クイズ❤ミリオネアッー!!(問題編)

〇2019年8月3日のツイート

むくり。おはよう、世の中。電車の音や雀のこえがするに今日は始まるみたいだけれど、ぐだめいて、洗濯機かけて、お構いなしに二度寝するのろ。今日は、クイズ♥ミリオネアッー!なぐだめき。

クイズを始めて間もない頃は、クイズを作る方って解く方に比べ少し損だな、などと思ったことがあった。クイズの楽しみの一つに「初めてふれる問題を解く楽しみ」があると思うが、作問者は面白い問題を作っても既に答えを知っている故に、それを解くことは叶わない。常にネタバレと不可避の関係にある。

しかし、実際に企画や作問を重ねるにつれ、どうやらそうではないことに気がついた。無論、作問すると新しい世界が拡がるよ!とか、作問すると作問者側の視点がわかり回答者としてもより楽しめるよ!など、そういった気付きもあるが、どうやら問題を作ることはある部分では問題を解くことと同じようなのだ。

クイズ問題はある見方では数々のパタン・制約の組み合わせであり、「作問」にはこの制約のパズルに上手く当てはまるピースを探す「こたえを探す」手順が含まれる。あれこれと考え抜き、答えを見つけた先には、折り重なるパターンの美しさを前にドーパミンどぱどぱ。作問にはそんな楽しさがあるのろ。

まだ正解がない問いを立て、色んな武器を作っては使う解くまでの過程が楽しかったり、答えを見つけたときの「君はそんな所にいたのか、見つけられなかっただけでずっとそこに居たんね」という驚き、世界が拡がる感覚が面白く、何問か難問をストックしては、隙を見て出して遊ぶのが常になっている。

んで、前段が長くなったけど、先日、ある難問のこたえを見つけ嬉しくなったので、勢いに任せぐだめくのろ。
その難問とは、『クイズミリオネアで乳首の場所あてクイズを出題するにはどうすればよいか?』という問題である。うむ、これは実に難問のろ。

そんなもんやりたきゃ勝手にやってろ!と、一見すんなりと出来そうな物に見える。しかし、実際にクイズミリオネアで乳首の場所あてクイズをやろうと試みた方は痛いほどご存じだと思うが、やろうとすると3つの大きな壁が立ち塞がってくる。「判定の即時性」「自発的判定性」「演出面からの制約」である。

(あ、洗濯。干そう)

〇2019年8月4日のツイート

ひとつめの障壁は「判定の即時性」。
原則的にクイズ行為は「出題→回答→判定(Ask→Back→Check)」のABCプロセスを含んでいて、一般的なクイズ形式では回答者が回答をしてから判定者が正誤を伝えるまでの間に、判定者サイドで正誤判定をするために時間を要する。

クイズミリオネアは、この回答から判定までの間をあえて引き伸ばすことで番組の演出に応用しており、いわゆる「みの溜め」とよばれる演出は番組にかかせないものとなっている。

一方で、乳首の場所当てクイズは、相手の胸の一点を指でつつくという回答行為の直後、正解であれば「アンッ( ビクン」、「ひゃ、くすぐったい」とか「せいかぁいっ(〃ω〃)」など即座に反応があり正解か不正解かの判定が、回答と同時にかえってくる。乳首の場所当てクイズでは、みの溜めは使えない。

このように、「回答プロセスの終了と同時に判定が自動的になされる」クイズ形式を、「判定の即時性を有するクイズ形式」とよぶのろ。この概念を導入すると、「自発的判定性」とあわせ、今流行りの謎解きの面白さの分析や、ごきぶりポーカーなどゲームデザイン全般の分析にうれしいことがあるのろ。

この、判定の即時性とみの溜めを同時に満たせない問題は、「触られても反応しないよう鍛える」といった手段で回避できる。不感症なら問題にすらならない。しかしながら、それでもなお立ち塞がるのが、二つ目の壁「自発的判定性」ある。


「自発的判定性」とは「判定者が正誤判定を行わなくても回答者が自ずと正誤をわかってしまう」という性質である。謎解き、発想系クイズ、ひっかけクイズなどを説明、分析するにうれしい概念のろ。もし、正解を悟らせないよう、たゆまぬ訓練の末に不感の境地にたどり着いても、突起の感触で悟られ得る。

この、自発的判定性の高さとみの溜めを同時に満たせない問題は「回答者の指神経を抜く」、「意思決定と回答行為の分離」、「ファイナルアンサーと宣言してからおさわりフェイズに移る」といった手段で回避できる。しかし、しかし、それでもなお立ち塞がるのが、三つ目の壁「演出面からの制約」である。

(あ、掃除機。かけよう)

(見返して気がついたが、「自発的判定性」じゃなくて、「判定の自発性」だわ、、何だ判定性って、、


〇2020年3月21日のツイート

むくり。小鳥が啼くこえで目が覚めたぜよ。まだ起きるに早いので、二度寝するためにぐだめくのろ。
たしか、クイズ❤ミリオネアが中途半端だったので、後がつっかえてるのもあるんで、ぐだめききってしまおう。それがいい。さっそく、始めるのろ。

「クイズ$ミリオネアで乳首の場所当てクイズをやるには?」問題を考えてて、前回は3つある壁のうち、「判定の即時性」と「判定の自発性」のふたつを説明したところだった、、はず。

「判定の即時性」の壁は、回答してすぐに正誤判定をしてしまう問題で、これは、触られても反応しないように鍛えることで越えれたのろ。また、「判定の自発性」の壁は、出題者が正誤判定をつたえなくても回答側で自発的に正誤がわかってしまう問題で、ニップル(着け乳首)をつけることで越えれたのろ。

これで、一応は出来なくは無いけど、最後に立ち塞がる大きな壁、それが「演出面からの制約」ぜよ。一般に企画案は様々な構成要素とその関係性の集合と捉えることができ、クイズ企画も同様に「クイズ問題」「クイズ形式」「進行手続」「参加者」「演出」といった要素を上手く調整して企画になるのろ。

今回「演出」と調整しなきゃならないのが、コンプライアンスの面から、二つあるのろ、、。先ずは、比較的小さい問題「『クイズ』ミリオネアの問題として相応しいのか?」という点。具体にみていくのろ。

もし、クイズ$ミリオネアで100万円をかけた最終問題がこんなんだったらどうだろう?

Q次のうちどれかが正解です。
 どれでしょう?
A あ B い C う D え

・・・完全に「運ゲー」である。

確かに、乳首の場所当てクイズを出せば、物凄い絵になる。クイズ史上、いや、テレビ史上歴史に残る快挙だ。しかし、果たしてこれは「クイズ」なのだろうか?

Quizology上の狭義のクイズの要件のひとつとして「回答プロセスの開始よりも前に正解が確定していること」があり、これを満たさないものは、「当て物」として広義のクイズの一部として分類している。当て物は、最終的に確率的にしか回答でき得ない。自分の力ではどうしようもできない部分を「運」というのろ。

一方で、今回の乳首の場所当てクイズを見てみると、回答時点までに事実は確定しているので当て物の定義に該当しない。しかし、回答者の回答能力に対して正答を導くことが著しく困難なものは確率的にしか回答できなくなり「当て物」と同様の振る舞いをする。これを「高難度による疑似当て物」というのろ

要するに「運ゲーじゃね?」という批判にどう説明するかの問題が残る。クイズと銘打っている以上、何かしら回答者側の方で正解を導き出せるような道筋、説明がほしいところである。知識を試す場の最終問題が、運に頼る出題でいいのだろうか?

これに対しては、使える事例が現実に存在する。日本でマヨネーズ裁判が起こったのと同様に、本家ミリオネアでも「キト裁判」がおこっていたのをご存じだろうか。世界の首都で一番標高が高い都市を問う問題で起きた不備である。

日本の場合は、統計的な根拠を元に棄却となったが、アメリカの場合は、番組参加者には予め「番組側が出す正解が正解」的な文が書かれた同意書にサインをさせ、これが元で棄却となった。さすが、契約社会の国のろ。
これと同様に「出題側が出したいものが絶対」と返すことで、避けられなくもない、、

しかし、それでも最後に最大の壁が立ち塞がる。それは、「そもそも、地上波で乳首の場所当てクイズをやるのが許されるのか?」という放送倫理上の問題である。正解!おめでとう!さらけだされる司会者の乳首!大喝采!!アホかッ!!そんなのBPOが許すか!子供が真似するわっ!はい、アウトー、、

しかし・・・!我々はやりたい!
地上波で、学園祭でも個人企画でもいい!何よりも乳首の場所当てクイズはエモい!エモいじゃないか!指が触れるかどうかのあの一瞬、それを贅沢にも「みの溜め」で焦らされる。そんな絵を見てみたい!!あぁ、どうすればよいのだっ!?

大きな壁が幾重にも立ち塞がる。
「回答者に触られても正誤を悟られず」かつ「クイズとして運ゲーではない納得した答えを示すことができ」かつ「放送倫理的にも問題ZERO」。そんなクイズでさえあれば、あれば出来るのに!くぅ・・・。

ふと、大学時代の恩師のことばが甦る。
「正しく問題を認識できていれば、その問題は殆ど解決したようなものだ。」


そうか、単に、
 「回答者に正誤を悟られず」
 「運でない納得いく正解であり」
 「放送倫理的に問題ない」

ようにすれば、いいだけぜよ!

ふぅ、終わったのろ。スッキリ!
とりあえず、問題編はここまで。一区切り。解答編は、また眠れないときにいつか。長文駄文失礼しました。でゎでゎ!(終)


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