ゲームソフトの物理的なサイズについて
昔の話だ、ゲームソフトはカセットだった、今では某課長の挑戦などでしか見れない歴史的遺物になりつつある。
思えば今は”そもそも物理的にはソフトが存在しない”時代になった様に思う。
”データ”の時代だ、物としてのソフトはインターネットからデータを取る為のパスになりつつあるのだ。
そこで歴史を語っていこう、ゲームと容量の歴史だ。
16ビット、これはスーパーファミコンの容量だ、ファミコンからの進化として当時の人々はこれに期待を寄せたものだ。
まあビット数が高い=優れている自体が旧時代的な考えであるが、
(ビットとは一度に使える数字の数、一定以上になるとそれより処理速度の方が重要になってくる、私達の実生活で京や垓なんて桁が殆ど使われないのと同じだ)。
だがビットに限らず、ハードが新しくなればゲームに使える容量は飛躍的に増えていったのだ。
過渡期のものしてはカセットが巨大化した時期もあるが、
間も無く、ディスクの時代が訪れた。
許される容量の限り、ゲームの表現は様々に進化した。
当時ですらまだ、ゲーム製作とは使える容量との戦いであった。
ディスク初期の話だが、一つのゲーム作品の為に数枚のディスクを必要とする時代があったのだ。
そしてディスクもどんどん進化して新しいディスクが現れて……
時は流れた、今はダウンロードの時代だ。
物質によって容量を制約される時代は終わった。
すると起きた事は、ゲームソフトの極小化と物理的消失である。
最新のゲームはもうペラいカートリッジなのだ、もしくはソフトを販売する事自体をネットに委ねて行ったのだ。
それには様々な是非善悪・悲喜交交があっただろう。
中古ショップの危機、専門店の劣勢。
データの制約からの解放による様々なゲーム作品の登場、地域格差の消滅。
オンラインゲームの台頭、ソーシャルゲームの登場。
ここで語るにはあまりに多くの事が起きた、時は流れたのだ、良い事もあった、悪い事もあった、あるいは悪くはないが昔の方が良かった事もある。
一人のゲーマーとして、私は良い事を見て生きていこうと思う。
何だか懐古的になったところでお別れだ
長いお付き合いをありがとうございました
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