ビッグ・リトル・ファーム

だいたい映画を観に行く時、新宿まで出なきゃいけない時、どうせならと2本、多くて3本映画を見るようにしてて、グザヴィエ・ドランの新作と併せてみる映画を探していた。ドランの新作と同じ劇場でしてる、filmarkでやけに評価が高いことから、正直そこまで期待せずに観たこの「ビッグ・リトル・ファーム」がむちゃくちゃよかったので感想を


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アメリカで愛犬の鳴き声が原因で住居を転々とする夫婦。兼ねてから、妻の夢であった農業をすれば、広い土地で暮らせば、愛犬と共に暮らせる。そんなことから農業を始め、やがてアメリカの大地に一つの「生態系」を作りあげる夫婦のドキュメンタリー

まぁ、前置きから分かるように、傑作です。はい、観ましょう。

この作品にネタバレもクソないと思うので、思うがまま書きます

監督、脚本、撮影監督を今作の主役ジョン・チェスターさんが担っているのだけど。彼はもともと、映画の撮影監督をしていて、まさに、アニマルプラネットに携わっていてようで、ちょくちょくアニマルプラネットを彷彿とさせる動物のハンティング映像みたいなのがあったり、生き物がすごく美しく撮影されている。

夫婦はアラン・ヨークという農業のアドバイザーと共に農業を始める。初めはできっこないと言われ、馬鹿にされた。だけど強い意志を持って行動し続ける。まずとにかく、施設を作り、あらゆる動物を集める。そして彼らの排泄物が肥料となり、彼らの生活が農業を作る。こういう自然の摂理的なものがそもそも好きなんだな私は。そして、あらゆる困難が彼らを襲うも、なんとか乗り切る。困難の乗り切り方っていうのが、だいたい新しく機材を投入したり、すごいアイデアがあるわけでもない。そこがすごくグッときた。もう俺たちには物事を解決する準備はできてる。灯台下暗しなんだと。コヨーテが鶏を食べあらす、水質が悪くなりカモが死ぬ。カタツムリの大量発生、穴ネズミにる植物の被害。コヨーテが穴ネズミを食べ、カモがカタツムリを食べる。被害、困難がそれぞれ結びつく快感。これは漫画を考えていて、使うつもりのなかったアイデアがある日突然別のアイデアと結びつき一つの物語を作り出す感覚に似てる。もっと、日常的なたとえでいうと、ミートソースが余っていて、冷やご飯がある。これを組み合わせたらドリアっぽっくなるんでは?みたいな。クリエイティビティによるエクスタシーとでも言おうか。

いい言葉も多い。「やり直す時間は常にある」「多様性は全てがリンクする」「いずれ帳尻が合う」「困難が夢に現実味を出す」「心地よい不調和」若干間違ってるかもだけど、農業という年単位で結果が出て、成長を感じられるものは、気長に結果を出すしかない。

でも、この映画で行き着いてしまうのが、人間は必要なのか?という問題。人間が作物を収穫する、その行動?目的?が邪魔だよなと。人間が関与しなければ、鳥に食べられた実も、虫が集り、その虫を食べる何か、それを食べる何かって、連鎖していけば意味が生まれるのに。というか人間が都合いいように区画したりすることがそもそも良くないって展開が多くて、人間として生きていることが嫌になる瞬間は多かった。まぁ、これは私が長年これについて考えてきたのが関係してるのかもだけど

もしかすると、アランが何を根拠に色々いっていたのか?とか、アランと出会わなければあんなことになってないだろうとか、予算が思ったよりあるなぁとか、出来すぎた話のように思わなくもない。ただ、この映画はストーリーがどうのって映画じゃない。一つの農場の成長を人生の縮図として、自分の人生に照らし合わせることに意味があると思う。

あらゆるものは本質的につながっている。だから俺は、できるだけ意味、無意味は考えないようにしてる。漫画なんて意味を考えだすとかけない。もっというと、生きること自体意味はないと俺は考えてる。それはさておき、大事なのは、一見無駄に思えることに意味を持たせられる人生を送ること。

なんかこう、文章を書いてて思うのは、自分が常々考えてきたことが、実際に成功体験として提示されてるのが、すごく嬉しかったし、間違ってないんやと思えたから、こんなに興奮しているのかもしれない。

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