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酔っぱらって思い出した昔のはなし

クラッカークラッカー、もしもし、クラッカー。
上に乗せるのはサワークリームとスモーク鴨。
びじょん。びじょん。びじょん。びじょん。
良いアイディアだと思ったんだけどなぁ。
ない、ない、私のスマホがない。
そうゆうるポタージュ。
ルポタージュ。
る、る、るポタージュ。るるるの神話。お姉ちゃん。
奄美の家。その断片、道路、トタン屋根、猫。猫猫猫。
あじさい。路地裏の超小さいやつ、家と家のあいだの50㎝幅くらいの道。
道って言っていいのあれ?くらいの道。コンクリート。
コンクリート上に猫の足跡の模様。猫の名前はテリー。
テリーは白い長毛の猫。当然、オッドアイ。
そこを通って裏のおばあちゃんに会いに行く、名前は里ツヲさん、
お姉ちゃんと会いに行く。
まだ覚えてるよ。おばあちゃんが死んでも、死なないで、まだ死なないで。
里ツヲさんは103歳くらいまで生きた。
私が今の私の子供くらいの年齢だったときで、里ツヲさんはもう92歳くらいだった。
ツヲさんは毎朝小さい鏡台の前で髪を梳く、長い長い白い髪。女の髪。椿油。「コオヒィ イレタノデ ノンデネ」里さんは今思えば多分デイサービスみたいなところに行っていたんではないか。毎日くらい里さんのおうちに姉と二人で遊びに行っていたけど、(そして里さんもそのことを喜んでくれていたので、親もあまり強く私たちを止めることはなかった)、何日かに一度留守の日があった。そんな日も里さんは、私たちのために(勝手に家にあがれるように)鍵を開けてくれていた。そして机の上にはメモ。
私はそれを読んで(てことは小一以上か)「コオヒィだって」と笑ったけど、涙もろい姉は泣いていた。「ツヲさんは、昔のひとだから、コーヒーって分からないんだよ、そうだよね、それだったらコオヒィって思っちゃうよね。なのに一生懸命字を勉強して私たちにこの手紙を書いてくれたと思うと涙がでる」と。
そんなに上手に言語化で来ていたかは分からないけれど。
小学生でそれが心の琴線に触れることが、姉のすごいところだと思う、今となっては。でも当時はそんなこと分からなくて、なんで泣くんだろ?姉はこんなことで。そう思っていた。

ツヲさんは長い長い髪を三つ編みにする。結い上げる。きっちりと詰まったお団子に。
里ツヲさんちのトイレはすごくすごく狭い。
きっと、すごくすごく古い家だから、昔の人の身長に合わせて作られているのだろう。特に南方の人は低身長だから。
だから私と姉は、里さんのおうちでおしっこするときは、少しドアを開けていた。
開けないと当たるのだ。足がドアに。

茶色い煮物。煮干しがよくそのまま入っていた。
味はそんなに子供の好みではなかったけれど、食べたほうが喜ぶって分かっていたから、食べた。90を過ぎたお年寄りが私たちのために作った料理を、残すなんてできない。
私は、私と姉は、あの頃隣近所みんなの孫だったんだな。

今では私たち姉妹以外、当然全員鬼籍だ。当時でもう平均年齢70~80歳だったのだから。
姉はセンチメンタルな人なので、たまに昔の話をすると、涙ぐむ。
姉が涙もろいのは、昔も今も変わってない。

私は、足し算、足し算、足し算の人だね。引き算は得意じゃないね。

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