お礼は書くのがいい

直接お礼を言うと、「感謝するなら金をくれ」と言われかねない。「言われかねない」の語源は、「言われても金はない」だったりするだろうか。

雑誌BRUTUSで、「長井短の優しさ告げ口委員会」という連載記事をみつけて読んだ。ひとの優しさを告げ口するという、ほっこりするエッセイだ。目から鱗が落ちた。その手があったか。

人に直接感謝を伝えて、金銭を要求されることは稀だろうが、残念ながら一度経験してしまうと、ありがとうすら言いづらい。なんて繊細なおじさんだろうか。繊細なおじさんは気色悪い。

ネガティブな感情や愚痴を口から吐き出して発散させることは習慣的にしないが、喋る代わりに書いている。書いたからどうということはない。発散させている自覚も実感もない。自分の思考や心理が整理されておちつくだけだ。ひとはそれを発散とよぶ。

良いことや感謝の気持ちは、直接伝えると良からぬことが起きるから、書こうとおもう。先程電車の車内で外国人観光客と思われる大きなスーツケースを引いた女性に声をかけられた。フィリピン人だと思う。フィリピン訛りの英語があるかは知らないが、学生時代にやっていたオンライン英会話の先生がフィリピン人のお姉さんだった。彼女の英語と似ていて聞き取りやすかった。この電車は成田エアポートにいくか、と聞かれた。たぶん行かないよと答える。乗り換えたほいがいいよと。私のカタコトの英語が伝わったのかはわからないが、「これじゃないのかしまったな」、という雰囲気になったので伝わったのだと思う。事実を伝えただけなのに、乗り間違えた彼女を思うと心が痛む。せめて成田までの乗り換え方法を伝えようと、スマホで検索を始めるが虚しく、次の駅で彼女は降りた。間に合わなかった。

実らない優しさがある。差し出したが届かなかった、そんな優しさがある。やり場のない怒りがあるように、やり場のない優しさがある。私たちが受ける優しさ、気づく思いやりは、ほんの一部にすぎない。人がひとを想う気持ちは、ひとや街や空の中に溢れている。空気中に漂うその優しさが見えるメガネがあるだろうか。なに色に見えるのだろうか。

今日も、最後まで読んでいただきありがとうございます。「優しくされた」もいいけど、「私はこんなに優しい」アピールも、文字にすれば文学だねえ。

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