忌引休暇

父方の祖母が逝去。
享年87歳。

先月の病院へのお見舞いが、祖母を見た最後のタイミングだった。
病気のこともあって苦しそうに呼吸をしながらベッドに寝ており、意識もだいぶ虚ろになっていた。
ちゃんとした会話をすることは叶わず、こちらからの呼びかけに対しても反応できているのかいないのかわからない、という具合だった。

先日、母からのLINEで「祖父の元に旅立った」と一報もらった時は、悲しいやらなんやらより「やっと、苦しみから解放されたんだな」が勝った。
「亡くなって良かった」とは絶対に言えないが、「もう苦しまずに済むのだな」と、ホッとした気持ちがあるのも事実であった。

葬式も先日、つつがなく執り行われた。
祖母の名前にはひらがな表記になっている部分があり、戒名にはある漢字を充てがってもらった。
また、梅が咲き始めた季節出会ったので、「梅」という文字も入れてもらった。

翌日は忌引き休暇ということで、もう一日実家で過ごした。
たった一日の忌引き休暇。とても足りない足りない。
日課の運動はこなしたものの、汗をかいてもどうにもスッキリしない心持ちだった。
悲しさ・寂しさはそこまで悲壮感漂うほどのものではなく、おそらく過去にあった母方の祖父母の逝去での経験によるものだと思う。

人は良くも悪くも、ネガティブな感情には慣れるものである。
きっと、自分の心を守るための仕組みなんだろう。
それでも、スイッチの0と1を切り替えるようにはいかない。
部屋でボーっと過ごした。

親しい人が亡くなるというのは、思った以上に己のエネルギーを消費するのだなと感じた。


父方・母方の祖父母は皆極楽浄土に旅立った。
(こんな自分にも、小さい頃から惜しみなく愛情を注いでくださった皆様方なので、極楽浄土以外に行き場は無いと断言できる。)

皆が皆、病気などはありつつも自身の持つ寿命目いっぱいに生き抜かれたことだろうと思う。


亡くなった人との思い出は、まずその人の声が思い出せなくなるところから薄れていくと言う。

大丈夫。まだ誰の声も忘れてない。


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