駄言
フォントは絵柄を理解する上でわかりやすい。
キチッとしたフォントもあれば、荒々しいフォントも細かいフォントもある。でもそれは同じ「あ」を表している。「あ」を表すだけならどれでも構わないが、墨の書体を使いたい時、どうしたって細いおしゃれなゴシック体では永遠にその「らしさ」を伝えることはできない。
伝えたいことがある時、自ずと使うべきフォントは決まっている。逆に言えば選ぶ余地などない。
絵も同じで、伝えたいことがある時、絵柄は自ずと決まっている。
人は綺麗な模様じゃない。
どうしたって生きてる。
だから俺の絵柄は自ずと決まっている。
それから読んでいくうち、フォントなんてほとんど気にならなくなっているだろう。あるのは読みやすいか読みにくいかだけだ。
考えるべきことなどあまりない。
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