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【16タイプ】真逆のタイプの相手との“相性”って結局良いのか悪いのか?

真逆のタイプ

16タイプ分類においては、真逆のタイプというのが存在します。
INTJにとってのESFPがこれにあたります。
つまり「I⇔E・S⇔N・F⇔T・J⇔P」が全部逆になる相手、のことですね。

あるいは「自分の劣等機能を主機能に持つ相手」と言うこともできます。
要するに自分がいちばん使いにくい能力を、いちばん得意な能力として使っている相手です。

さてこの相手との相性は果たして良いのか悪いのか。という話。

大前提として、ソシオニクスという学問において、この真逆のタイプ相手は「双対関係」と言われ、要するに最高の相性と言われています。
良いか悪いか論じるまでもなく、通説では「相性は良い」とされているわけですね。

ただ、twitterなんかを見ていると、真逆のタイプの相手に対して、良い印象を受けている人も逆に悪い印象を持つ人も見かけます。
素直に肯定している人、受け入れている人、避けている人、ボロクソに言ってる人、けっこうさまざま。
自分自身の経験からしても、真逆のタイプの相手と、うまくいっていた時期もそうでない時期も両方あるんですよね。

このことに関して、けっこうモヤってました。
「ソシオニクスが絶対正しい」
あるいは
「結局のところタイプ間に相性なんて存在しない。その人の性格に依る」
という当然の結論以外のところで、このモヤモヤをどうにかスッキリさせる理屈ってないものかなーと考えをこねくり回して、辿り着いた仮説が今回の記事になります。
それは、

真逆のタイプの相手とは、
「自分が保存期のときには相性が悪いし、自分が成長期のときには相性が良い」

というものです。

保存期と成長期のサイクル

平たく言うと、
「そのときの自分の状態によって、相手との相性って変化するんじゃないか?」
ということです。

誰しも人生の中で、「今のままでいいと思っている時期」と「変わりたいと思っている時期」ってありますよね?
それなりに上手くいっていて、そこそこ自信があって、このままの自分を保存しておきたい時期。
逆に上手くいかなくなって、大きな葛藤に直面して、今の自分をリセットして新しい自分になりたい時期。

これらは人生の中で交互に訪れます。
どちらかの時期が永久に続くことはありません。
実際にはサイン波のようにアナログなものだとは思いますが、ここでは便宜上、ざっくりデジタルに二分割して考えることにします。

前者を「保存期」、後者を「成長期」と仮に呼称したいと思います(完全に造語です)。

保存期=相性が悪い

保存期とは何かというと、
自分の現在の内部秩序を乱したくない、と考えている時期ですね。
今のままでいたい。今のままで充分。オールオッケー。
自分の主機能に自信があって、主機能が大好きな時期です。

で、この状態のときは、自分の劣等機能に対して抑止的になります。
よほどのことがないかぎり、使ってはいけない。使うべきではない。と感じる。
なぜなら、主機能に対するツッコミである劣等機能を使ってしまうと、主機能によって作り上げた現在の内部秩序が崩壊してしまうからです。
要は自分の心の中で「解散総選挙」のようなことが起きてリセットされてしまわないよう「守り」に入っています。

保存期とはこういう状態なので、まさにその劣等機能を主機能として使っている真逆のタイプの相手とは、そもそもなかなか巡り会いません。無意識に避けてしまうのでしょう。
劣等機能なんかなくても自分は充分うまくやれている! と自負しているので、その劣等機能にあたるものを無遠慮に使われるとうっとうしく感じるし、押し付けられると嫌悪感さえ覚えます。

たとえば静かで落ち着いた空間が好きなNiは、始終ガヤガヤ賑やかなSeを避けようとするし、逆もまた然り、腹を割った直截的なコミュニケーションが好きなSeは、いっさい腹の内を見せようとしないNiを避けようとします。

些細な矛盾や違和感を放っておけずハッキリ区別したいTiは、そこを無視して均そうとするFeを避けようとするし、調和やまとまりを大事にしたいFeは、まとまらずにはみ出そうとするTiを避けようとします。

ポイントは、システム上、劣等機能が主機能に対するツッコミ(要は否定)であるという点。そして主機能がツッコまれる(おびやかされる)ことに対して「ちょっとした危機感・恐怖心のようなもの」を抱くという点にあると個人的には思っています。

「保存期=相性が悪い」と書きましたが、一緒にいると反発し合う、というニュアンスではなく、どちらかといえばお互い避けようとしたり脅威に感じてしまうことによって、そもそも関係が開始されない、というようなニュアンスですね。

成長期=相性が良い

いっぽう、成長期とは何かというと、
現在の自分を壊して、変わろうとしている時期です。
俗に言う「吹っ切れた」みたいな状態。
たとえば、大きな挫折を味わったり、成功しても失うものが大きくて虚無感を覚えたり、失恋や離婚など人生に関わる大きなイベントや転機を経験したときなど。
つまり、主機能だけでは限界があったとき。どうにもならなかったとき。

もはやこれまでの自分に甘んじることはできずに、変化を余儀なくされますよね。
ここに至って、自分の内部秩序が乱されることにもはや抵抗感はありません。むしろ積極的にぶっ壊したいのです。「解散総選挙」はむしろウェルカムです。
自分の劣等機能に対する、受け入れ体勢が整っているわけですね。

こうなると、急に真逆のタイプが視界に入ってくるようになります。
これまで避けていた相手と、翻って惹かれ合うようになります。

落ち着いた物腰でほとんど本心を語らないNiが吹っ切れて、大勢で盛り上がるイベントや集まりに積極的に参加してはっちゃけることによって、そこにいたSeに「おや?」「こいつ、なんかあるな……?」と思われます。

自分の価値観を大事にし、相手に意見することなく生きてきたFiが吹っ切れて、自分の身の回りの物事をバンバン決断し、率先して周囲を引っ張っていこうとする姿を見たTeが「おや?」「なんかよくわからんけど魅力的……」と感じます。

そしてこの時期に出会った真逆のタイプの相手から受けた影響や得られたものは、のちの人生にとって代えがたい財産になります。
逆に言うと、このタイミングで真逆のタイプの相手と出会えたならば、自身の変化を受け入れて健全な状態のまま前へ進むことができるのだと思います。

「成長期=相性が良い」と書きましたが、それは憧れとかお互いに尊敬し合えるといったニュアンスではなく、自分に欠如していたものを与えてくれる、自分の成長を肯定してくれる、というニュアンスに近いと思います。

まとめ

まとめると、
保存期のときには、真逆のタイプとは、そもそも知り合わない。お互い視界に入らない。意識的にか、無意識的にか、避ける。
成長期のときには、真逆のタイプと、巡り会う。急に視界に入るようになるし、声をかけられることもある。意識的にか無意識的にか、求める。

真逆のタイプの相手と合うとき・合わないときがあって、それは今の自分が自分を守ろうとしている時期なのか、変わろうとしている時期なのかでスイッチする、というメカニズムですね。
人生のサイクルの中で、なんとなくイヤな印象を持ったり、ときには衝突したり、かと思えば急に好印象を持ったり、多大な影響を受けたりする。いずれにせよ、それは間違いではなく、すべての感情が正解だと思うのです。

一応、周囲の何人かで確認を取ってみたところ、「まあそうかもしれないね」という裏付け(?)が取れたので、それなりにあり得る仮説かもしれないです。
この仮説を採用すれば、真逆のタイプに好意的な人も悪意的な人も、どっちのパターンにも矛盾なく対応できるので汎用性高いですヨ!

私見ですが、ソシオニクスはどちらかといえば成長期っぽい状態をベースにしていて、MBTIは保存期っぽい状態をベースにしているな、と感じました。

以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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