映画「コーダあいのうた」の感動と手話

はじめに私は手話は全くわからない
だからこそなのか
映画「コーダあいのうた」には本当に感動した

まずは映画についての感想
内容落としては
漁師の家族を持つ少女ルビーは歌の才能があった
しかし彼女の家族は聾者であった
彼女は挑戦したいが
家族には私という耳が必要でと
葛藤する物語

予告編の段階で泣いたのだよ
きっと最初は反対していた家族が
ルビーを受け入れていくのだろうことが想像ついたし
家族が発表会にくるシーンがあったから
もうこれはなくやんと思ったから
泣くために見に行った

蓋を開けると
僕の想像の号泣なんて序の口で
そこからのボディブローが
すごすぎて滝のように涙が流れた

ここからはネタバレになるのでご注意を

序盤は全然予想う通りの
家族と対立しながら挑む
発表会のシーン
ここで家族は彼女の才能がわからない
そしてやがて映画のすべての音がなくなる
まるで家族と同じ状況のように
そしてやがて、周りの観客が泣いているのがわかる
ルビーの歌声に感動したのだ
この演出がよくてすげーと思った

そこで感動したーふーと気を抜いていたら
家に帰った主人公に父がこう言う
もう一度歌ってくれ
そして、トラックの荷台に座って
ルビーは父に向かって歌う
それまで、父は聞こえないからこそ
如何しようも無い無理解状態だった
そんな父が彼女の才能に向き合おうとする
そして恐ろしいシーン
歌うルビーの首に手を当てて
歌を感じようとするこれはやばい
映画館であかっm!!って声出そうになった
ルビーの首を触るのは娘に能動的に理解しようとしている点
そして、彼ら聾者において、手とは我々が考えられないほど
重要な意味をお持つ部分
それで彼女を感じようとする
こういう無理解(この映画においては仕方ないとも言えるのだが)が
能動的理解に変わるシーンで号泣する私にとって
過去最高のシーンとなる

そのほかにも
素晴らしいシーンはいうつもあるのだが
書いてられないので割愛するが

その後
ルビーは音大のオーディションへ参加する
その際上手く歌えないのだが
彼女の家族が客席に来たことで
本領を発揮する
そして自然と家族のために歌いながら手話をする
これがやばいですよね

それまで官女は
どちらかというと家族に伝えるということをしてなかった
ただわかってよと受動的だったのが
手話を持って伝えることに能動的になる

こういう変化に泣きますよね


さてここで冒頭申し上げた
手話の話に戻るのですが
改めていうと私は手話はわかりません

ただ、このコーダという映画を見るまでは
手話とはただの伝達方法でしかないと思っていたのです
なんなら普通の言葉さえも、声さえんも伝達の記号程度にしか思っていなかったのです
本当に恥ずかしいです

ルビーの家族たちはみな
言葉を発していないとは思えないほどに
手話で豊かな表現をします
ユニークでエモーショナルで
その言葉一つ一つに感想できるくらい
ルビーのお兄さんがルビーに
自分を犠牲にするなと伝えるシーン
表情と身振りで今まで見てきた演技ってなんなんだろうと
思えるほどに衝撃と感動があった

この映画は物語的にアクション要素はないけど
この手話というのが何より雄弁はアクションなのだと気付いた
最近映画における身体性について考えていた
ジャックタチのパントマイムや
チャップリンのユニークなアクション
映画に必要なアクションとは
戦ったり、カーアクションだけじゃないんじゃないか
その問いの答えが出た気がした

あ、急にいうことわからんなった
なのでとりあえずここで終わり!!
また加筆があればします
コーダ あいのうたは
まじで傑作です


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