自分が思うだろうことと思わないであろうこと

生まれたところとは違うところに住んで10年くらい立つ。車で30分も経てば帰られるところに住んでいる。数週間前に車で行ったら、校区の関係で渡ってはいけない橋の上に婆さんが立ってた。遠くから見てもわかるくらい目線は遠く口はパクパクと動いてた。表情全体に力が入っていた。自転車が隣にあったから近所には住んでいないのだと思う。

朝起きて、今日もあの橋に行こうと家を出るんだろう。今日もあの場所で言ってやると意気込んでる。あるいは、家でテレビを見ていたけど何かむしゃくしゃすることがあっていても立ってもいられなくなって自転車にまたがって橋の上に来るんだろう。向かいから人が歩いてきたら怪しまれることに気がいって目線を下にしたり他の方向にそらすかもしれない。頭の中のモヤモヤが大きいと隠す気すら起こらない時もあると思う。

街中にいるブツブツ言ってる人に自分はなり得ると思う。なんとなくそう思う。その反対にGUCCIと書かれたTシャツを日サロで焼いた肌の上に着ることはあり得ないと思う。なんとなくそう思う。

可愛い顔した友達は整形をしたかったと言っていた。自分は全く思わない。自分の顔が良いものだとは思わない。悪いとも思わない。というか、そんなに興味がない。学生時代の先輩は車を買ったり家を買ったりで大忙しだ。車は便利だと思うし、今住んでる家は古くて床が抜けそうだけど、それでも興味がない。何が楽しくてそんなことに金と時間を使ってるんだろうと思う。

金子みすずよろしく、人と人が違うなんて当たり前のことになってるのに心のどこかでは相手も人なんだから同じように考えだろうと思ってる。槇原敬之よろしく、育ってきた環境が違うのだから多少の違いはあれど私たちは人なんだと思っていた。思っていたい。

それでも驚くほど違う。私が欲しいものを欲しない人がいて、私が欲してるものが要らない人がいる。なんてことだと思う。

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