#07「『令和元年のテロリズム』、世の中全てはグラデーションだ!ー2021年秋の課題図書(3/3)」(音声/文字両対応)

#05~#07の3連続エピソードでは、東京都文京区千駄木に在る「往来堂書店」の現役書店員として活躍する「高橋さん」をお招きし、2021年に発売された注目の新刊について語り合います。

本エピソードは深井の推薦図書である、磯部涼著『令和元年のテロリズム』(新潮社)をテーマに、著者の過去作なども引き合いに出しながら語り合います。

以下、音声の一部文字起こしです。

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深「磯部涼さんの『令和元年のテロリズム』は今年の3月に発売された新刊で、大まかな内容としては2019年に起こった3つの事件(川崎殺傷事件、元農林水産省事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火殺傷事件)を題材に、それぞれの事件の共通性であったり、どんな時代背景によって引き起こされたのか、などを紐解いていくというものです。」
「ヒップホップライターとして名を馳せていた磯部さんが社会派ノンフィクション、ジャーナリズムに切り込んだ作品とも言えるのですが、その萌芽は前作の『ルポ川崎』で見られました。『ルポ川崎』では工業地帯として知られる川崎市南部を舞台に、あまり表立って取り上げられない”裏の”日本社会のようなものを描いていた。その象徴となるのが『BAD HOP』というヒップホップグループであり、彼らはラップという文化によってサルベージされ、まさに地域をレペゼンするような存在になりましたが、一方今作で取り上げられた『川崎殺傷事件』は川崎市北部で起こった事件であったと。つまり『令和元年のテロリズム』は日本のアングラな部分ではなく、再開発が進んだ地域で引き起こされた陰惨な事件を取り上げていて、その点では『ルポ川崎』とコインの表裏のような関係性ということになる、とおっしゃっていました。」
高「なるほど。確かに元農林水産省事務次官長男殺害事件にしても、京都アニメーション放火殺人事件にしても、文化や芸術というものが密接に関わってきますよね。前者はゲームカルチャー、そこから派生してのTwitterにおけるコミュニティ、後者はアニメーション作品などを通して、何とか社会とのアクセスポイントを見出そうとしていた人たちが、ある種”こじれて”しまった、その極致的な行為とも解釈できるわけです。」
深「まさにそうだと思います。常日頃から『文化が一番偉い』と考えている自分のような人間にとっては、身につまされるところがあるというか、それがトリガーとなって生じてしまう負の側面みたいなものにもしっかり目を向けるべきなんだ、と思わされましたね。」

深「川崎殺傷事件を取り上げたワイドショーなどでは、『一人で死ねよ、人を巻き込むな』という言説が多く見られました。これについては今作の中でも磯部さんが疑問を呈しているのですが、一見倫理的に正しいことを言っているように見えて、その言説が流布することでその犯罪のバックグラウンドが抜け落ちてしまう、つまり我々の生活から切り離して考えてしまう、という事にも繋がる可能性があります。」
高「今作の中でも頻繁に登場する『8050問題』など、未だ解決されていない社会課題と地続きであるはずなのに、あたかも別世界で起こったことのように語られてしまう…そこにはある種人間としての”自己保身”的な側面も含まれていると思いますが、安易にそのような言説には与さないようにすることが重要であると学びました。」
深「そうですね。本文中でも引用されている『ワイドナショー』というフジテレビの番組におけるダウンタウンの松本人志の発言(『僕は、人間が生まれてくる中でどうしても不良品って何万個に1個、絶対これはしょうがないと思うんですよね』)と対照的に、同じ事件を取り上げていた『サンデー・ジャポン』というTBSの番組では、爆笑問題の太田光が”自分や他人の命を大切に思えなかった”過去の経験を語り、彼の場合はピカソの絵に触れることで、何とか生きる術を見出したと発言していた。前者はまさに社会と事件を切り離すような動きなのに対して、後者はその風潮に警鐘を鳴らすような意図(太田光は更に『俺は、すぐ近くにいると思うのね。彼のような人が』と付け加えていた)が含まれていたということが重要だと思います。」

高「SNSなどで第三者が他人を断罪するような言説が更に過激化し、広まっていくという構図は非常に危ないと身をもって感じています。”人と人との間で起こった事件”ということを念頭に置いたうえで、様々な意見を発信していくことに意義はあると思いますが、ボーダーラインを踏み越えないようにすることが肝心だと思います。」
深「今の話を聞いていて、SNSで過激な発言を繰り返す人は『エンパシー』の部分が圧倒的に不足していると思いました。”シンパシーとエンパシーの違い”についてはブレイディみかこさん著の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に詳しいのでそちらを参照して欲しいのですが、有り体に言うと”他人の立場になって物事を捉える能力”の欠如によって、短絡的に過激な発言をしてしまうことが増加しているのかなと感じています。」
高「今仰っていたエンパシーは能力であり、後天的に身につけられるものだと思います。そこでカギになるのがやはり本などのメディアであり、普段の生活範囲内では出会わないような人の意見や考えを摂取することで、より自分と地続きの問題であることを認識できる。そういった意味でも、現代における伝達メディアの役割は更に大きくなっているのではないでしょうか。」


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