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PTAは保護者の義務なのか

 近年取り上げられているいわゆる「PTA問題」とは、「強制加入」・「強制参加」という「強制」・「強制『感』」の問題と整理してきました。(「強制のないPTA」とは?
 「強制加入」・「強制参加」をベースに「PTAの活動はイヤイヤでもやらなければならない」という「イヤイヤベース」の活動になっていることで悪循環が生まれています。この悪循環の背景には、多くの人が「PTAは保護者の義務」と、なんとなく信じていることがあるのではないでしょうか。「PTAは保護者の義務」なのでしょうか。

「加入の義務」・「参加の義務」・「保護者の義務」・「会員の義務」

 まず必要なのは、PTAに「加入する義務」と「活動に参加する義務」の整理です。
 子どもが入学するからといって、保護者がその学校のPTAへの加入を義務付ける根拠はありません。
 一方で、そのPTAの会則・規約や内規で委員・役員や活動への参加、「一子一回ルール」や「ポイント制」といった「強制ノルマ制」が義務付けられているならば、そのPTAに加入しているPTA会員に対しての義務の根拠はあります。PTAが義務を課すことができるのはその会員に対してだけで、PTAが会員ではない保護者に対して、何かを義務付けることはできません。
 ここで問題になるのは、もしそのPTAで、委員・役員や活動への参加が義務付けられているのであれば、それを保護者に対して事前に説明して、保護者が了解して加入しているかどうかです。さらに、そもそも、加入の意思確認をせず「自動加入」としているPTAが多いことが問題を生み出しています。
 「PTAに加入することでこのような権利が得られ、このような義務があります。入りますか?」という説明と確認があれば、いわゆる「PTA問題」は生じないだろうと思います。

「義務」と「義務『感』」

 子どもが入学するからといって、その学校のPTAに保護者が加入することを義務付ける根拠はありません。つまり、「PTAに加入することは保護者の義務」ではありません。
 保護者にあるのは憲法で定められている「保護する子女に教育を受けさせる義務」だけです。

憲法26条
1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 保護者がその保護する子どもに普通教育を受けさせることは「義務」ですが、その学校のPTAへの加入・活動参加は「義務」ではありません。
 一方で、「子どものお世話になっている学校のためだから」と「義務『感』」を持って「PTAは自分の義務だから必ず加入・参加しなければならない」と考えて加入・参加することは何の問題もないはずです。
 「義務」ではないことでも、個人が「義務『感』」を持つのは自由ですが、これを「PTAは全ての保護者の義務だから誰もが必ず加入・参加しなければならない」と自分以外の人に「義務」を押し付けると問題があります。
 そこまで強い信念で「PTAは保護者の義務」とまで思っていないとしても、なんとなく「PTAは保護者の〝義務だから〟」と考えている人は少なくないように感じています。このような、なんとなく「PTAは保護者の〝義務だから〟」によってこれまでのPTAが続いてきているのでしょう。

「義務『感』」と「〝義務だから〟感」

 「『PTA問題』の背景」でも紹介しましたが、大塚玲子さんの『PTAをけっこうラクにたのしくする本』では「〝義務だから〟感」という言葉が使われています。

「義務なのにやらない人はズルいよね」 ―いやいやだから,つまらない
 PTAはいま、多くの人にとって〝ただの義務〟であり、「つまらない、やりたくないもの」となっています。(略)
 〝義務だから〟感が強いため、「活動をやっていない人に対する不公平感」も生じます。

大塚玲子『PTAをけっこうラクにたのしくする本』2014, 太郎次郎社エディタス p.12

 あえて、「義務『感』」ではなく、「〝義務だから〟感」という言い方がされていることが、PTAのあり方をとてもよく表していると思います。
 「PTAは保護者の義務」という保護者としての「義務『感』」ではなく、何となく「PTAは保護者の〝義務だから〟イヤイヤでも仕方なく参加するもの」と諦めのニュアンスを含んで「〝義務だから〟感」と言われていると思います。
 この背景には、かなり多くの人が「PTAは親の義務だから必ず加入・参加しなければならない」となんとなく信じていることがあります。

「PTAは親の義務」神話

 「多くの人が『PTAは親の義務だから必ず加入・参加しなければならない』と信じている」という状態のことを「『PTAは親の義務』神話」と名付けてみます。
 「神話」というのは辞書の二番目に出ている意味で使っています。

しん‐わ【神話】
1 宇宙・人間・動植物・文化などの起源・創造などを始めとする自然・社会現象を超自然的存在(神)や英雄などと関連させて説く説話。
2 実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。「地価は下がらないという神話」「不敗神話」

 「PTAが親の義務である」という根拠はないにも関わらず、長い間人々によって義務だと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきたPTA」
 多少大げさかもしれませんし、地域によっては、学校によっては、「PTAは親の義務」と思っている人の少ない、全くいないところもあるかもしれません。
 しかし、PTAを取り巻く言葉の中で「PTAは親の義務」と信じているからこそ使われているであろう言葉があります。それは「ズルい」です。

「ズルい」の源は「『PTAは親の義務』神話」

 「PTAに入り、委員・役員を引き受けるのは親の義務」と考えているから「PTAに入らず、PTAの委員・役員を引き受けないなんてズルい」という言葉が出てくるのだと思います。
 この「ズルい」をなくすためのアイディアとして、「一子一回ルール」や「ポイント制」といった「強制ノルマ制」が発明・導入されてきたのだと考えます。「強制ノルマ制」は全ての人の負っている「義務」を公平に負担するためのアイディアです。
 このような「強制ノルマ制」は「PTAは保護者の〝義務だから〟イヤイヤでも仕方なく参加するもの」という「『PTAは親の義務』神話」の中で、これまでなんとなく成立してきました。

PTAは保護者の義務なのか

 以前は「PTAはその学校に通う子を持つ保護者は必ず入るもの」と思われてきましたが、現在、「PTAは任意加入の団体である」ということが、かなり広く知られるようになってきました。PTAに加入しないという選択をする保護者も増えてきています。
 PTAに加入・活動参加することは「保護者の義務」ではありません。「義務」ではないことを「強制」できる時代は終わったと考えた方がいいでしょう。
 個人が「PTAは親の義務」と信じて「義務『感』」からPTAに加入・活動参加することは全く問題ありません。問題はそれを他の人にも押し付けること、「強制」することです。
 「PTAは何も強制することはできない」という原則をもとに、どうすればいいか知恵を絞る必要があります。
 「ズルい」をなくすためには、「強制ノルマ制」で「義務」を公平に負担するのではなく、加入・参加の「義務」をなくし、「参加してもいい」と思った人で活動できるような運営すれば「ズルい」はなくせます。知恵の絞りどころは、「どうしたら『参加してもいい』と思ってもらえるか」ではないでしょうか。
PTAに加入・参加することは、保護者の「義務」ではなく「権利」です。PTAに加入することで、どのような「権利」が得られるのか、会員になることでどのような「義務」を負うのかを明確に説明して、加入してもらうことが必要です。
 PTAに加入することで得られる「権利」とは「活動に参加する権利」だけでしょう。加入して参加したいと思えるような魅力ある「活動」と、加入しても差し支えないと思えるような最小限の「義務」にすることが必要だと考えます。

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