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近況メモ(2021/10/16):『クイズ思考の解体』等々

・来週の10月20日(水)、伊沢拓司・著『クイズ思考の解体』が、遂に全国書店にて発売開始!!
・サイン本をAmazonで予約しており、クイズ界隈マニアの自分としては、手元に届くのが待ち遠しい限りである。

・そして明日、10月17日(日)には、発売記念のオンラインイベントがZoomであるそうだ。参加申込者には、発売に先行して、一昨日あたりから書籍が届いているらしく、Twitterのハッシュタグ「クイズ思考の解体」では、続々と歓喜の声が呟かれている。いいなぁ。


・今日の日付が変わるまで申し込みは可能なようだが、90分間という時間の中で、一般人向けの読み方を解説したうえで、その残り時間で語るとなると、そう面白いやりとりが起こることはないだろうなぁ。
・......と、酸っぱいブドウだと自分に思い込ませイベントは諦めた。(書籍込みで6,000円、最初からこっちで予約すればよかった、くぅ...。)

・いやいや、気持ちを切り替えねばねらない。本命は来週の土曜日、10月23日のニコ生orシラスでの鼎談である。ここに焦点をあわせて睡眠時間を確保しておこう。
・とはいえ、土曜日までに手元に届いてくれるだろうか。ちょっと心配である。

・Twitterで「クイズ思考の解体」の検索結果を眺めていると、朝日新聞出版の「月刊ジュニアエラ11月号」なる雑誌で、「伊沢拓司さん『クイズ思考の解体』への思い」なるインタビュー記事が掲載されてることを発見!!しかも、もう書店に並んでいるとな!!

・ジュニア向けの雑誌だからガッツリした内容は書かれてないんだろうな~、とは考えたものの、待ちきれなくて購入してしまった。

・本を覗いてみれば、インタビューがほんの1ページのみ。残念、むべなるかな。
・質問は3つ。「子どもたちには、どのように読んでもらいたいか?」、「クイズを通して大人とどう関わってきたか?」、「高校生クイズ2連覇から得られたものは?」。答えが気になる方は、購入を検討されるとよいと思います。
・他の記事も、最近の社会情勢が簡潔にまとまっていて、おもしろかったです。
・ちなみに、私はカボス派です😌♨️🍶

ということで、来週が楽しみ😆
仕事にも精が出る土曜の午後である。(終)

 ◇ ◇ ◇

以下、ぐだめき。

・さて。この本、極一部の界隈では「令和クイズ界の毛沢東語録」などと、揶揄されているんだそうな。
・毛沢東語録とは、絶大な指導者が述べた金言集・思想的指針のことであり、教義のごとく修身すべき絶対的な正解である。まぁ、それにしても酷いレッテルの貼り方である......。
・おそらく「毛沢東語録」と喩えた背景としては、「影響力のある伊沢氏の言葉が聖典のごとく扱われてしまい、唯一絶対のものだと盲信した狂信者が既存のクイズを迫害し始めるのでは?」なんてことを危惧しているのだろう。


・有難いお言葉だとは思うが、当人のバランス感覚は実に成熟されており、ちゃんと言葉も尽くすはずだ。
・Quizologyでいうところの三本柱のひとつ、「多様性の尊重」である。

・今回のは叩かれ台です。これからです。という旨をご本人がツイートしており、そこからも十分なバランス感覚で丁寧に言葉を添える腕と謙虚さがあることが伺える。
・思想が一色に染まるとしても、多様性の尊重がドグマとして広まるなら何ら問題はないだろう。加えて、聡く疑い、取捨選択を自分で決めることについても、「楽しいから始まる"学び"」を信条とするクイズノックのCEOである彼なら、いつもの調子で、しつこいくらいに熱く語ってくれるはずだ。

・この言葉は、「叩かれないようにとりあえず予防線はっておこう」なんて、安直な保身では決してない。

・ことさらクイズ研究に関しては、研究の蓄積がほぼ皆無であり、研究すればするほどに、科学的であろうとするほどに、その先にある深淵が見えてくる。伊沢氏も深淵をみて、これマジで基礎固めでしかないわ、、実質的な込み入ったトピックはマジでこの先だわ、、というか基礎データだけでこんなにか、、となったのだろう。

・誰かが早とちりして、刀ではなく刀鍛冶を叩くようなトンチンカンなことをしないことを望むばかりである。叩き台で叩くべきは、人ではなく、鉄だ。クイズを楽しむ人々の手で叩き上げた一振を、見事に鍛え上げていきたいものである。
・今回の出版は、その土台を作る偉業である。思い描いたクイズの世界に、ようやっと現実が追いついてきた。感謝しかねぇ。

  ◇  ◇  ◇

・しかし、毛沢東語録とは、よく喩えたものだなぁと思う。

・「毛沢東語録」とレッテルを貼られるようなこういった状況こそが、クイズの定式化が今まで進められなかった状況を、実に顕著に示す好例と言えるだろう。
・おそらく、これと同じような話が書籍の中で触れられている筈だが、「毛沢東語録」と呼ぶのは、ある意味、大先輩から後輩へのエールなのだろう。
・当人のバランスが十分でも、本人の意志や思想は理解されず、曲解して一人歩きするものだからガンバ!ってことだろう。

・とはいえ、この界隈では、ネタじゃなくてマジで毛沢東語録だと思って目の敵にする方々が一部でいたりする。炎上して目につくたび、なんだか残念な気分にさせられるのだ。(仮想でなく、マジでいるのだ。。ブラックリストの方々が、、)

・「クイズの多様性が~」、「クイズは自由であるべきだ~」、「クイズはカルタでない~」、などと長文で宣う御方ほど、口先で消える言葉や、解読できない怪文しか残しておらず、問題を解決するための具体の技術やリソースを残していないものだ。

・というか、因果が逆なのか、そうか。
・手に余るからそんなものは止めろ、我々の楽園を枯れ果てた砂漠にするなというのは、往々にして、砂漠化を抜け出した先が見えない、つまり技術やビジョンが不足しているから反対するわけだ。
・もっというと、そもそものスタンスが違うのだろう。自分たちの楽しみを、色々といじって邪魔をするなと。たぶん、単にそういう構造なんだと思う。邪魔されたから邪魔するなという。至極、当然である。(別に邪魔しないんだけどね、、)

・超克。どこの界隈でも、分別のつかなさ、精神力の覚束なさから、同じような問題はおこる。人間だもの。
・クイズも、いずれ「道」に至るものとなるかもしれない。そんなことを思い、楽しみに待つのであった。(終)

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