泣いて馬謖を切る理由

アブダクションのお話。

玉ねぎを切ると涙が出るのはなぜだろう?

それは、玉ねぎに涙を流す成分が含まれているからである。
いわゆる硫酸アリルってやつが目に沁みる。

つまり、

「(玉ねぎ)を切ると涙が出るのは、(玉ねぎ)に涙を流す成分が含まれているから。」である。


んで、とりあえず、何らかのモノ。これを仮に物体Xとしておこうか。

先ほどの観測結果を一般化すると、

(物体X)を切ると涙が出るのは、(物体X)に涙を流す成分が含まれているから。」

という世界の法則を見つけ出すことができる。

この法則を知っていれば、「(物体X)を切って涙を流す人をみかけたら、きっと(物体X)に涙を流す成分が含まれていんだなぁ」という予測がたつ。世界の解像度がひとつ上がる。


馬謖を切って諸葛亮は涙を流した。

ともすると、(馬謖)を切って涙が出たのは、(馬謖)に涙を流す成分が含まれているから。という予測がたつ。

馬謖を切った罪の意識も軽くなるのではないか。だって涙が出ちゃうんだもん。


逆のアプローチもできる。

解説が後手にまわったが、「泣いて馬謖を切る」という言葉がある。
これは、いわゆる故事成語とよばれる昔に実際にあった出来事をベースにして作られた、何かうまいことを言う言葉である。

その昔、大体、西暦200年代の前半あたりの中国で諸葛孔明という人物が活躍していた。
当時の中国は魏・呉・蜀の3つの国が覇権を争ういわゆる三國時代とよばれる時代であり、彼は蜀の天才軍師として名を馳せていた人物である。

そんな天才孔明だが、なんやかんやあって馬謖を切りました。軍のルールに背いて大敗を喫したとかなんとかだったと思う。馬謖は愛弟子であり、それはそれは悲しみが深かったそうな。

要は、大事な大事な馬謖さんを、自分の意に反して処罰しなければならない。その深い悲しみから諸葛孔明こと諸葛亮は涙を流した。
馬謖に含まれる硫酸アリルが目に沁みて、涙を流したわけではない。
馬謖さん isn't 玉ねぎ星人。
実際のところわからんけど。


話を戻そう。
泣いて馬謖を切る話から、以下のとおり、世界の法則を取り出すことができる。

(物体X)を切ると涙が出るのは、大事な(物体X)に思い入れがあり失うのが辛いから。」
(物体X)を切ると涙が出るのは、大事な(物体X)を切らざるを得ない状況下にある自分への自責の念から。」


玉ねぎを切って諸葛亮は涙を流した。

ともすると、

「(玉ねぎ)を切ると涙が出るのは、大事な(玉ねぎ)に思い入れがあり失うのが辛いから。」
「(玉ねぎ)を切ると涙が出るのは、大事な(玉ねぎ)を切らざるを得ない状況下にある自分への自責の念から。」

と推測することもできる。


「照英が玉ねぎを切って号泣している画像をください。」
「男は玉ねぎのスープを作るため玉ねぎを刻んだ。その後に自殺した。なぜ?」


悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。
抹消起源説。ジェームス=ランゲ説。体は正直もの。

人間は暑さとイライラを区別できないそうだ。
感情が先にきて、後付けで理由をさがす。イライラしたからやったという理由は一見理由になってないようで、実は本質的な理由だったりもする。

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ラマチャンドラーンのYouTube
幻肢痛の話。ファントムペイン。


ファントムペ◯◯
股間を負傷した兵士は、がもがうずくのだろうか。

無くなった右腕で、無くなった竿をしごく。
苦痛から解放されるために編み出したハンドレスオナニー。

彼にはないはずのものがみえる。
先生!見える!見えるよ!

目には映らないけれども心に映る。
そんな白い花吹雪が宙に舞うのであった。(終)

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