やりたいことが分からなくなったときの対処法

好きなことをする、ということが分からなくなってしまった時期があります。やらされ仕事ばかりに時間と精神を注ぎ込み続け、その果てには出せるエネルギーを出し切ってしまった空っぽの自分だけが残りました。自分が好きなことも忘れてしまい、たぶんそれが分かってもそのために動くだけのエネルギーはなかったでしょう。今回はそんな時期に考えたことの一つをまとめたものです。

さて、私はいつの頃からか(たぶん大学で産業連関表を扱うようになってから)「大きなデータ」を扱うことにワクワク感を持つようになりました。「大きなデータ」といっても抽象的ですが、一つの目安として一人で手入力するのがしんどいくらいの量のデータです。だから、ネット上のどこかで公開されているデータベースから抽出してきたデータを想像していただければ良いでしょう。産業連関表もそういったデータの一つです。

何年分もの営業の記録を保存している、というようなデータベース的な使い方をしているのでなければ、普通のExcelファイルなら10MBくらいがせいぜいでしょう。データと言っても手打ちでどうにかなる程度ではないでしょうか。ところが、その頃から私が扱うようになったデータは多いときだと100MBを越え、複数のファイルに分けないと処理しきれないようなこともありました。

なぜそこまで大量のデータを扱うことにどっぷり浸かることになったのか、長らく自分でも謎でした。それが仕事だったから、ということは事実ですが、あまり苦にもならずに取り組んでいたのです。言われなくても扱いを楽にするための工夫をいろいろやっていました。

一つ理由として思い付いたことは、データに物を言わせることで、客観的な視点から見るべきモノを精査することができるということです。「なんとなく体重が増えている」と言うよりも、日々の体重やその他に関連しそうなものごとのデータを取って分析したり可視化してしたりしてみることで、体重の増減に対して影響していることが何なのかが見えてくることがあります。このように目の前の事象だけを見ているよりも、データから言えることはいろいろあります。産業連関表というまとまった量のデータを扱ったことで、産業同士の結び付きの中でどのようにして付加価値を形成していったのかが見えることはとても楽しい作業でした。時系列のように時間で結び付いているとか機械学習に用いられるような数学的に結び付ける形で整理されているデータを解析することで見えてくるものがあるのは確かです。そういうところに魅力を感じていたのかもしれません。

そのように考えてみて、どうも感覚的に考えている仮説に対して必要なデータを揃えて分析してみて答え合わせをしたときのワクワク感が好きらしいことが分かってきました。なぜだか分からなかったけど、それが好きだったことは確かだったのです。

そして、扱うデータの量が多くなり、Excelでは手狭になると、それを乗り越えるためにプログラミングやデータベースといった分野に新たな道具を求め、自分のスキルを拡張してきたところがあります。やらされてやっていたことでは、余程の精神力がなければなかなかそこまでできないと思います。

好きなモノこそ上手なれ、好きなことだけ徹底してやれ、と言われますが、好きなことだからこそ自分のスキルが深まっていくところもあるように思います。難しいといって回れ右してしまうようであれば、そのまま別の領域に自分の新たな道を求めるのも良いのかもしれません。無理に山を登ってみても、その先の道のりが本人にとって幸せかどうかは分かりません。好きなことで困難に立ち向かっているときは無理をしているとは思わないものです。その先にもっと楽しいことが待っているという気持ちでいっぱいになり、多少の睡眠不足もものともせず突き進むことができるのです。

そういうことの見極めは、好きかどうかということが大事ですが、それにあたって見極めるべきことは「なんとなく惹かれるものがあるかどうか」という感覚的なところなのでしょう。頭で考えるよりも、思い付いたことを手掛けてみて、そのまま続くようであれば、きっと当たり、ということで良いのかもしれません。

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