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Fake,Face 14

 なおもヨシオは居酒屋の片隅で杯を重ねた。記憶の泉から、あのオーストラリア旅行の思い出を汲み取っては味わった。
 カウンターではアンゲラ・メルケルがレモンチューハイをちびちびやりながら、スルメをかじっていた。ヨシオと目が合うと、にっこり笑って軽く乾杯の仕草をした。
 ヨシオも猪口をつまんで挨拶を交わした。

 自由に旅に行けないというのは、確かにストレスが募る。しかし、通帳残高と相談すると、コロナ禍はシニアの年金生活と意外にも相性がいい面もある。何もせずに引きこもるのが何よりの予防策であり、感染を広げないための社会貢献でもあるからだ。
 それに無職なので失業する心配はないし、若者に申し訳ないが年金は確実に支給される。日本の年金基金は世界最大の機関投資家だ。
 この国で昭和という時代に生まれ、平成で現役を終えた世代は明治維新後、最も恵まれた人たちだったのかもしれない。
 まず戦争がなかった。徴兵され戦死することはなかった。
 高度経済成長の働き手として、過労死とか精神疾患などの副作用は無視できないし、震災や風水害もあったが、戦死の理不尽を被ることはなかった。太平洋戦争での日本兵の死因は、戦闘によるよりも餓死と病死が多かったとされている。
 戦災による苦しみと恐怖にも襲われなかった。
 
 マンガ雑誌やテレビのアニメを楽しみながら育ち、若いころは社会改革の 夢に酔い、働いては将来への漠然とした明るさを多かれ少なかれ共有した。                     ある意味では脳天気な時代だった。
 アナログからデジタル社会ヘの移行を同時代で体験した。これは歴史上、産業革命の目撃者に匹敵するほどの希なことかもしれない。
 アメリカ同時多発テロに始まる21世紀の閉塞感がにおい始めるころには、責任ある役割から解放されていた。新型コロナウイルスという空前の世界的混乱に立ちすんだが、身を低くして逃げ切った。
 「団塊の世代」を、将来の歴史書は「幸運の団塊世代」と記すかもしれない。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!