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猫と私 #6 僕らの居場所は言わにゃいで(後編)

私が出会った当時のグレッチはまだ生後3,4ヶ月の子猫だった。
同じ月齢の子猫5匹と、1歳前後の若い猫3匹、比較的高齢な洋猫1匹が同じタイミングで捨てられた。高齢の洋猫はお腹に授乳をしていたような形跡があり、おそらく子猫たちの母親なのだろう。3匹の若い猫たちも慕っていることから、これらは家族セットで捨てられたのかもしれない。

グレと兄弟

若い猫トリオと老猫はすぐその場所に馴染み、5匹の子猫もまた徐々に活動的になっていったが、子猫の中でも元気だった茶トラと黒白の猫は程なく姿を消した。トンビが飛んでいたり、カラスも多く生息する地域なので、子猫が犠牲になることは決して珍しいことではない。だから地域の人たちはコツコツ捨てられた猫たちの避妊去勢手術を行い、鳥の餌食になる子猫が生まれないようにしてきたわけだが、雑誌が不用意に取り上げたことで外から子猫の団体様が持ち込まれてしまい、その努力もフイになったわけだ。

残る三匹をどうするのか。
当座の危機を切り抜けるため、すでに20匹近くを自宅の中で世話している地元の人が子猫たちを捕まえて安全な場所へ退避させたものの、この騒動の直前、猫がほしいという知人に別の猫をあてがったばかりで里子に出すアテがないと途方に暮れていた。
誰か、子猫を迎えてくれる人はいないだろうか。

インターネットで募集するという手もあるが、当時、猫の里親になりたいと嘘をついて愛護団体から猫を譲り受けては虐待して命を奪うという陰惨な事件が起きていたこともあり、どこの馬の骨とも知れぬ人間に命を委ねるのは抵抗があり、その手段を選ぶ気にはなれなかった。
そんなとき、仕事関係のデザイナーさんと世間話をしていたところ「女の子の猫なら飼ってもいいよー」と仰っていたので、地域の人に話を通して子猫の中で唯一女の子だった白黒猫を一旦ウチへ連れて帰ることになったのだが、いざ連れて帰ろうとした当日に妙なことが起こった。

「よろしくお願いします」

地域の人から託されたペットキャリーの中に子猫が二匹入っていたのだ。女の子の他に、グレーの毛色をしたハチワレ猫が入っている。

「なんか違うの入ってますね」

「もう一匹いるけど、そっちも入れておく?」

なんとなく会話が噛み合わないので、まあいいかと家に連れて帰り、女の子は検査後に知り合いの家へ。グレーのハチワレ猫はグレッチと名前をつけて家で飼うことにした。

グレッチとデコッチ

当時、我が家には友人から押し付けられたチャオとルネという先住猫がおり、庭では野良猫マイケルがふんぞり返っていたものの家の中までは入ってこなかったので、チャオとルネも「窓ガラスの向こうにゴッツイ猫がいますね」くらいの感覚だったのだが、急に子猫が侵入してきたものだから大混乱である。

茶が多い方がチャオ、白が多い方がルネ


特に女の子のルネは始終シャーシャー怒っており、グレッチの顔を見たらシャー。グレッチがニャーと鳴いたらシャー。グレッチがご飯を食べている時もシャー。慣れるまで隔離しようと部屋を分けても、部屋の前でシャーシャー怒っている。

よく「新しい猫を迎えるときは先住猫を優先的に可愛がってやらなければ、先住猫が嫉妬をして信頼関係が壊れてしまう」なんてことを聞いていたので、特に嫉妬深く頑固で気位の高いルネを中心にじゅうぶん気を使っていたつもりだが、ルネの怒りはとどまるところを知らない。グレッチが家に来て間もなくハンガーストライキを決行し、遂には体調を崩してしまった。

このままでは、ルネが死んでしまうのではないか。
子猫はそりゃあ愛らしいが、16年間連れ添った先住猫たちの方が想いは強い。
なんとなく連れて帰ってきただけだから、グレッチを元の場所に戻すという選択肢も考えたが、ボコボコ猫が捨てられている状況で戻すのも心苦しい。
そんな逡巡、葛藤をしている間にも体調は坂道を転がるように悪化していき、治療や介護の甲斐なくルネは16年とちょっとの生涯を終えた。

チビグレとルネ

不思議なことに亡くなる直前のルネはグレッチを受け入れ、まるで母猫のように、優しく穏やかな様子を見せていた。あれは、捨てられ、親兄弟と引き離されたグレッチを憐れむ感情だったのだろうか。あるいは諦めのような心境だったのかもしれないが、今となっては確かめるすべもない。

亡くなる直前のルネ

この結果をもたらしたのは、なんとなくで命を預かってしまった私だ。
それが善意からの行動であっても、ルネの命を奪ったのは他ならぬ私なのだ。

一方で、絶え間なく猫が遺棄され、なんとなくでも命を預からなければならない状況に至っていなければ、自分がグレッチを預かることもなく、ルネがこんなにも早く最期を迎えることはなかったかもしれない。という思いもあった。取材許可も取らずに特集ページを組んだ出版社や、その特集に関わった人間たち。通り過ぎるだけで、何の責任も負わないメディアを嫌悪しながら、私はひとつの結論に達した。

テレビや雑誌のようなマスメディアはもちろん、シェアやリツイートで拡散される可能性のある個人のSNSであっても猫たちが暮らす場所は明かすべきではない。と。

GPSで取得した位置情報や、具体的な地名のハッシュタグが猫たちにとって何の利益にもならないのであれば直ちにやめたほうがいい。やめてもらわないと我々がパンクする。そんな焦燥感をSNSで発信し続けたが、時代は猫ブーム全盛。
私の声は「いいじゃん。猫いっぱいいる場所とか天国じゃん」と背景を想像しないではしゃぐ人や「自分たちだけで猫を独占したいんだろ?せこいやつだな」と叩く人たちにかき消されてしまう。
ハッシュタグの人気が幅を利かせ、猫の写真と地名のハッシュタグがセットで氾濫する時代に奥歯を噛み締める中で私はある発想に辿り着いた。

ハッシュタグの人気がモノをいうなら、猫の暮らす場所を明かすべきでないという自分の主張をハッシュタグにして、盛り上げればいいんじゃないか?

ルネが亡くなって一ヶ月ほど経った頃、私はinstagramでそんなアイデアをフォロワーの方たちに語り、どんなハッシュタグにしたらみんな使ってくれるのかアイデアを募った。様々なアイデアが出てくる中で、一定の候補に絞って多数決を行い、生まれたのが「#僕らの居場所は言わにゃいで」だ。

残念ながら、言い出しっぺのアイデア「#猫のいるとこ教えにゃい」は時点で落選してしまったが、みんなに使ってもらうハッシュタグなので、自分のアイデアかどうかなんてのは大きな問題ではない。
そんなこんなで2016年の2月に「#僕らの居場所は言わにゃいで」が始まった。
当初はゆるやかに使う人が増えていく印象だったが、1年、2年と時間を重ねるほどに賛同してくださる方が増え、8年目を迎えた今、主要なSNSで50万件近い投稿が集まっている。

その効果がどれほどのものかは検証のしようもないが、ハッシュタグが拡がるにつれ、その土地での捨て猫は徐々に減っていき、近年では「最近は新顔いないねぇ」なんて言葉を交わすことも珍しくない。

気軽に捨てたり、傷つけたり、あるいは気軽に命を請け負った先にルネのような犠牲があるかもしれない。このハッシュタグは大SNS時代に投げかける警鐘であり、自戒の言葉として以来、私の行動の原理であり原則となった。

ちなみに後でわかったことだが、トンビやカラスにやられたと思っていた二匹の子猫はそれぞれ近所の人の家にちゃっかりあがりこみ、5匹の子猫は今もそれぞれに元気で暮らしている。
憐れむ人間をよそに、猫はなかなかたくましい。

ちなみにルネと打ち解けたのちのグレッチは以来、おしっこ爆弾やゲロ爆弾などルネの問題行動を模倣するかのような振る舞いをしている。亡くなる直前にはしていなかったのに。何か吹き込まれたのだろうか。

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