかった。鑑賞するのが精一杯。劣等感・・・
デザイナーになるために、好きでもない絵を描く。そんな感じだ。

いつも感じてた。
どうしてデザイナーになるのにデッサンしないといけないの?って。

あの当時の私に言いたい。
思い描くイメージを人に説明する時、カタチにするためには、どうにかして表現しなければならない。
その方法の一つが、絵を描く。手段の一つだから、他の方法でもいいわけだ。でも、適当な方法が見つからない場合は、絵を描いて説明するのがわかりやすいのだと。

上手くなくても理解してもらえたらそれでいいのだと思う。上手い方がいいに決まっているが・・・

高校3年の1年間、受験のために絵を描いた。
夏休みと冬休みは、東京の美大向けゼミにも通った。やれることは全てやり切った。
幼稚なデッサンが、少しはマシなものになって、何とか美大生になれた。絵が苦手な美大生なんている?と思うかもしれないが、私は、絵が描けない美大生でした。絵は人の絵を見ながら、真似してました。実技試験の当日も、自分の絵を引きで見るフリして、隣の人の描いている雰囲気を真似して描いてました^^;

アトリエの先生に、初めてデッサンするって言ったら、俺の真似をしろって。まずは真似してみろって。真似することはできるので、雰囲気で描いているうちに、形を捉えること、バランスを考えることなど、何となくわかってきたような気がする。

あの一年間、今では考えられないくらい勉強とデッサンに集中した。高校のある下田とアトリエのある伊東を行ったり来たり。伊豆半島・東海岸を縦断していたってことか・・・海沿いを走る伊豆急電車に揺られながら。

長くなってしまいました。読んでいただき、ありがとう。


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