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分ける、痛む、作る

人に優しくありたいと思ってそうな人からもらった仕事のせいでここのところ寝不足になってる。彼の持つ人に対して優しい自分でありたい意志はそこそこ強いと思っている。それなのに私の睡眠時間が削られる理由を優しくするという観点から考えた。

パン1つ食べたい私とパンを1つ食べたい相手がいるとする。パンの数に応じて優しさについて考える。

2つのパン

私は2つのパンを持っている。1つのパンを相手に渡すことで私と相手は喜ぶ。分けることがここでは優しさになる。私は分けることが人のためになることを知っていることで人に分けることができる。私は人の喜びを自分のもののように感じることができる。だから、相手に私のパンを1つ分ける。私は1つパンを食べる。

1つのパン

私は1つのパンを持っている。1つのパンを相手に渡すことで相手は喜ぶ。私は悲しい。私はパンを食べられずに空腹を感じる。体の力はなくなる。少し苛立つ感覚すらある。だけど、パンを分けてもらった相手は喜ぶ。ありがとうとお辞儀する相手が喜んでくれて嬉しいと私は感じる。私は自分の苦しみを感じながらも相手の喜びを自分のものかのように感じる。苦しみも無駄じゃなかったと思う。与える人としての自分を感じる。

パンがない

私は1つもパンを持っていない。相手に優しさを向けることができない。考えた挙句、パンを作ることにした。パンの作り方を調べた。材料を走り回って探した。何とかしてパンを作れた。相手も私もパンを食べた。

言い訳

もし優しさが実現されなかった時にどんな言い訳をするのか。パンが2つさえあれば私は分けていたというのか。パンが1つさえあれば私は痛みながらパンを与えられたというのか。私に作る力があればパンを食べさせることができたというのか。

独りよがりの優しさと無能さ

パワハラだの多様性だの相手を受容し喜ばせることをよしてしている。裏返せばできない自分の否定からの逃避になる。私はこのままでいい、社会とのズレを解消する手段の模索は放棄する。しかし、社会による恩恵は受けたい。あなたは私に優しくして欲しい。私もあなたに優しくしたい。みんな平和でいたい。けれど、今の自分は否定しないで欲しい。

分ける優しさは詰まるところどこかからの搾取だ。痛む優しさは持続可能ではない。私がいなくなれば優しさは生まれない。誰からも奪わずに誰かに何か与えるためには作るしかない。本当に作るしかない。

作るには力がいる。そのために無能を受け入れるしかない。私の気持ちの赴くままにしたいことだけして能力を得られて人に優しくできると勘違いするのはやめて欲しい。

あなたが目の前にいる人に優しくできない時、それはあなたの能力がないことに起因する。

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