社会教育研究資料 —PTAの概況— (昭和三十一年六月文部省社会教育局)


1 PTAの結成はどうなつているか

 PTAの全国的な学校別の結成状況は次表のとおりですが、これを詳細にみると、つぎのようなことが指摘できます。
 東京都の未報告分を除き総計の団体数は三万九千二十三で会員数は千五百二十四万五千二百二十二人です。
 昭和三十年七月刊「文部統計速報」によると、昭和三十年五月一日現在の学校数、児童生徒数は次のとおりです。(国、公立、私立を含む)
上の表にくらべて、PTAの団体数、会員数はそれぞれ下廻っていますが、その理由として次のようなことが考えられます。
(表略)
 以上のことから考えると、大体殆んど全部の学校にPTAが結成せられ、両親のうち誰か一人は会員となっていることを推定することができます。

2 PTA活動の最近の傾向

A 良い面
(イ) 自分たちがまず勉強しなければならないという気運が強くなってきたこと
 子供たちは毎日新しい教育を身につけ、新時代における物の考え方を身につけて行きつつあるのに、親たちがこれにおくれることがあれば真に子供を教育する立場にたつことはできない。ほんとうに子供を愛するということはまず自らを向上させることだという自覚がたかまり、成人教育関係の行事集会が多く企画実施されるようになってきています。
(ロ) 児童生徒の校外活動の面に力を入れはじめたこと
 学校教育がその教育的効果をあげるためには児童生徒の校外生活にまでその力をそそがねばならないのは当然なことでが、従来なかなかそこまで手が及ばなかった面が多いのです。この点PとTが相携えてこの面に力をそそぎ、校外における生活指導として部落協議会が盛んになり、各種の行事集会その他によってその成果をあげようとする傾向が全国的に強くなってきています。
(ハ) 子供の教育は私たちの手でという考え方が強くなってきたこと
 従来Pはともすれば自分たちの子供はTにまかせておけばよいという考え方が強く、学校に依存する傾向が多かったのですが、PTAの結成後、次第にPとTの協力によってその仕事を達成しなければならないという自覚がP側にとくにもり上って来ています。したがって会合の出席なども向上しつつあり、討議の内容も漸次活発になりつつあります。
(ニ) PTAというものがどうなければならないかがわかりはじめたこと
 PTAは戦後の民主的なうごきとして結成されたものでありますが、団体結成の本質がともすれば忘れられ、戦前のような財政上の後援団体的なうごきがやはりかなり強くみとめられるのです。こうしたことはいろいろな理由があって脱却できないでいると思われますが、ともかくこれではいけないという、PTA本来のものへの眼が開かれてきているということができます。
(ホ) 子供たちをとりまく環境を整えるうごきがみられはじめたこと
 児童生徒の不良化防止は、最近とくに一般的な社会問題として大きくとりあげられていますが、PTAでもこの一環の運動として環境の浄化、子供の施設の整備などに力を入れる動きが盛となってきています。子供の遊び場の設定などもその大きな仕事となり、着実にその成果をあげているものがみられます。
(へ) PとTとの協力連携が盛んになってきたこと
 PTAは元来PとTのアソシェイションであるはずなのですが、従来ともすればPAでありすぎたのです。Tの考えの中に、PTAは自分たちのために恩恵を与えてくれる団体であるという考があり、したがって会のために積極的に力をつくすという意欲がわいてこなかったのですが、PTAの本質が認識されてくるにしたがってTが自分たちの仕事の重要性を自覚しはじめてきたのです。
(ト) 会員相互の理解と協力があらわれはじめたこと
 たとえば自分の子供の問題についても、会合が終ったあとで、直接受持の教師と個別に話しあうことに重点がおかれてきましたが、最近お互いにどうすればよいかということを話しあうことによって、自分の子供を他人の子供と同じく社会の子であるという点で考えてゆこうとするきざしが見られます。
(チ)就学前の子供の教育や貧困児童の援助にのり出してきたこと
 PTAが対社会的な問題ととりくんでゆく考え方が積極的になってきたので、貧困家庭への対策や、就学前の子供をどうするかということ、さらにそれらの両親教育にまで、その関心の目をむけてきたことは、今後の会の大きな発展と充実のためによろこばしいことです。

B 悪い面
(イ) PTAがまだ財政後援会的な性格からぬけきっていないこと
 このことは前にあげた良い面とくいちがうわけですが、やはり全国的にみると、こうした傾向がまだ強く残っていて、会の発展を大きく妨げているようです。学校の施設設備を整えるために全会員にその負担をわりあてたり、プール作りがPTAの主な仕事であったりするのをよくみかけます。市町村の行政当局までが自己の果すべきことをPTAに依存してすませようとする動きもあります。
(ロ) 運営が役員まかせであったり、会が一部のボスのために独占されていること
 会員たちが自分の入っているPTAというものの大切なことを自覚しないところから出席がわるく、すべて役員まかせとなり、したがって役員は自分たちだけで会の大事なことをきめてしまうということになります。こうしたことは、たとえば会の組織をつかって選挙にでようとする人のために利用されたり、民主的に運営さるべき会が、一人の人または一部の人々によって独占されてしまう危険がかなり多く、またそのような実際の例も多いようです。
(ハ) 会員の出席率がわるく出る人が固定してしまうこと
 前項と相関連するのですが、ある所ではPTA婦人といわれる層があります。それは一部有閑の人々がPTAの常連となって、PTAが単なる社交的な機関になっているということです。こうして固定されてしまうと、ますます他の人々は出席することができなくなります。なんといってもみんなの会なのですから、みんなが顔を合せることができるように考えられねばなりません。
(ニ) PTAが母親のみの集会になっていること
 PTAは母親だけの集いでなく、当然父親の会でもなければならないはずですが、そのほとんどが母の会となっています。父親が家業をもっているために繁忙で出席しにくいことはわかりますが、つとめて父親の出席もできるような企画面の配慮が大切なのです。九州のある県では父親学級というものを開設したり、部落集会を盛んにひらいて父親の関心をあつめるように努力しています。
(ホ) PTAが自分たちの勉強のための会であるという自覚がうすいこと
 このことが「良い面」の(イ)にあげているように、次第によくなってはきていますが、全国的にHA未だしの感がつよいようです。PTAはやはり成人教育委員会の活動が、その中心となることが大事です。一般にはそのような委員会が影が薄くなっていてもっばら財政後援の企画委員会が大きくうごきすぎているようです。
(ヘ) PTAの会費がだんだんと高くなってきていること
 会費の収支は別項のとおりですが、純粋にPTAの本質にそうための経費よりもその他の後援会的負担のための出費が会員に個々にわりあてられ、その額が個人負担にたえないような結果を招いていることは残念なことです。
 こうした団体の経費というものは最低の少額にとどめることがのぞましいのです。

3 PTAの経費は問題が少くない

 PTAの経費については問題が少くありません。とくに「PTAの会費が高すぎる」とか「PTAの予算の組み方がよくわからない」といった声が、つねにささやかれています。これは何も会員だけの問題ではなく、社会教育行政担当社の間でも「何とかはっきりさせなければならない」といわれ、標準となる予算表を作成し、その適正化を図ったり、経費作減についての研究会を開いたりしている府県があります。
 ここに掲載した資料は、文部省がとくに作為することなく、各県から最もありふれた普通のPTAを小中高校別に一校づつ選び、その経費面を集計、分析したものです
A PTAの収入はどうなっているか
(一) 会費
 表の示すとおり、収入の大宗は会員からの集められる会費で小中高を通じて全体の収入の中で九〇%を占めています。しかし、これをもっと詳細に見ると、同じ会費収入でも、高等学校は会費の占める率がもっとも高く九〇・四%であり、中、小学校がそれぞれ八九%、八四%とつづいています。
 これを裏付ける意味で文部省調査局がおこなった「父兄が負担する教育費」昭二十九・四・一〜昭三十・三・一の中から生徒一人あたりの金額をみますと、次表のようになっております。これを月別に算術平均してみますと、全高一四五円、定高七四円、中学校三九円、小学校二八円ということになります。

学校別PTA年額会費一覧
全日制高等学校  一,七四六円
定時制高等学校   八八八円
中学校       四六七円
小学校       三四二円

 また、若干角度を変えて、父兄が学校に対して支出する諸経費(多くの父兄は学校へ出す金を全PTA費」と混同している場合が多いが)の中でPTA会費がどのような位置を占めているかを前掲資料によってみてみるとつぎのようこの表によると順位からいって小学校では給食費七四〇円についで第二位、中学校では旅行費についで同じく第二位(金額はそれぞれ約半額)全高では授業料についで第二位(金額では三分の一)定高では授業料、旅行費についで第三位となっています。
(二) その他の収入
 会費以外の収入には寄附金四%、事業収入二%前年度繰越〇.〇〇二%、その他三・八%があります。
 これらの経費についても学校の種別によって、それぞれ差異がありますが、こ、でとくに問題にしておきたいことはつぎのようなものがあります。
イ 事業収入が小学校五・二%、中学校四%、高等学校〇・三%の順を示し、このことはPTAの事業活動がこの順に盛んにおこなわれ、父兄のPTAに対しての働きかけ方を示しているのではないかと思われること。
ロ 寄附金が小学校六%、中学校一%、高等学校六%となっている。中学校がいちじるしく少ないのですが、これは若干変則のようでその一例として大阪市がおこなった、調査の結果が(同市の全校を調査したもの)小学校四・二%、中学校三・六%、高等学校二・五%となっていることをあげることができます。
 この大阪の調査に従がえば、寄附金の占める割合のいかんも矢張りPTAへの父兄の関心の相違を示しているのではないのでしょうか。
 これらを通してみて、PTAの収入についての問題点としてつぎのことをあげることができます。
(1) 収入の大部分(平均して九〇%)が会費による収入であることは好ましいことで、会員が平等に収める会員によって会の運営がなされていくことほど健全なことはありません。特定の人々の寄附を仰いだほうが一時的な経費の不足を補なったり、便利であることもあるかも知れませんが、民主的な団体として成長してゆくためにも、今日ここに示されている傾向はますます助長されるべきでしょう。
(2) 全体的にみて小中高校別に、会費、寄附金、事業費別に差があることは、会員のPTAそのものに対する距離を暗示していると思われます。とくに会費とその他の経費との関係が逆比例を示していることは、さきの(1)とも結び合わせて考えてよいのではないでしょうか。
(3) それにしても、収入についての費目ないしは比率などの標準というものが、十年のPTA運営の経験の中からでてきてもよいのではないでしょうか。
(4) 直接この表からは出てきませんが、(3)とも結ぴ合せて、会費はいくら位が適切なのか、ということももっと検討されて、よいのではないでしょうか。
(5) さきにも一寸触れましたが、PTAの会費とその他の学校へ納付する費用とが多くの場合混同されている面が少なくありません、とくに父兄の側に素朴な混乱があるようです。この点についても、もっと判っきりなければならないでしょう。
(6) この資料ではでてきませんが、会費は全会員が平等で納入すべきなのに、T側が免除されていたり、減額されている事実も速やかに是正されるべきことでしょう。
B PTAの支出はどうだらうか
 PTAの支出の区分については、まだ充分な検討ができていません、そこで今回はいまMAでに多く見られた支出の項目について照会をしてみたのですが、その結果が次表です。
 ここでは大きくわけて校費補助、成人教育費、校外生活補導費、PTA運営費、その他に分けました。
 この表ではっきりわかることは、校費補助が全体の六%もあって、その他の合計が僅かにその三三%しか占めていないということです。
学校教育法第五条に「学校の設置者はその設置する学校を管理し法令に特別の定のある場合を除いてはその学校の経費を負担する」と明記してあるにもかかわらず、今日なおこのように多額の経費がPTAから支払ていることは、全PTA会員とともに大いに考えねばならないことです。
(一) 校費補助
 小中高の割合で比率が高くなっています。またその内訳をみますと、教科用具補助が全体の二四%、校舎施設補助が一九%、教職員補助が一四%を占めています。
 このうち校舎施設補助と教科用具補助が中学校が相対的に高くなっていることに気付きますが、これは、中学校の殆んどが新設であって、校舎、施設、設備、教具等が今日なお小学校、高等学校に比較して整っていないことを物語っています。
 このことは神奈川県のおこなった年次別の調査によっても、これの占める比率が下降の傾向を示していることによって知ることができます。
 教職員補助費はつねに問題される支出です。この額が一四%もあることには今更ながら驚かされます。研究費通勤費、住宅費を含めての生活費、旅行費等々が公然と支出されている現状はなんとしても解決されなければならない点でしょう。
(二) 成人教育費
 この経費は全体で僅かに五%、学校別でも小学校七%、中学校八%、高等学校四となっています。PTAの活動の二大支柱の一つであるべきこの経費がこのように僅かであることは、大いに考えなければならない点です。
 今回はその内容を明らかにすることはきませんが、この点の改善、充実にも一工夫を要します。
(三) 校外生活補導費
 小学校九%、中学校九%、高等学校八%全体として九%がPTAから支出されているのです。PTAが子どものしあわせのために環境を整備するという目的の一つとして直接おこなう経費としての支出が僅かにこれだけだとしたら矢張り困まったものです。子どもに遊び場がないために交通事故をおこしたりする例は少なくありません。交通標識、子どもクラプの開設、夏休みの補導等々PTAがしなければならないこの種の活動はもっともっと多い筈です。
(四) PTA運営費
 (三)の校外生活補導費を一寸下まわる程度で比率も大体似ています。
 PTAの運営がとかく明瞭でなく、会員のいろいろのうわさ話しが聞えて来ぬでもありません。このような経費の内訳はもっともっとしつかりした積算の基礎に立ちとくにこれを全会員に知らせるための措置も講ぜられる必要があります。
 以上がごく大雑把にみたPTAの支出内訳ですが、これらの支出からいくつかの問題をひろってみるとつぎのようになります。
1 校費補助が大すぎること、さきにも触れたように、PTAが後援会とは異った独自の機能をもった団体であること、と教育費は公費をもってまかなわれる建前とをあわせ考えてみると、これを極力減額し、本来の活動のための経費を生み出すことに努めねばなりません。
「公教育費の充実に力める」ということはPTAが自分の財布から直接経費を支出することではない筈です。
これをやるためには、充分な研究と、慎重な考慮そしてそれにもまして勇気が必要です。
なぜならばこれらの原因となっているものとしては
イ 国市町村都道府県の財政の逼迫が、教育費にしわよせされてきていること。
ロ 一般に校(公)費の使途には、法律や規則によっていろいろな規則があるが、PTA費は、相当弾力性があって、流用、移用が簡単になされること。
 などがあるからです。この二つは、学校側あるいは、公共団体の側の問題であるだけに、これを是正させてゆくためにはPTA会員はもちろん、もっと広く国民全体の問題として解決せねばならなくなってきます。
 結局、PTAは学校の御用機関ではなく、公の経費はあくまでも公の責任においてなされるものであるということを一人一人がしつかり、知らなければならないことなのです。
2 父兄はこのような一たんPTAに入って校費の補助に出される経費の他に多額な経費を負担させられています(前掲表参照)とくにこれが義務教育の場合には問題はさらに大きくなってくるでしょう。参考までに文部省調査局調査からPTA会費と寄附金を加えたものかどの位であり、年次別にどうなっているか引用してみると次表のとおりとなっています。
(表略)
 このようなことから、会費を納められない会員が神奈川県の調査では小学校二・六%、中学校四・六%、高等学校〇・四%もあるといわれています。
 これらの点は、収入の項でも触れましたが、もう一度問題はっきりさせておかなければならないでしょう。
3 教職員の補助「父兄は子ども先生に人質としてとられ、先生は父兄に経済的な援助を受ける」という妙な関係がPTAをどれだけ毒しているかわりません。民主的な団体であるPTAの会員は全員が平等の権利と義務をもち全会員は対等でなければならないことを想えば、この点の是正こそ早急に望まれることでしょう、盆暮のつけ届は勿論のことな悪循環のもとを断っためにPTAが考えなければならないことです。
 最近先生方の方からこの問題の解決のための動きが顕著に出てきはじめたことは本当によろこぶべきことです。
4 成人教育費がもっと拡充されるべきこと、そしてその活動がもっと充実される必要があること。
 日進月歩の勢いで成長してゆく子ども達についていき、あるいは一緒に学んでいくということは、たとえ不可能であってもせめて、どのような教育がおこなわれているかといったことは正しく理解し側面的な援助を与えられるPTA会員でなければならないのではないでしょうか。
 また民主的な団体としてのPTAであって見れば、民主々義を本当に自分達のものとするために、あるいは国や教育員会その他のおこなういろいろのことにつねに正しい判断を下し、世論を反映してゆくために、PTAにおける成人教育のなすべき仕事はまだまだあるのではないでしょうか。

4 PTAの役員はどうなっているか

 民主的な団体において役員の果す役割は非常に大きなものがあります。PTAは戦後結成されたものであるだけに制度的には役員が割合に新しいあり方を示すよう要求されているのですが、その反面、青年、婦人の団体に比較して、大人の団体であることから非常に旧い考え方が入っております。今回の調査ではその点にまで深く立入ることはできませんでしたが、とにかく役員の構成その他順を追ってみてみたいと考えます。
(一) 役員の構成
(表略)
 PTAの役員の構成がどうなっているかを明らかにしたのがこの表です。この表によると会長、副会長の制度は全てのPTAにおかれていますが、書記、会計になりますと六〇%〜七〇%程度のPTAが置いているのみで残りのPTAはこれらを置いていないことがわかります。
 つぎに常任任委員をおいているPTAは小学校十一、中学校九、高校四のみで他はおいていません。その他会計監査委員、幹事など非常に重要な役割を果すべき役員も極めて少ないことがわかります。また最後に理事が小一、中三、高五と人割合でおかれています。この辺にも小中高PTAの大きな違いが現われているようです。
 その他には顧問、専門委員などが含まれていますが、詳細はわかりません。このように役員の構成一つをみても、PTA参考規約と照して少なからぬ問題を示しているのです。
(二) その選出方法はどうなっているだろうか
(表略)
 役員の構成もさることながら、それらの選出の方法の方がより大切でしょう。この表は不完全で役職ごとに区別することができず、両者ともにおこなっているものまでが一括されています。
 しかしそれにしても、民主団体としてもっとも望ましい選挙の方式が小学校では約七七%、中学校で七八%、高等学校で六〇%を占めています。これに対して、任命を含む推薦の方式は小学校三〇%、中学校三三%、高等学校四〇%となっていいます。
 PTAの役員の選出方法としては選挙がよいことは云うまでもありません。しかし実状はこのようになっていることを考え、これをどのようにして今後改めてゆくかという問題が大きく残っています。
 またこの点について、神奈川県の調査では、つぎのような結果が出ています(この調査は直接行ったもので信憑性は比較的高い)
(三) 役員の職業構成はどんな様子か
役員の職業がどうなっているかという問題はあまり本質的な問題ではなく、むしろ今日の状態では家庭位の方が大切かも知れません。参考までに掲載してみますと次のようになっています。
(表略)
 この表でごく大づかみにいえることは義務教育である小中学校の役員と、そうでない高等学校の役員の職業に大きな違いがあるということです。つまり前者には第一次産業に属するものが多く、後者には公務貝、教員、公選による公職者等が比較的多くなり、農業等が少なくなっているということです。
 また、公選による公職者がとくに高等学校で著しく多くなっていることは、子どもの年令と父兄の社会的だけの反応が否かということも興味のある点でしょう。
また無職という中に婦人が比較的多いとするならば、これの小、中、高の比較なども注目してよい点です。
(四) 役員の年齢
 PTA役員の年令構成ということも、あながちゆるがせにすることはできません。
 照会に対する回答を寄せられたものだけを集計したものが次の表です。
(表略)
 報告書が不完全で、プランクが多いのですが役員の年令は四十オ代が圧倒的に多く、五十才台がこれにつづいています。学校別に見れば高、中、小の順で役員が若くなっていることは、子どもの年令との関連において自然であると思えますが、ただそれだけとして割切ってよいものかもっと詳細に検討しだいものです。
 また役戦種別によりますと、会長が副会長より年令的に若干高令にあり、会長には五十才台がもっとも多くなっています。これに対して副会長、書記、会計は四十才台が最も多く、副会長の五十才台がこれにつづき、書記、会計は三十才台となっていることがわかります。
(五) 役員の性別
 「PTA会員としてはお母さんが多く、平常活動しているのも圧倒的に婦人です。それなのに総会や役員会になるとお父さんが多くなる」とか「平素の集会に父が少なく、役員に母が少ない」とかいわれます。
 この表は役員を性別によって見たものです。
(表略)
 この表によると全体として男性が七五%、女性が二五%を占めており、世上云われていることが正しいことを示しています。しかしなお詳細に見ますと、小、中、高校などの学校種別によってその割合に差があることがわかります。すなわち小学校では男五八%に対して女四二%でとくに著しい差がありませんが高等学校になるとそれが八四%対一六%となって、お母さんは非常に影のうすいものになってきているのです。
 このことは何を意味するのでしょうか、この資料を通覧して、より深く小、中、高の問題を考えてみる必要があると思われます。
 なお、もう一つ、都市と農村にわけてこれを見ますと、都市においては母親の比率が低く、農村に高いといわれています。教育に対する、親の関心の在り方の一端を物語っているのではないでしょうが。

5 PTA役員から政界へどの位進出しているか

 PTAは子どものしあわせをねがって教育活動をする団体です。いうまでもなく子どもは成長の途上にある未成年車であって、みづから一定の政見をもち、政党政派の色に染んではいません。
 これらは子どもたち自身の判断によってなすべきで、学校やPTAなどが、そのような意図をもって教育の方向づけをすることはできません。
 PTAは特定の父母と教師の会ではなく、すべての父兄と教師とをもって構成される団体です。このことはPTAが政党色をもつことができないことを物語っています。
 もちろんPTA会員が個人として何党に所属しようとも、またどのような主義、思想をもとうとも、それはまったく自由なことです。しかし、このような個人の政党所属と支持とを団体の所属と支持にすりかえることはできません、なぜならばもしそれが強行されたり、あるいは、反対に簡単な手続や、形式だけを整えておこなわれたりするようでは、まさにPTAの自殺を意味するにひとしいからです。
 しかし現実にはPTAが成人のみを会員とする団体であるということから、これに目をつける人々が少くありません。
 とくに選挙が近くなるとPTAをめぐるいろいろな問題が再燃してきます。
 次表は、PTAから、どの位の人々が政界へ進出しているかを示すものです。
 この表はもちろん不完全です。なぜならPTAを母胎として出たか否かを適確に知ること自体が無理なことでありますし、より深くたとえば役員から何人、会長クラスでどの位といったようなことは明らかにすることができなかったからです。
ただ私たちはこの表で莫然と概念的にその傾向を知ることができると思います。
(表略)
 この表をみる場合、全役員数がわかっていれば全体に対する、その比率もわかって、より問題を明確にできるのですが、今回の調査ではそれもできません。ただ、誰にでも予想されるように、身近かなところにある。市町村会議員などに多いということ、教育問題をとり組んでいるPTAであるだけに、教育委員との結びつきが、強く現はれているということだけは一応いえると思います。

6 PTA指導上の問題点………まとめ……

(一) 共通の目標と共通の基盤
 PTAは、言うまでもなく、自主的な民主団体であるから、PTAに関する問題の把握も、その解決も、PTA自身でなければなりません。PTA自身という意味は、PにもTにも偏しない会員みんなということです。会員みんなで考え合うについては、よって立つ考え方の基盤が共通であり、そもそも何のために考え合い、何を目的として話し合うのか、目標を同じうしていなくてはなりません。この目標と基盤についての共通の理解を欠くために、問題の適確さを欠いたり、解決の公正を失ったりするのです。
 というのは、日本のPTAは占領下に生れた関係上、形式的、表面的には、共通の形や考え方があるように見えても実質的、内面的には、見えるが如く単純ではないのです。明治三十年代以来、学校後援会五十年の歴史があり根ざす考え方や行き方があって、それが同じPTAなる枠の中で、さまざまな動きを見せているのです。したがって、少くともPTAの立場から相ともに問題を考えようとするならば、PTAを要請し、PTAを支える基盤について、ある程度の理解は、どうしても必要なのです。たとえば、民主々義的な立場を前提としないならば、一人の人が、会員の意思や希望とは関係なく、四年も五年も会長の位置坐っていても、なんら不思議はないのです。かりに、問題となっても、民主々義的な立場をとるか、専制的な考え方を認めるかによって、結論は、どこまでのばしても相交わったことのない平行線に終ってしまうでしょう。
 同じ方向に顔をむけて話し、同じ目標を目ざして考え合うことの必要も同様です。わかり切ったことのようで事に当ってわからなくなり、PとTと、同じPの中でも甲と乙と、別々なものを狙って論じ合うような愚かさを繰りかえすことがないとは言えません。
(二) PTAの本質に関する理解
 なぜPTAが必要なのか、PTA本来の使命はどこにあるのか、いや、お互いにPTA、PTA、と言っているが、一体PTAをどう理解し、どう考えているのか、新聞などで、PTA的ものの考え方とか、PTAマダムとかという言葉が聞かれますが、PTA社会の一般の人々のいう、PTAとはどんな内容を意味しているのであろうか、このようなことが、先ずはっきりされなければなりません。これがはっきりしなかったり、まちまちだったりするから、後援会との混同や、PTA無用論などが起ってくるのです。
 そこで、これをはっきりさせるには、どうしたらよいか。一応観念的にはっきりさせることが試みられるでしょう。だが、このような理解には、実際活動の体験を通じての裏づけがなくては、本物ではない。だとすると、よいプログラムによるPTA活動を続けるうちに、PTAの本質を体得するという行き方もあり得るのではないか。また、直接PTAに働きかけるだけでなく、新聞、雑誌、ラジオ等の報道によって、よいPTAの実例や正しいPTAの考え方を、一般社会に知らせて、社会通念から改めてゆくことも大切になってきます。
 対象としては、指導者級の人々が考慮される場合が多いのですが、役員とか委員とかいう形式的な指導者に限られていて、案外、その成果が一般社会に普及しない憾みがあります。すべて動きは内から盛りあがってくるものでなければならないことを考えますと、PTAの本質に関する正しい理解は、どこから、どういう形で始まっても、もちろんよいわけですが、その一角から全体が動かされその一点から、全体に波及するようであってほしいものです。そのために、このような期待を待っことのできる対象を、どのようにして掴むかが、問題となります。
 或いは、正しい考え方の拡がりを阻んでいる問題又は対象は、何かを究明し、その検討から、PTAの本質を明らかにしてゆくのも―つの方法でしょう。たとえば、PTAが余議なくされている、後援会的性格と活動とを、いろいろな角度から徹底的に分析吟味するようなことも効果ある試みとなるでしょう。
(三) 民主的な機構と運営
 PTAの存在理由が、一応わかったとしても、これが何故組織を必要とするか、その組織が何故民主的でなければならないか、そもそも民主的とは、どういうことを意味するのか。このような根本問題が明らかにされたなら、これを、如何にして機構に具体化し、この機構を如何に運営したらよいか。更に、このような機構運営を、どのような手続を経て規約の中に織り込み、こうした規約を、国の憲法の如く権威あるものにするにはどうしたらよいか。このような問題が、次に起ってきます。今更このような問題でもあるまいと考えるむきもあります。たしかにPTA発足当時に、やかましく論議されたことではありますが。当時は形をつくるのに急であって、指導者の間においてさえ、深く考え長く準備するいとまがなかったのです。いわんや、一般会員の確信に根をおろすに至っていないことは当然です。しかも僅か十年足らずの間ですが、時代の推移と社会情勢の変化に伴って、民主々義そのものに対する関心も理解も動揺しようとしている今日、このような基本問題を考究して、PTAの一種の再認識、再発足をすることは、肝要なことでありましょう。この頃屡々耳にする「日本的PTAの確立」というような問題も、このような角度から充分に検討されなければならないのです。
 なお、具体的なこととしては、会員ひとりひとりの人格の自由と責任を基調として、機械的、因習的な無自覚入会、幹部と一般会員との遊離、議法に対する無関心、会議の軽視等が、種々の具体的事例と関連した検討されなければならないのです。
(四) 数育的な活動の企画と評価
 PTAは、教育的な活動を目的とする団体であることが、往々にして忘れられています。それが政治問題に関連したり、社会運動に発展せざるを得ない場合もたしかにあります。しかし、PTAの本舞台はどこまでも教育にあるのです。しかも、子供たちの幸福のために、親と教師とが相協力してなし得る、又なさねばならぬ教育の仕事なのです。この見地に立って、どのような教育活動をしたらよいか。そしてこれをどのようなプログラムに整理したらよいか、ということが、この際改めて検討される必要があります。PTAの行事がいささか固定化し、常識化して、生気をなくしつつある傾向が見えますが。PTAの教育活動を、かりに大別すれば、次のようになるでしょう。
(1) 児童、青少年の生活指導
(2) 児童、青少年の生活環境の改善
(3) 成人教育
 もちろん、この三つの面は、それぞれ相関々係にあって、別々に考えることはできません。すなわち、スコープの一例に過ぎないのですが、何かこのような大わくのもとに、それぞれの実情に応じたプログラム立案の研究が、もっとつっこんでされる必要があります。そしてこのプログラムが、可能な限りの予算の裏づけを伴って、全会員によって実行されること、かつ実行された結果が、適確に評価されることが大切なのです。評価は、次の活動に活用されなければ、なんにもなりません。最近評価に対する関心がうすらいできたことは、残念なことです。
 生活指導に関しては、学校教育の立場からする生活指導との調和の問題、生活環境に関しては、政治活動や社会運動との限界、成人教育に関してはPTA成人教育としての特色の問題および最近各地で盛んになってきた母親学級や両親学級の在り方の問題が、過去の事実に即して考究されることが必要でありましょう。
 総じてPTAの教育活動は、日常生活の実際と離れては、意味をなしません、生きた問題が採りあげられると同時に、問題の解決が日日の生活の中に見出されなければならず、家庭にある一人の母の生活にも、一社会人としての態度の中にも、ものをいうPTA活動であるためには、どうしたらよいか、じっくり考えてみなければなりません。
(五)経理の合理化
 全国各地のPTAが当面している問題は、経理の問題です。会員の負担過重、経理の不明朗、公費と私費の別、PTAの後援会化、ボスの誘発、貧困家庭の負担と援助等々、PTAに関する問題は大小となく、みな経理問題に関連している観があります。したがって、経理問題の解決と合理化は、とりもなおさずPTA自体の革新を意味するといっても過言でないほどです。
 経理に関する問題は、時間的にも、関係する諸分野の広い点からも、根本的解決は一朝一夕には到底望み難いほど根が深いものです。しかし、認識を明らかにし、考え方を正しくして、経理を合理的にすることは必ずしも困難ではありません。地方財政の窮乏に伴って、PTAへのしわよせが目立ってきつつあるだけに、この問題に対する関心が切実になってきているので、合理化の方向へ舵をとることは、さほど困難ではないかもしれません。
 経理にいろいろな問題が起ってきている理由としては凡そ次のようなことが考えられます。
(1) 教育のための公費が不足である。
(2) この公費の不足を、民間の協力によって補足することが、さほど不思議でも不自然でもないような通念が、国民全体を通じて公私ともにある。
(3) 学校当事者に、学校をよくしたいと思う気持にくらべて、これに要する経費を負担する者の立場を考慮する気持ちが足りない。
(4) 父兄の側に、自分たちが負担する経費の意味とその使途について積積極的に責任を負う気持ちがうすい。
(5) 経理をあずかった者に、これを私する気持ちはいささかもないにしても、負担者である全会員に対して責任をつくすことを、経理事務の上に実証する工夫と努力が足りない。
(6) PTA経理には、公費(本来、公費で賄わるべき性質のもの)と私費の別が明らかでない。
(7) 教育財政の建前と実際とについて、無関心であり、したがって無知である人が多い。
(六) PTAの社会的関連と拡がり
 そもそもPTAは、親だけでできないこと、教師だけでできないことを親と教師の協力によって、一人でも多くの者が手をとり合ってやって行こうとする必要から生れたものです。この精神から考えると、学級活動の良さを生かし乍ら、如何にして学級学年相互の協力を実現するか、一PTAの自主性を堅持しつつ、地域々々で最寄りのPTAが共通課題解決のためにどのような連絡提携したらよいか、小、中、高は、いわゆる六・三・三のシステムに従って―つの有機的体系を持ち、子供はこの一すじの体系の中をすすんでゆくに拘らず、何故小学校のPTAが中学校のPTAへと順当な発展をしてゆかないのか、全県、全国、全世界を通じて、なんらかの形でPTAの精神が一つのつながりを持って子供たちを守り育くむことは出来ないものか等、次から次へ協力の環が拡がってゆきます。さらにまた、PTA相互の関係だけでなく、PTAと教員組合、PTAと教育委員会、PTAと社会教育ならびに児童福祉諸施設、諸機関、諸団体等の正しい関係の在り方、活動の実際問題としては、政治活動や営利事業に対するデリケートな限界、すべてPTAが社会的存在を自覚すればするほど、このような関連性をここから生ずる問題を正しく理解する必要があると思われるのです。
 まだ日本のPTAは、そこまで成長していない、自分の問題で手一杯だと言うかもしれません。然し、成長しているといないとに拘らず、好むと好まないとに拘らず、他からの働きかけには応じないわけにいかないかないし、また逆に、社会における、極端に言えば世界における自己の再発見、再認識が、案外当面するPTA内部の間解決の鍵になるかもしれないのです。
なお別掲表(第四・五表)はそれぞれ各県別のPTA指導上の問題点と、実際の指導事項を列記したものです。本文と照しあわせてPTA研究の素材となれば幸いです。

7 参考資料

(略)



PTA史研究会『日本PTA史』2004, 日本図書センター pp.501-32

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