きっとずっと、哀しいほどに元気な彼女
こんな僕にも、守ろうとしていたものがあった。
***
あまり笑わない人だな、というのが、彼女の第一印象だった。
大学に入ってすぐ、とあるサークルの新入生歓迎会で初めて目にしたその子は、喧騒に覆われるその会の中でただ、座っていたように見えた。
綺麗な人だ、と思った。
そのサークルは学内でも有名ないわゆる『飲みサー』で、そんな中笑顔1つ見せずそこにいる彼女は、新入生の僕にとっても明らかに浮いていた。先輩たちに話を伺う限り、どうやら同じ新入生らしい。
「可愛いから声かけてみたら来るっていうからさ。いざ呼んだらコレだよ。お高くとまってるつもりなんだろうけどさ」
解散後二次会に向かう空気もそぞろに、僕はその子に話しかけてみた。
「君みたいな子が、何でこんなところにいるの?」
初めての会話にしてはずいぶんと大きく出たものだと今でも思う。
「見ている分には楽しいもの。こういう空気嫌いじゃないし」
目も合わせず無表情に、彼女はそう言った。
***
どうやら嘘はついていなかったらしい。数日後のサークルの体験練習にも、彼女の姿があった。
「こないだの感じだとぜってえないと思ってたわ、これは儲けたな~」
先輩たちが浮かれる中、どう見たって浮いているのは彼女の方だった。僕は上手い感情のやり場を見つけられぬまま、何となく彼女を見ないようにしていた。
「この前帰りに話しかけてくれた人だよね。名前、教えてよ」
気付いたら彼女は僕の後ろにいて、僕はまさか自分に話しかけているとは思わずに反応が遅れてしまった。言葉にならない声しか出てこない。
すると、後ろで彼女がフッと微笑んだ、ような気配がした。
「何それ。人と話すの初めて?」
彼女の笑顔を自分の力で引き出してみたいなと、この時僕は思ったのだった。
***
「ねえ、雪、降るのかな」
今年最大の寒波が迫っているという冬のある日の夜、彼女は何の感情もない声でそうつぶやいた。
「そりゃ、君が告白を受け入れてくれた後だもん。雪くらい降るでしょ」
僕のジョークはこの日も空振り。彼女は眉ひとつ動かさないで僕を見た。
「別にそういう意味じゃないし。そういうのは自分で言わない方が良いよ」
諭された僕は悔しくなって下を向く。そのまま数秒間歩いていると、凍てついていたアスファルトに微かな染みができるのが見えた。
「…雪が降るほどのことじゃないと思ってたのにな」
そう言うと彼女は一瞬、くすっと笑った。僕はまた彼女の笑顔を見ることができない。
「…手、繋ごうよ」
寒さと暖かさが掌に同居する。また今日も僕は彼女に負かされた。
***
彼女が僕の家に来るのは決まって彼女のバイト終わり。今日も日付が変わるか否かくらいの時間に連絡があった。寒さも和らいできたし、何の気なしに家で彼女を待っていた。
15分待った。彼女からの連絡はない。コンビニで何か買っているのだろうか。
20分後、『ケーキ買ったよ』と連絡が入った。僕はTVを点けた。
30分待った。その後の連絡はない。僕は大学近くに1人暮らしだから、来る途中で大学の友達にでも会ったのかもしれない。
40分待った。『楽しみ!』と彼女に連絡を返してTVを消した。
1時間待った。彼女からの音沙汰はない。途中で会った友達と公園にでも行っているのだろうか。布団を敷いた。あの子、そんなに仲良い友達いたっけ?
***
1時間30分後、外に飛び出した僕は30秒ほど走った先の曲がり角に1台のワンボックスが止まっているのを見つけた。中から微かに声がするような。何だか誰かが暴れているような。停車しているのに、ワンボックスの車体が不自然に揺れていた。
尋常じゃない雰囲気を感じた僕は近くの交番へ走った。警官を連れて戻るともうそのワンボックスは姿を消していて、代わりに彼女がいた。彼女は僕の姿を捉えて、にかっと笑った。
彼女はその日以来、よく笑うようになった。
***
桜の木が緑に染まる頃、僕と彼女は2人で川辺を歩いていた。
「風が気持ち良いね! もうすぐそこに夏って感じ!」
そう言って彼女は満面の笑みを見せる。
「夏と言えば海? キャンプ? ねえ何しようか?」
「僕は夏と言えば図書館だな。涼しいし、無料で水飲めるし」
彼女はそれを聞いてまたケタッと笑う。僕は下を向く。
「それも良いねー! あー楽しみだなー」
踊るように彼女は歩く。僕は両手を必死に振って、それを追うだけだ。
***
「そうだよね、わかってた。わかってたけど悲しいもんだな―」
けたたましい蝉の喧騒の中、彼女は空に向かってそう言いながらカラッと笑う。陽に翳されたその笑顔は眩しかった。眩しくて、見ることができない。
「うん、じゃあ、またね! 私サークルもやめるから、君とはもう会わない!今まで楽しかったよ!」
矢継ぎ早に僕へ言葉を投げると彼女はカチッと口角を上げて、そのまま後ろを向いて歩いて行った。僕は立ち尽くしながら、彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見つめた。それでも彼女は泣かなかった。
彼女はあまり笑わないのではなく、笑うべき時に笑える人だったんだと、その時僕は初めて気が付いた。
その笑顔を、僕は守れなかった。
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