見出し画像

ニーチェと現代の超人について

先日、ドイツのライプツィヒ郊外のRöckenにあるニーチェの墓に訪れました。

本当は墓に行くつもりはなかったのですが、壊れた自転車の修理待ちで数日ほど時間ができたので、寄ることにしました。
近くのキャンプ場に泊まっていたので、そっからバスで20分ほど行ってから、さらに歩いて数十分のとこにありました。スーパーも無いような小さな集落にニーチェの墓はありました。

ちょうど日曜だったので、自転車ツアーみたいので観光に来ている人たちがいて、教会ではお茶とお菓子を売っていました。

教会の庭、奥の建物が資料館

コーヒーとケーキをいただいた後、奥の資料館を見ていました。
自身の作品集やアンチキリストの本などが並んでいました。

私自身ニーチェについては多大な影響を受けています。といっても、シュタイナーの岩波文庫や解説した筑摩書房の本を読んだだけなので、彼の著作は直接読んだことはありませんが。

ルサンチマンにならずに、超人を目指せ。善悪の判断基準は自分で持って他人に惑わされるな。常に力への意志を持って強く生きろ。などです。
要するに力強く、より良く生きろっと言っているのですが、これはニヒリズムに陥りそうな時に非常に心の支えになります。
ニヒリズム=虚無主義で、試験勉強に上手くいかなかったとき、大切なものを無くしたときとかに考える、俺が頑張って生きても結局人生の結果は死なんだし、生きている意味なんてないんじゃね?コスパよくさっさと死ぬかって考えることです。

生きてても結局死ぬんだから意味は無いって考えに、生きる意味は自分で見つけてその通り良く生きろって考えが刺さります。まぁどちらも根拠はないのですが。死ぬまでの時間や自分以外の人もいて今まで色んな人達と関わっていたことを考えると、意味は無いから自分で決めて生きろって考えの方が群牌がある気がします。

そんなこんなでニーチェが死んだ1900年8月25日から123年経ったわけなんですけども、今だにその力への意志は根強い人気です。
男女ともに強く生きよう、一人一宗教で自分の判断は自分でしようって風潮が強くなってる気がします。実際、人に決められてやるより自分で決めて達成した方が快楽的にも強い気はしますし、誰かと関わっている以上成長している自分を見せた方が上手くいくのもわかります。

ただこれほど科学やネットが複雑多用してるなかだと、超人を目指そうにも目標設定が難しい気がします。しかし、世界の人間がこれほどまでに繋がりやすくなった現代では、多少は共通の普遍的な価値が生まれている気がします。

芸術、美術系、作家など→個人のアイデンティティを極めた人、宗教家とか

色→承認欲求が満たされまくっている、アイドルとか

金→金持ち、理由は問わない

名誉→支配欲、政治家とか

健康→スポーツ選手とか、個人だと病気とかマイナス面がない状態

こんな感じで分類できそうです。こうして見るとこの中から2つくらい選んで、自分の周りの人より秀でようと努力するのが妥当かなって思います。全て持ってる奇跡みたいな人もいますが、大体事故って死ぬか急に貧乏になるかとかがあるので、全部極めようっていうのはあまり目指さない方がいいのかって。
まぁ仲のいい男女とかがいればお互い2個ずつ共有して、残りの一個は他人に任せるっていうのができるので結婚して価値を共有するっていうのはかなりいい線行ってると思います。

夫婦じゃなくてもいいから、小集団の中で各々の超人を目指そうってのが現代の超人のあり方なのではと考えています。

とはいえ、これが全ての人に当てはまるわけではないです。生きている途中で孤立してしまう時もあると思うので、そういう人は場所を変えるか時間をかけて解決していけばいいです。

サポートしてくれると嬉しいです。スパイス、書籍の購入代にします。