とりがえのないものをクイズにすること

「ウォルピスカーター」という言葉、バンド?アーティスト?を「徒花」という単語を調べていて見つけた。(他にゾンビランドサガのフランシュシュの「徒花ネクロマンシー」も発見!)

んで、

タイポグリセミアだっ!

と思ったのと同時に、時事が強い人ってこういうウォルピスカーターみたいな問題もこたえられる人だよなぁとも思った。

このように、いつのまにか現れては消え、もしくは、残り続けるような、代表例としてアーティスト名や作品名のように、人間というカテゴリ集団が無限・莫大であるがゆえに特筆性(対カテゴリ限定力)が低い、しかし、それでも確かに、ある集団の記憶に、生きた時間として残っているような物事。

とりとめもないが、かけがえのないもの。

「とりがえないもの」

とりがえないものの追っかけ方について思うところがある。

時事問の発生特性、ベタ問の発生については、クイズ強化学の正解率算出モデルの「傾向」の部分や、そもそもの基礎論の「特性学」あたりの知見を借りて分析してみると少し面白い。

通常、クイズになる事柄は、過去に発生した事実であることは言うまでもない。(あくまで、Quizology上の狭義のクイズにおいての話。広義のクイズでは、出題時点で事実が未確定である「当てもの」も存在する。)

ものごとの端から端まで体験して覚えるのは、身体と心が頼りない。そこで、通常は、ある程度評価、体系、用語的なものがまとまってから、それらに触れて、その影響を観察しながら、事実を知識として定着させていく。

歴史上の人物、有名なアニメ、文学、音楽、作家、映画などはそんな感じだ。

(余談だが、昔、フェリーニパンダさんと話す中で、作家、作曲家、クリエイターは生みの母であるならば、研究者(人文学系)というのは、育ての父といえるのではないかという思い付きを話したことがあった。こう考えると、「有名な作品」に対して「ウルトラの父とウルトラの母」フレームワークを当てはめることができ、通常見えやすい生みの母の裏に、「育ての父」の存在をあぶりだすことができる。え?母ひとりでも生み育て上げたのもいるのではと。単性生殖なのではないか。キリストを生んだマリア様のようなものだろう。ん?特に父がいなくても、皆に好まれて広まったものもあるのでは?なるほど。それは、一妻多夫制なんだろう。うん。)

いくら好きな音楽だろうと、映画だろうと、特筆性の壁にはばまれてクイズに出ない。よって、クイズで答えることもない。

クイズの楽しさを「保有知識の発露」に求める「プレゼンター的楽しさ」主義者の立場からすると、楽しくないわけであり不満も募る。(まるで、理系問が少ないと嘆く方々のように。)

とりがえのないものはクイズに出されづらいが、そこを抑えている人もいる事実を鑑みると、とりがえのないものをその身につける、その手法もきっと存在するのだろう。

そこで、大量に流れていく”とりがえのないもの”だけをクイズとする。そんなクイズ企画もまた面白そうだなぁと、新たなクイズの存在、可能性を予感するのであった。(終)

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