どうして喜んで欲しいのか、そのために与えるのかについて


喜んで欲しい
それに「感謝して欲しい」
という思いが重くのしかかると

どんどん苦しくなってくることはないだろうか

純粋に
喜んで欲しいと思う時はよかった

なのに
感謝して欲しい、欲しい、欲しい
感謝を求めるほどに苦しくなっていく

なんのために喜ばせたいのか
それは本当にその人のため?

自分が相手を喜ばすことで
感謝されることで
「自分は人から感謝される人間だから、存在していい」
という肯定の材料に、使っていないだろうか

相手のことをダシにして
自分を肯定させようとしてないだろうか

そういう見えない下心って
案外プンプン臭ってたりして

そういう下心あると
逆に素直にありがとうと言いたくなくなる

人間って馬鹿じゃないからね

なんで、そんなに
相手からの感謝が欲しいのか
喜ばせたいのか

今一度、自分と向き合って考えたらいいのではないかな

自分は、何に価値を置いているの?
人からの評価なしには、存在してはいけない?

決めているのは、結局自分だから
そのズレが苦しいものなら、変えたらいいだけなんだよね

と言ってもなかなかすぐ変わらないけど

世界は自分が作っているからね
その思い込みの檻から、出るだけなんだよね

簡単と思えば、簡単

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