教育制度検討委員会の提言 (一九七四・五 教育制度検討委員会)

(1)PTAの自主的性格の再確認とその積極的役割の重視

 PTAは、すでに私たちが第一次報告で確認したように、「子どもの教育を受ける権利を保障するために必要な父母と教職員の集団として民主的に組織され、運営されなければならない。さらに地域における父母・住民の民主的集団と教職員との接触の場と機会とを組織的に確立していく必要がある。」
 PTAは右のような努力と運動を学校の内外にわたって日常的に展開していく運動組織であるとともに、そのことをとおして現に子どもを学校へあげている父母と教職員とが相互に人間的な成長をはかり、「実生活に即する文化的教養を高め」ていく学習集団である。その意味で地域における重要な社会教育関係団体である。したがって、PTA組織の自主的・民主的なあり方を、今日の社会教育関係団体の自主化と民主化の基本にかかわる問題として私たちは重祝していきたい。

①学校後援会的性格からの解放

 一九四六年、第一次アメリカ教育使節団報告書によれば、PTAの目的は「児童の福利を増進し、教育上の計画を改善する」こととされた。それは、明治以来「おかみ」まかせであった教育を父母と教師の手に取り戻すものであり、戦前の後援会から一般の教師を解放する使命をになっていた。
 しかし、PTAは発足当時から最近にいたるまで、施設・設備の行きとどかない学校の状態を父母がみるにみかねて学校を経済的に後援してきた。「寄付PTA」とか「金集めPTA」とか否定的な評価がなされてきたのは、そのためである。
 一九六一年度には「地方財政法」の改正により全国的にそれまで負担していた「人件費」「建物の維持修繕費」等を住民に転嫁してはならないことになり、PTA予算が公費の肩代りをしていることが問題になった。こうしたなかで東京都では六七年度からPTA後援費全廃の措置がとられた。PTA負担軽減にみあう公費負担教育費は財政調整の枠内で年々増額されたので、PTA会費はしだいにPTA本来の活動に使用されるようになり、現在、東京都の小・中学校においては後援会的性格が払拭されつつある。このような公費増額の経過は、官側の措置というよりも、基本的にはPTAその他による地域教育運動の成果であった。各PTA予算書の検討を行ない、教職員組合と協力して、各小・中学校の予算書を分析し、当然公費にくみこまれるべき項目を教育委員会へ要求した事例も少なくない。また、同じようにして、賛助費とか助成費とかの名目による後援会的経費の実態を細く調査し、予算要求資料として教育委員会へ提出した例もある。しかし、現在、まだ全国の多くのPTAにおいて、いぜんとしてすっきりした形にならず、PTAの体質改善のむずかしさを物語っている。その民主化を妨げている問題の―つに、学校が教育委員会に要求すべきことを、安易に父母に要求するという姿勢がなお根づよく残っているということがある。
 ここ、二、三年来、PTA無用論が云々されているのは、今日なお残っている後援会的な性格に対する批判であるが、一方では金をださないPTAなら不用だとする逆の立場からの無用論があることもみのがせない。

② PTAの自主性と民主性の徹底

 PTAは父母が子どもの入学と同時に自動的に会員になるものではない。PTAへの加入は、全員一律加入とか、あるいは入りたくない者は入らなくてもよいし、入りたい者は学校へ子どもを送っていない者でも入れる、といった性質のものではなく、まさに国民の教育権にもとずく父母の権利、子どもにたいする親の義務の問題である。したがって、父母は会員として自主的・自律的でなければならず、また、父母と教師は会員として対等の関係を強め、PTAの民主的運営を発展させなければならない。
 PTAの自主的民主的な運営にとって最も困難な点の一つはこの対等にという関係が維持されるかどうかである。子どもの教育を信託している父母と信託されている教職員、とりわけ教師とが対等に話し合えるものではない、という絶望的な意見も多い。しかしPTAが存続するか否かはこのことにかかわっており、PTAの構成員はあらゆる機会をとらえ、方法を見出しながら、このための努力をしてゆかなければならない。ほんもののPTAたりうるか否かのかぎはここにあるといえよう。
 PTAの自主的で民主的な発展のためには、地道な、しかも、創意と工夫に満ちた努力が必要である。たとえば、新設された学校では、まずPTAを作るかどうかの議論からはじまって、長い間、議論を重ねながら、PTAの規約をつくっている例もある。また、つくられた規約(PTAのしおり)を、毎年のように改訂しながらつくりなおしている例もある。さらに、学校集会を規約のなかに位置づけるかどうかをめぐって、徹夜の討議をした例もある。いずれにしろ、上からのPTAづくりではなく、小さな集りを大切にする下からのPTAづくりこそ必要なのだ、と私たちは考える。家庭教師の問題、子どもの能カ・学力の問題、校外の遊び場、校庭開放、児童館、学童保育問題など、私たちがすでに「学校外の教育をどう組織するか」の項で指摘したような多くの問題が、そこでは自由に父母と教職員とで話しあわれ、運動が展開されてゆく必要がある。週休二日制や学校五日制の問題ももちろん積極的にとりあげられるぺきである。
 私たちは、およそ右のようなPTAの本来の目的に即して、その自発性と自主性、さらにその民主性と権利性を徹底させていきたい。そのことはきわめて困難なことであるが、教育の信託者としての父母と信託された教育の直接的な責任者としての教職員とが、まず一致しうるところから、よりよい教育、よりよい学校の創造を求めて不断の交流をはかりながら、活発に運動をすすめていきたい。

③親の教育権・国民の学習権にもとづくPTAの成長と運動

 PTAが任意加盟制であることを理由として、その学校教育のあり方への発言や注文を不当とし、さらにそれを拒否しようとする最近の動きは、親の教育権、国民の学習権の否定に通ずるものであり、それこそ不当であるといわなくてはならない。そのような学校管理論的な上からのPTA論こそ、むしろ今日のPTA民主化の最大の障害である。
 PTAの学習の結果は即効的なものではない。PTAの現役時代には学習のみで発展しようもない問題もPTAの場ではじめて成人教育を受けた父母がPTAを卒業して一住民の立場になったとき、子どもたちの環境を守るための地域集団としての運動の有力な推進力となることも少なくない。
 日常的なPTA活動の重視と学校PTA活動との統一、規約の民主的改正とその運営の自主化、さらに学区PTAの組織化と地域住民の教育・文化運勁との結合等々、地域の実態とその要求にそくして大いに創意と工夫をはかっていきたい。そしてできるだけすぺての父母と教職員とが、PTAに参加する権利にめざめそれぞれの自主性にもとずいて、子どもの教育を受ける権利を守り育てるようにしたい。と同時に、PTAが父母と教識員自らの学習権をも守り育て、地域における有力な教育運動組馘となるようにしたい。そのことこそがPTAの今日の課題であり、理想である。
(教育制度検討委員会著 梅根悟編『日本の教育改革を求めて』勁草書房、一九七四年、三三一—五頁)


社会教育推進全国協議会 編『改訂 社会教育ハンドブック』1984 エイデル研究所 pp.818-20 より

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