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父母と先生の会 —教育民主化への手引—(一九四七年三月文部省)

一、趣旨と目的

 子供達が正しく健やかに育って行くには、家庭と学校と社会とが、教育の責任を分けあい、力を合わせて子供達の幸福のために努力していくことが大切である。子供達は国の宝であると言われているが、国や社会が栄えて行くということは、この子供達が私達よりよくなって行くことである。どこの国でも子供の問題については非常な注意と努力とを払い、理解をもつことに努めている。子供の問題に関心をもつことは国や社会をよくしていくことに結びついてくるので、それは同時に社会改良運動への第一歩ともなり、また私達の生活の水準をあげてゆこうとする運動ともなるのである。
 子供達のためにつくすのは、まず子供の生活や気持や性質を充分に理解することが必要である。それから子供達が学校でどんな教育を受けているか、学校の外でどんな日常生活を送っているか、つまり、子供達が生活している環境を知らねばならない。学校で教えられ、しつけられたことも、社会が悪ければ、つぎからつぎにうちこわされていって先生の努力も空しくくずれていく。家庭は子供達がその生活の大部分を送っているところであるから、そこで子供達が受ける影響は非常に大きい。ところが現在の実情はというと、この子供達に影響を与えるこの学校、家庭、社会という三つの場所がお互に密接な関連をもたず、みんなばらばらになっていることが多い。
 これでは子供達の教育が充分に実を結ぶことは出来ない。この三つの場所がお互に連絡し、子供達に与える影響を考えあって補い合うことが何よりも必要である。そして子供達にいろいろ要求するのみでなく、子供達の幸福のためにどうすれば一番よいかを真剣に考えてその実現に努力して行く、必要とあれば子供達の保護のための法律や規則を、国や公共団体につくってもらうように請願する。必要な施設を増設してもらう、娯楽や厚生の仕事を進めてもらうとかいうように、強力に活動をする責任があるのである。これは明日の日本、民主主義日本をつくりあげて行くために、是非私達がしなければならぬ仕事の一つではあるまいか。
 それではどんな具合にこの仕事を始めたらよいであろうか。

二、「父母と先生の会」をつくろう

 学校と家庭と社会とが一つになって子供達の幸福のために尽していく組織が必要となって来るし、このような組織が出来上って始めて子供達のための仕事が具体的に進められるのである。今迄も学校との間には、それぞれ父兄会とか母姉会とか、後援会とか、保護者会とかがあって、学校と家庭とのつながりを持つことに努めて来た。定期的に学校へ集って子供達の教育やしつけの話を聞いたり、授業の参観をしたり、その他子供達のことで打合せなどをしているが、それらの多くのものは学校設備や催しの寄附や後援をすることがその主な仕事であって、本当に子供達のための仕事をしていくことが少なかったように思われる。学校の先生方からいろいろ説明をきき、注意をうけ、依頼をうけるという具合で、父母の方は常に受身になっていて、積極的な活動をすることに欠けていたと思われるのはまことに残念なことである。
 そこでこれからは、今迄の父兄会などのやり方を充分反省し、父親も母親も一緒になって、もっと実際的に力ある立派な組織を作る必要がある。それには今迄の父兄会や母姉会や後援会等をどうすれば生々としたものにすることが出来るかを父母や先生が充分考えることである。先生が中心となった会ではなく、先生と父母が平等な立場に立った新しい組織を作るのがよい。これが「父母と先生の会」である。各国民学校や中学校にこの会が設けられて、子供達、言い換えれば、児童生徒の問題が、真剣に取り上げられるようになればどんなによいことであろうか。

三、「父母と先生の会」をどうして作るか

 「父母と先生の会」はその名称のように、学校の児童生徒の父母とその学校の先生方が、その会員となるのであるが、児童生徒の父母に限らず子供達の問題に関心を持っている人々が参加することは差支えないのである。「父母と先生の会」を作るにはこれらの人々の中の誰かが中心となって、話をまとめていく必要があるが、父母の中で適当な人がこの会の趣旨を充分説明して会員をつのる運動をおこすのも一つの方法である。あるいは学校の先生が中心となって父母に働きかけるのもよいし、学務委員等が中心となってまとめていくのもよいが、現在の実情からいうと、学校の先生方が先頭に立って、組織化をすすめていくのが一番早い方法ではないかと思われる。
 何れにしても誰からでもよいが、この話がもち上って、会の設立のきっかけが早く出てくることが望ましい。そのためにはこの会の趣旨が充分理解されて、民論に依って下から盛り上る力でつくられることが何よりも大切である。そこで「父母と先生の会」の設立については充分に意見をたたかわし、質疑を交換し、さて、それではつくろうということに意見の一致を見たならば、そこではじめて「父母と先生の会」の組織にとりかかることとするのである。このように「父母と先生の会」をつくることが決定されたならば、父母や先生の中から発起人を選んでその仕事に着手することとする。すなわち、「父母と先生会」の準備会を開催することとし、その日時と場所を定めて、これを広く広告し、当日、多くの人がこの催しに参加するような手配をする。
 さて、当日の会合では、父母側からでも、先生側からでもよいが、発起人の中から適当な人を座長に選んで議事を進める。そして会の目的や規約や事業等を決定するとともに、会長、副会長、書記、会計等の選挙を行なって、ここに「父母と先生の会」の骨組ができ上るのである。このようにして骨組ができたならば、学校在籍の児童生徒の父母全部に対して会員の募集を始めることとする。会員は強制ではないが、学校の先生と児童生徒の父母の大部分が参加することとなるであろう。
 会長その他の役員は選挙で決定するものであるから、会長は父母の側からでも、先生側からでも、最も適当な人が選ばれなければならない。「父母と先生の会」は完全に民主的な団体であるから、学校の先生だけが指導するようなものであってはならない。父母も、校長も、先生も、有力者も、平等の立場で会員として参加し、会の運営を民主的に進めていくこととするがよい。
 「父母と先生の会」は、各学校毎に組織されるのであるが、学区の広さやその仕事の便宜からして、住居地域をまとまりやすいグループで、部班組織をつくることも実際上必要だと考えられるから、土地の実情に応じてそれぞれ工夫したらよい。とくに中等学校のように通学区域が比較的拡っている場合には、この部班組織は大いに必要と思われる。

四、「父母と先生の会」はこうして運営しよう

 「父母と先生の会」ができたならば、会で取り扱うべき問題を研究し、会員の意見に依ってその年度の具体的な事業計画をたてることとする。例えば、「父母と先生の会」として児童教育や保健問題やその他社会問題、時事問題、経済問題などについて必要な知識と教養を身につけるために、講演会や講習会や、討論会等を開催したり、教育映画を観覧したり、娯楽会その他の催しをしたり、学校設備その他の改善や、児童生徒の厚生、福利施設等について具体的に計画してその活動を開始する。必要に応じて、栄養その他の研究会や発表会や、いろいろな調査の展示会等を催すのもよかろう。また専門の講師を委嘱して教養をたかめることも大切である。また父母と先生との打ち解けた懇談会や慰安会を催すのも結構である。要するに会員である父母と先生とが充分この会を利用し活用できるような事業内容を盛ることが必要である。
 会合は月一回位が好ましいが、地方の実情によって適当に決定すればよく、農村等においては農閑期の利用につとめることも必要である。
 こうして不断に父母と先生とが密接に連絡していると、父母の方は自分達の子弟の学校教育に対する関心がたかまり、子供達がどんな教育を学校でうけているかも解り、新しい教育法も次第に理解できるようになる。
 また学校の先生達も学校外における児童や生徒の生活や行動について関心も深くなり、子供の個性も明瞭になって、児童生徒の教育について両親と先生達の協力が強められることとなろう。「父母と先生の会」は児童生徒の幸福を中心として運営されるべきものであるから、この会は政治的な色合を持つとか、一宗一派の宗教的勢力に支配されるとか、身分や地位や経済的な差別に依って色づけられてはならない。またそれと同様に営利を目的とする会でもないのであるから、これらの点について充分留意することが肝要である。

五、「父母と先生の会」の経費はどうしてつくるか

 「父母と先生の会」を運営するとして、誰でもまず考えるのは経費の問題である。それではその経費はどうしたらよいか。
 この会は経済的な身分に依って支配されるものではない。会員から多くの経費が徴収されるものであったり、負担が過重になったのでは次第に門戸が閉ざされてしまう。さればといって補助金や寄附金にたよって仕事をしていくことは民主主義的ないき方ではないから、その経費は会員たるものが工夫し捻出する。経費を生み出しつつ仕事をしていくことを考えるがよい。
 一部の寄附にのみたよらず、会として適当な事業を行なって、これによる収入で運営していくのもよい。そして個人の経済的負担をできる限り少なくする工夫が必要である。しかし収入をあげるとしても、この会は営利団体ではないのであるから、かかる弊に陥らないように注意することは勿論である。その方法としては会員がいろいろ工夫するのがよいのであるが、ここに一、二の例を参考としてあげてみよう。
(イ) 家庭からいろいろの不用品を持ち寄ってバザー等を開催して、その売上金を資金にあてる。
(ロ) 「父母と先生の会」の主催で農産加工、手芸、服飾、栄養等の講習を開いてその収入を資金にする。
(ハ) 「父母と先生の会」で演芸会、映画会、音楽会等を開催しその実収入で活動をする。
(ニ) 学校エ場や生産所等を利用して、手芸や藁工品や、地方玩具、その他の製作にあたり、その実収入の一部を資金にあてる。
(ホ) 「父母と先生の会」として公共団体の調査その他の仕事の下請をする。
(ヘ) 「父母と先生の会」で郷土物産の市場を直営して、これらの純益を以て資金にあてる。
 これらは一、二の例であって、何処にでもそのままあてはまるというわけにはいかぬが、要は経費を一部から仰ぐことをやめて、皆で労力を提供して事業費を得る方法を考え、会員がその負担の重さのために一部の余裕あるものに限られたり、その事業が会員の全般に公開されることがさまたげられないよう気をつけてほしい。

六、「父母と先生の会」ができるとどんな利益があるか

(1) 学校の設備が充実するようになる
 学校教育が充分に行なわれるには学校の設備ができ得る限りととのうことが必要である。学校の先生達がどれ程努力しても、教育の設備が不完全であったり、その資材が不充分であっては、先生方の努力も実を結ぶことはできない。「父母と先生の会」ができ上ると、教育に関する民論もたかまり国や自治体がこのために多くの経費を計上するような強い気運をつくり出すことができ、また必要に応じては当局に請願したり、運動したりする中心が生まれる。また「父母と先生の会」自身で国及び自治体の予算の外に学校改善のために資金を調達することも可能となる。例えば学校の図書室を整備するため、図書を持寄ったり書籍を購入する。ラジオ受信機を増加して学校放送の充分な活用を図る。蓄音機や映写機の購入に協力して、児童生徒がよい音楽をきいたり、教育映画を見ることができるようにするとか、あるいはまた学校の工作室をととのえて児童生徒が充分に実習や実験ができるようにすることもできる。このように国民の全部が教育に関心をもって、児童生徒の幸福のためにはかることができるようになる。
(2) 義務教育をうけるべき子供が全部就学できるようにする
 新しい憲法は、国民はその能力に応じて、等しく教育を受ける権利が与えられることとなったが、家庭の実情や経済上の問題で就学できない児童生徒ができたのでは、折角与えられた権利が空しくなる。そこで「父母と先生の会」ではこのような学校へ通えない者、あるいは経済上の理由で学校を休んだり、中途退学をしなければならないような児童生徒をなくすために、関係方面と交渉したり、その経費の計上を請願したり、それらの児童生徒等の世話を見たりして、全ての児童生徒の就学を促進する。またこのような問題で困っている家庭の世話を引受けたりするし、困った家庭はこの「父母と先生の会」へその旨申し出て相談することもできるのである。
(3) 民主主義の教育が理解できるようになる
 このたび学校制度が改革されることとなり、民主主義国家にふさわしい学校教育が行なわれることとなった。従来の学科目の内容も変り、教科書も新しく書きかえられ、討論法や自由研究が取り入れられ、学校放送や其他の新しい教授方法が大に利用されることとなった。また希望する学校において男女共学が実施されることとなった。こうして父母がかつて習ったのとは異った学校教育を今の児童生徒は受けているのである。そこで教育に理解をもち、学校の先生と教育の責任を分かち合うためにもどうしてもこれから行なわれようとしている教育内容や方法への理解を深めていくことが必要となってくる。
 従来、両親の多くは自分達の子供が学校で何をしているか、どんな教育をうけているかを知らず、自分の子供本位にものを考えたり、教育に理解がないために自分勝手なしつけや指導をしたりして、学校の教育を無自覚にうちこわしていることが多い。子供は学校と家庭とでちがった指導をうけて、どうしたらよいか去就に迷ってしまうことになる。先生もまた生徒の学校外の生活や家庭の状態を知ることにより、学校教育を更に一層完全なものとする材料がえられる。このように「父母と先生の会」によって、父母と先生が子供の教育について一致した考えをもち、よりよい教育の実をあげるために協力するようになろう。
 父母は「父母と先生の会」によって自然に学校教育に興味と関心とが持てるようになり、教育問題について先生方と談じ合ったり、また実際を見学したりする機会に恵まれて、家庭での学習の指導に非常に好都合になる。
(4) 自分達の知識や教育を身につけることができる
 子供達の新しい教育を理解するには、父母が集まって研究したり、見聞を広めたり、討論しあって、自分たちの知識なり、教養なりをたかめていかなければならない。民主主義日本を建設するには、国民全部が民主主義とはどういうものか、民主主義的な生活とはどんな生活かを理解するために勉強することが肝要である。その方法として、例えば両親学級や、講演会を開いて時代に遅れないようにする。その際、児童心理や児童の発育等の問題の研究は、忘れてはならないことのひとつであって、このような研究研究をつんでくると、子どもに対しての正しい理解とそれに基いた正しい指導ができるようになろう。また先生方も新しい時代に生きていき、正確な知識と教養に基いた教育をするには、たえず研究と努力とが必要なのであるから、この会を通じて父母とともに自分を高めていくことができるのである。
(5) 児童生徒をよい環境の中におくことができる
 学校でいくらよい教育をしても、社会がよくならなければ、子供達は周囲の環境に引きずられてしまう。世の中には、いろいろ子供達の教育からいって、面白くない事情がなくはないし、社会に出るとさまざまの誘惑がまちかまえていて、放任しておくと社会の悪に子供達は染まっていく。この青春期の少年や少女を常に指導して、人世の行路を踏み誤まらしめないことは大人達の重大な任務であろう。そこで「父母と先生の会」が中心となって、環境を良くしていくためにいろいろ工夫するとともに、好ましくない事や現象を少しでも無くしていくことに努める。「父母と先生の会」はこのように社会の支柱ともなり、正しいことや良いことが促進され、不正と悪が駆逐されるための有力な発言者となることができる。例えば児童生徒のために有利な図書や映画や紙芝居、幻灯等の普及の促進運動を起すとか、反対に好ましくないものに対しては「父母と先生の会」の名で警告を発するとか、風紀の改善や各種施設の改良等に協力し、社会の環境をよくすることによって児童生徒を保護することもその大きな仕事と考えられる。更に児童生徒の幸福の増進のために子供の会やお話会や遠足や、運動会を開倣するとか、あるいはまた児童生徒のための学芸会、映画会等を行なうこともよければ、更に児童図書館、遊園地、会館等の設置を民論としてたかめ、当局に運動することもよい。かくて良き環境を作りあげていき、一方不良化を防止するため、各方面の注意と協力とを要請することもできるであろう。
(6) 児童生徒の保護対策をたてる気運が生れる
 児童生徒を各種の危険、災害より防止し、その保護に努めることは「父母と先生の会」の最も重大な仕事の一つである。少年保護法その他これに関した法律が公布され、また公布されんとしているが、これらの法律が正しく実施され、適用されているかを「父母と先生の会」において充分監視することが必要である。更にまた保護対策について現在の実情を充分に研究、調査を進めるとともに、将来必要な手段を講ずるとか、場合によっては保護立法等について「父母と先生の会」の名で当局へ進言し、民論をたかめていくことが必要であって、そのためにも、このような組織が全国にできることが望ましいのである。発育盛りの少年少女の栄養のための各種の配給への考慮や、年少の少年少女の危険な職業からの保護、年少労働者保護のために、その年齢の引上等、社会問題が複雑になるにともなって、年少者保護対策は今後益々重要さを加えると思われる。これらについてもこの会のもつ社会的意義は大きい。
(7) 先生の生活を保護することに協力できる
 教育者がその天職である教育に専念することができるためには、国家や自治団体において教育日本の再建のために、いかに重要であるかを充分に認め、教育者の生活を保証することが何よりも必要である。この点から教職員の待遇改善の機運を促進することが第一要件であるが、これらの物質的援助ばかりでなく、教育者の日常生活が、潤ある豊かなものとなり、先生という職業が社会から尊敬されて、明るい希望に充ちたものとなっていくことが望ましい。
 ところが現在の先生の経済生活、社会生活が、他の人々の生活に較べて恵まれていないのみならずその努力が社会から報いられるところも少ない。「父母と先生の会」として、児童生徒の教育を分担している教育者に対して、もっと感謝の運動を興するとともに、教育者の生活を愉快なものとするために努力をする必要がある。そうなれば先生方も教育者としての自覚を一層たかめ、教育の責任を痛感して尊敬されるに価するものとなるために、ますます努力するようになろう。「父母と先生の会」はこの意味において、両者が緊密に結びつくことに大いに役立つのであって、この教育者の生活問題を解決していくのに「父母と先生の会」はまことに重要な組織であるといえよう。
(8) 先生からいろいろ社会教育に協力してもらえるようになる
 子供の教育は学校のみでなく、社会や家庭でも行なわるものであるから、学校の先生達には学校教育と同様に、学校外においても教育に大いに協力して貰う必要がある。先生達の方からも進んで社会の公僕として、社会生活を指導する仕事を分担しようという気持がでてくる。自治体の学校であるから、この先生達に、市町村のために今迄以上に父母と一緒になって働いて貰うきっかけが、この「父母と先生の会」から生れてくると思う。社会教育について学校の先生にお手伝願うべきことは非常に多い。
(9)保健衛生の状態がよくなる
 子供達が健康であることは、両親の最大の幸福の一つである。そこで子供達が常に健康を保つよう気をくばることは、「父母と先生の会」の一つの仕事である。それには自分達の市や町や村の保健衛生状態を充分に調査し、保健衛生のための施設を整備して、市町村全体を健康なところとすることが大切である。そして必要に応じては当局に申し出てこの方向に国や自治団体に大いに努力して貰う。また巡回診療所を開設したり、保健婦を置くとかあるいはまた講習会等を開いて、病気の予防、早期発見、応急手当等について習ったり、健康増進や、衛生について相談をしたり、公衆衛生や衛生思想の涵養に努めたりする。更に学校衛生や医療設備の整備など子供達の保健衛生の設備について、国や公共団体の関心をたかめて適当な方法を講じて貰う運動をおこすこともよい。このように「父母と先生の会」を通じて子供達が幸福になるとともに、各自が保健衛生問題について注意をするようになって、その結果、流行病その他の病気も減少し、市や町や村の衛生設備も次第にととのって、保健衛生状態もよくなっていき、皆が幸福になれる。
(10) 学校給食をうまく実施できる
 学童に対して学校で温かい昼食を供給することは、発育盛りの少年少女に必要な栄養を補給する上からも是非とも願わしいことである。とくに貧困な児童に対してこれがどれ程明るい気分を与えるかしれない。活発な子供をつくるには何よりも栄養を与えねばならない。学校給食に関しては学校でそれぞれ工夫しているが、この学校給食を「父母と先生の会」が中心となって世話をし、父母が先生とともに献立や調理に当るようになれば、栄養その他からいって好ましい給食ができるとともに、心からの暖かい、柔らかな雰囲気が生れてくるであろう。また学校で食事の作法や正しい食事のとり方を習うことは、同時に家庭での作法や手伝いへの指導ともなり、父母にとっては子供の栄養についての合理的な知識を得たり、合理的な調理法を習得するよい機会ともなるであろう。
(11) 学校が美しくなる
 教育にはその環境が大なる影響をもっている。整頓された教室、掃除の行届いた校舎、清潔な校庭、手入れの行届いた花壇は、そこで育っていく児童生徒の心をも美しく豊かにする。荒れはてたまま放置された校舎や校庭は、児童生徒の心を荒ませるばかりである。「父母と先生の会」では、校舎や校庭の美化に心をくばり、その修繕や改造について材料を寄付したり、それぞれの職業を通じて労力を提供する。少しの工夫と手入れで教室は見違えるように美しくなり、なごやかになる。父兄の中には、大工さんもいるだろうし、建具屋さんもあれば雑貨屋さんもいる。このように児童生徒の父母は、あらゆる職業についているのであるから、皆でやる気持になれば、一つずつ品物を寄付したり、学校のために働いたりして、学校を美しくし、改造することがたやすくなる。これは「父母と先生の会」の楽しい仕事の一つであろう。
(12) 児童生徒のために学校外で娯楽のプログラムを作れる
 児童生徒が校外で楽しい生活ができるように「父母と先生の会」が中心となって世話をすることは大へん望ましいことである。児童生徒が健全な社会人になるためには、豊かな情操を身につけることが大切である。それには娯楽が大きい役割を持つし、また各種のスポーツは社会人としての節度と生活の訓練に寄与するところが大きい。
 そこで「父母と先生の会」で空いている教室を模様替して、娯楽室を作ってやることもーつの方法だが、いろいろの材料を心配して、子供達に工夫させれば一層よい。できれば学校に工作室等を付設して、そこにいろ色な手工器簡単な機械を整備して、ちょっとした工作や手芸もでき、更には児童生徒の手で家庭の日用品の修理も行なえるようにでもなれば、教育と実用とをかねて一石二鳥といえよう。また校外教育のために通学区域を中心とした少年のクラプを作って、楽しい集いをあたえるとか、お話会や音楽の会やスポーツや学習の会その他趣味の会合を組織して、それぞれの個性を素直に伸ばしてやることも「父母と先生の会」としてふさわしい仕事であろう。
(13) 児童生徒の職業指導の役に立つ
 各自が自分の才能と個性に適した戦業に従事できることは人生の大なる幸福である。自分の仕事に興味を持ち、自分の能力を伸ばしていけるならば、人生は常に明るく楽しい。自分の職業に興味がなくて、それに全力を傾けることができなかったり、自分の仕事がその職業の外にあるような気持でその日を暮すとすれば、人生は張合がなくなり、世の落伍者となるであろう。職業はこのように人の一生を支配するものであるから、職業の選択にあたっては充分にその本人の個性を調査し、能力を見きわめて、適材を適所に生かすよう心掛けなければならない。それには将来の日本の産業再編成や生産部門などへの充分を見通しをつけながら、職業指導等について、充分に専門家や先生方と研究し相談し、子供の個性と能力とを明らかにして、最も適した職業を選ぶことのできるように「父母と先生の会」が職業指導所その他と充分連絡を保って、この方面に大いに努力することが期待されるのである。また夏期休暇その他を利用して、その大体選択された職業に従って、職業指導所で実地に実習教育をする斡旋を「父母と先生の会」を通して効果的に実行することができる。
(14) 父母と先生との間柄が親密になる
 児童生徒のことで、父母と先生とがたえず会合する機会や相談する回数が多くなると、双方の親しさが自然に増してくる。今迄は父母と先生とはともすると充分に知り合っておらず、また知りあっていても自分の子供を先生によく思われよう、悪く思われまいとして本当のことを打明けて相談するということをせず、何か儀礼的な面が少なくないように思われる。これではいけない。他人に対する思わくと見栄から、よそよそしい交際ではなくて、打ちとけた談合の機会が父母と先生に多くなることは、子供達の教育の上にどれだけ貢けんするか知れない。この打ちとけた気分は、やがまた先生の児童生徒に対する美しい愛情となって、学校教育への尊い収穫ともなるであろう。
(15) 会員相互が親しくなってお互に助けあう気持が出てくる
 父母と先生の間ばかりでなく、学校に通っている児童生徒の父母達の間も、「父母と先生の会」によって、親密さを増すようになる。子供は感化され易いものであるから、友達次第でよくもなればまた悪<もなる。だれでも自分の子供はよく思いたがり、自分の子供本位に物事を考え勝なものであるが、自分の子供が友達に悪い影響を与えているかも知れないし、また悪い友達があれば何時の間にかこれに感化されて、知らぬ中にとりかえしのつかぬはめに陥ることにもなる。だから人の子供を可愛がり面倒を見ることは、それがやがて自分の子供を可愛がり、よくすることになる。自分の子供がよくなれば、その友達もよくなり、その友達によい感化をあたえて、その父母から感謝されるようにもなる。だから会員である父母達が子供の教育について先生を交えて語り合い、親密になればなる程、子供達をお互いによくすることに励み合い、協力する気持がわいてくる。学校を単位とし、子供を中心とした「父母と先生の会」は一つの社会機関として利益関係を離れた生々とした娯楽の場所ともなるであろうし、またこの親密さの中から、気の毒な人を助け、苦楽を分ち合おうという気持もまた自然に生れてくるであろう。

七、むすび

 このように学校の児童や生徒の幸福の増進を目的として組織された「父母と先生の会」は、子供の幸福のために働き、いろいろな施設をなし、そのためにならない状態をとりのぞく。したがってそれは学校のある市や町や村を、つまり社会を浄化して改良していくことにひろがっていく。自分の子供のことを考えるとともに人の子供のことを考える。自分の家庭のこととともに隣人の家庭のことも考慮する。自分のこととともに共同体である市町村のこと、社会のことを心にかける。市や町や村がよくなることは、自分がよくなることであり、自分の子供が健全に明る<、希望に充ちて幸福に育っていくことである。また子供がよくなるには父母が立派になり、家庭の生活が向上し、大人の世界が健全にならねばならない。私達のために社会を正しくしていく、教育的でないものを社会から取りのぞいたり、教育になることを社会へ奨励したりする力と権威がどこかになくてはならぬが、「父母と先生の会」は、まさにこのための絶好の組織であろう。学校を単位とした「父母と先生の会」がたくさん出来上り、これが市町村毎に、更に府県毎に連絡をもった大きなまとまりとなって拡り、最後に全国父母と先生の会協会が設立されるようになれば、「父母と先生の会」は非常に活発な活動をくりひろげることもできるし、大きな力となって教育の振興に、更には社会改良運動に貢けんできるであろう。民主主義の、新らしい日本、美しく、楽しく、住みよい日本をつくりあげるための一助として、私達は「父母と先生の会」を作り、力強い活動をこれから始めようではないか。

社會教育聨合會編『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』1947年6月 印刷局発行

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