見出し画像

もし脚を切っていたら、全部を憎んでいたかもしれない ~5歳で経験した小児がん~

現在中学3年生。5歳の時に骨肉腫※1を発症。小学5年生で延長型人工関節を入れ、半年に1度人工関節を伸ばす手術を受けている。

※1 骨肉腫は骨に発生する悪性腫瘍(がん)の中で最も頻度の高い代表的ながん

がん情報サービス

病気に気がついたきっかけは“脚の痛み”

本人:当時僕は5歳で、幼稚園に通っていました。自分で言うのもあれなんですけど、元々運動が得意で持久走で1位を取っていたんですよね。でも急に脚が痛くなり始めて、得意だった持久走も全然走れなくなっちゃって。外から来る痛みっていうより、中からズーンっていう感じの重い痛み。とにかくお母さんに「痛い痛い」ってずっと言っていたのを覚えています。

―小児がんと診断されたのは3カ所目の病院だった

母:いろいろ調べてもしかしたら骨肉腫かも…と少し思っていたのですが、骨肉腫は、結構上の世代がなる病気らしく、診察にいった病院では「幼稚園生がなるなんてあまり考えられない」って。全然病名が判明しなくて、ずっとモヤモヤしていました。
本人が苦しんでるし、膝のあたりが少しずつ膨らんでくるのが分かったので、早くどこかに行って早く何かをしなくちゃいけないんだけど、実際どうしていいのか分からなくて。
「ここで最後にしよう」って行った3カ所目の病院で、やっと病名が分かりました。それまでの病院ではずっと「大丈夫ですよ」って言われて来たのに、その時は先生たちの反応が全然違って。心がついて行けませんでした。本人の前では泣かずにいたけど…実際はもう、頭真っ白な感じでしたね。

―自身はその時、どのぐらい状況を理解していましたか?

本人:その時僕は、全く何も分かっていませんでした。父も母も、僕の前ではすごい笑顔だったので。5歳の子どもだった僕に母が「体の中に(当時好きだった)ウルトラマンの悪役がいてイジワルをしてるんだよ」と、病気のことを話してくれました。

ウルトラマンべリアルのフィギュア

提案されたのは“脚の一部を切断し足首を付け替える”外科手術

母:診断を受けた病院で提案されたのは、“がんのある脚の一部を切断して、足首を付け替える手術”でした。“ローテーション”と言うのですが、その手術を受けると、膝の下あたりに足首を前後反対に付けて、義足を装着することになります。私はこの方法をできるだけ避けたいと思っていました。5~6歳という年齢で、息子の理解も難しいと思ったんです。
希少ガンで症例が少ないので、それなりの経験のある先生でないと任せられないと思い、遠くは石川県の病院にも話を聞きに行きました。

―息子にとって最善の治療方法

母:必死にいろいろ聞いて回って最終的に、都内のがん専門の先生に、脚を切らない方法で手術をしてもらうことになりました。
抗がん剤を始めてから手術しなければいけない時期が決まっていたので、いろいろ理解した上で治療を選択するには、本当に時間がありませんでした。

本人:手術は無事に成功して、その当時(小学一年)はすねにセラミックスペーサーを入れ、膝は関節がないのでうまく動かせないので、太ももから足首までの補装具をつけて生活をしていました。

入院中、大好きなウルトラマンも勇気を与えてくれた

抗がん剤で髪が抜けバンダナで隠そうとしたときに言われた言葉

母:小学校に入学するときは髪の毛がない状態で、車椅子で学校に行っていました。幼稚園が同じだった子たちが、久しぶりに会って髪の毛が無かったらびっくりするかなと思って、校長先生に、「やっぱりバンダナとかニット帽をして行った方がいいですか?」って聞きました。そうしたら、校長先生が「なんで隠す必要があるんですか?息子さんは息子さんのままでいいじゃないですか」って言われて。その言葉が、すごくありがたかったです。

小学校入学時

本人:僕としては、その時は別になんとも思ってなかったんですけど、いろんな女の子に頭を触ってもらえて、今考えたら「あれはよかったな」と思ったりします(笑)友達がヤキモチを焼いて坊主にしたエピソードもありました(笑)

―いまも通院は続いているのでしょうか?

本人:そうですね、半年に1回ぐらい。採血とレントゲンをして、主治医と話しています。

母:小さい頃は装具を付けていたんですけど、小学5年生からは、大人用の人工関節を入れました。最大7cm伸ばせるものになっていて、身長が伸びるのに合わせて半年に1回、人工関節を伸ばす手術をするんです。1回の手術で1.3cmほど伸ばせて、今まで3~4回手術をしてきました。なのであと最大で3cmほど、伸ばせることになります。右脚と左脚とではやっぱり、太さも長さも違うんですよね。これからも通院はずっと続きます。

僕にしかできないことがたくさんある。将来の夢は“お医者さん”

本人:僕にしかできないことが、本当にたくさんあるなっていうのを実感していて。「足がもうダメだ、じゃあ手だ!」って言ってピアノに打ち込んで、ピアノで優勝できたり。それで得られた経験の方が多いんですよね。今回のインタビューも、僕が話すことで、少しでも誰かの安心に繋がったり、役に立てたらいいなと思います。

―将来の夢

本人:僕には小学校6年生から、“お医者さんになりたい”っていう夢があります。理由は、自分が医者になって、病気と闘う人に「自分も“がん”だったけど大丈夫だったよ」って言ってあげられたら、本当に安心するだろうなって思うから。
そのためにも、今は受験勉強を頑張りたいです。あと、恋愛がしてみたい!!!

母への気持ちは(恥ずかしくて)言えないけど…

―お母さんに対しては今、どんな気持ちがありますか?

本人:いや、ちょっと言えないかな(笑)だけど、お父さんから口を酸っぱく何度も、「お母さんはすごい頑張ってる」って言われてきて。だから、すごい僕のために頑張ってくれて…それが今はちょっとお節介になったりウザイんですけど(笑)
 
全部含めて、そういうのがいいところなんじゃないかなって思ってます。
脚のことも。もし脚を切っていたら、病院の人も親も、全部を憎んでいたかもしれない。

治療法を選んでくれた母には、本当にありがとう、と思います。

~ゴールドリボンウオーキングは2007年東京からスタートした小児がんの子どもたちとそのご家族を応援するチャリティイベントです~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?