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「栃木の風土」食文化編

海なし県の栃木県ですが、実は意外にも豊潤な食文化を持つ地域。それも地方ごとに様々な名産がある、というのも面白い。ということで主に『大学的栃木ガイド』に基づき以下紹介。

⒈市職員の気づきから生まれたご当地グルメ「宇都宮餃子」

宇都宮市が、宇都宮市に抱くイメージを全国調査したところ、圧倒的だったのが「餃子のまち」だということ。

餃子通りにある「悟空」の肉餃子&ジャンボ餃子(2024年10月撮影)

宇都宮という街は、戊辰戦争・太平洋戦争の大空襲、と2度に渡り、街が全焼する悲劇を味わった街で歴史的建造物などはほとんど残っていない新しい街(篠原家旧宅と松が峰教会などは一部残存)。

篠原家旧宅(同上)

そんな宇都宮にあって唯一観光として成り立っていたのが大谷石の採掘場。巨大な採掘跡が観光名所として多くの観光客を引き寄せていたのですが、その大谷石の採掘場で1989-1990年に頻発に陥没事故が起きてしまい、観光客が激減。

大谷石採掘場(2008年撮影)

困った宇都宮市は、新たな観光資源を探す中、宇都宮市広報課の塚田哲夫氏含む4名のグループが、当時総務省(旧総務庁)の家計調査において、餃子の1世帯あたりの購入量が全国一であることを報じる雑誌を発見。

喜多方ラーメンや佐野ラーメンはじめ、グルメブームだった当時、宇都宮といえば「グルメは何」と言った時に「餃子」とすることはできないか、と考えたのです。この動きに目をつけた毎日新聞が「宇都宮、餃子で町おこし」なる記事を特集。宇都宮市も喜多方市や佐野市のご当地ラーメン活動を参考に、地元の餃子店と連携し宇都宮餃子会なる組織を発足。

そんな宇都宮餃子が全国区になったのは、山田邦子の番組、テレビ東京「おまかせ!山田商会」で宇都宮餃子を何度も取り上げてくれたから。

宇都宮駅西口にある大谷石で作った「餃子像」は、この番組がきっかけで作成されたそう。山田邦子が番組中「餃子の皮で包まれたヴィーナスなんてあったら面白いじゃない」と発言したことがきっかけとのこと。

実はこの餃子像、2008年に東口から西口に移動したそうなのですがその際にポッキリ二つに割れてしまったのですが修復されて今もちゃんと西口にドカンと立ってます。

もともと宇都宮市は、満州を主戦場にしていた旧日本陸軍第14師団の本拠地で、満州に駐留していた兵士たちが餃子を食べる文化を宇都宮市に持ち込んだと言われています。満州ほどではないにしろ、内陸気候で寒暖の差が激しく、夏暑く冬寒いという厳しい気候条件も餃子が好まれた理由。

餃子の材料となる小麦(日清製粉宇都宮工場)のほか、豚肉・ニラ・白菜の産地も近郊にあって餃子が普及する条件は整っており、戦後多くの餃子の名店(蘭鈴、みんみん、正嗣、輝楽、香蘭など)が誕生。

宇都宮餃子の代表格とも言える「みんみん」の本店は、みんみんの創業者である鹿妻三子氏が、当建物の2階にあった「宮島料理学園」に通っており、その縁で1階の空き店舗を借りて1958年創業したという経緯。鹿妻氏は戦時中に鉄道省職員だった夫ら家族と北京で在住の頃、現地中国人の女中から北京の餃子を教わったとのこと。

ちなみに「みんみん」の餃子がニンニク臭くないのは、ランチとして提供する餃子としてニンニクの匂いをなんとか抑えららえないか、店を継いだ創業者の娘とその旦那(伊藤信夫氏)が数年がかりで開発したからだという。

⒉なぜ栃木は「いちご王国」になったのか?

栃木県といえば、やはり外せないのは「いちご」ですが、実はいちごも餃子同様、そんなに歴史は古くありません。

栃木県のいちご王国のルーツは、戦後日本では麦類の統制廃止や大麻価格の下落などを背景に、御厨町(今の足利市の一部)での仁井田一郎を中心とするいちご組合の結成(1952年)によるイチゴ栽培。

イチゴ生産量県内随一の真岡市いちご畑

栃木県がいちご王国になったきっかけは、御厨町(現栃木市)の農業技術研究家、仁井田一郎だと言われている。そもそも栃木県で本格的にイチゴが栽培される様になったのは、戦後のことで、それまでは温暖な気候の神奈川県や静岡県が主な産地だった。そうした中、仁井田は栃木県から自転車に乗って神奈川県まで行き、栽培農家を視察する。その努力はやがて身を結び、昭和30年代前半には足利産のイチゴを東京に出荷できるようになった。

『栃木地理・地名・地図の謎』141頁

そして1955年以降、水稲の裏作として一気にイチゴ栽培が普及し、1960年代には現在とほぼ同じ600Haの栽培面積に。

真岡市役所前の看板

特に栃木のイチゴが注目されたのは、クリスマスケーキの需要などに応えた年内出荷の実現で、これは栃木県の農業試験場で1985年開発された「女峰」という品種から。

栃木県庁の展望台にある掲示板

ところがバブル時代に販売金額ランキングで福岡県の後塵を拝した栃木県は、現在の主力品種「とちおとめ」を開発し日本一を奪還。その後、白いいちご「ミルキーベリー」や高級いちご「スカイベリー」などの品種を継続的に開発するなど、いちご王国の座を死守しているのが現在の栃木県。

日光金谷ホテル:メインダイニングのデザート

⒊海なし県の豊かな養殖文化「チョウザメ」

那珂川町では、かつて「温泉トラフグ」という美味なる養殖とらふぐがあって、那珂川町で湧き出ていた温泉の一部が塩分を含んでいたためにこの温泉水を活用して魚の養殖はできないか、地元の方が数年かけてトライし、出荷にまでこぎつけたといいます。ところが残念ながら今は養殖業者の撤退によりなくなってしまいました。

ただし、温泉トラフグの他にも、興味深い養殖があり、特に驚いたのはキャビアの親であるチョウザメの養殖。

那珂川町馬頭温泉のいさみ館という温泉旅館に宿泊したら、なんと夕食にチョウザメの刺身が登場。

チョウザメとイタダキマスの刺身

この刺身が意外に上品な白身でこれが非常に美味。旅館によると地元の県立馬頭高校には、珍しい淡水魚を対象とする水産科があってここでチョウザメを養殖しているというのです。

馬頭高校ではチョウザメの卵「キャビア」もちゃんと出荷していてちょっとびっくりです。

栃木県内のレストランや旅館などを利用するとたまに「イタダキマス」や「ヤシオマス」なる栃木県名産の養殖の川魚も登場します。

イタダキマスもヤシオマスもニジマスの改良種で、それぞれ独自のマスを生み出して栃木県の名産として売り出しているとか。

などなど、勝道上人が持ち込んだという日光の湯葉や那須の乳製品も有名ですが、やはり栃木といえば、宇都宮餃子とイチゴではないでしょうか。

餃子通りにある大谷石製の撮影スポット


写真:宇都宮餃子

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