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遊びのなかで何が育っているか?~子どもたちとの時間で気づいたことVol17


今日は私の家族、息子の日常から感じたことです。

中学3年、高校受験を終えました。

高校は、自宅から離れた場所にある学校を選んだので、
生活する場所も私たち家族と離れることになります。
最大限、本人の希望や意思を大切にしてきたのですが
慣れるまで不安もあるだろうな とか、朝起きられるのかな とか
思ってしまうのも親の刹那です。
学校を選ぶ過程で、生活の事も含め色々話し合い、
本人が選択してきた道だけれど
私自身がができるサポートを、遠くであっても寄り添いながら
していきたいなと思っています。

こうして成長の過程で、
物理的な距離感、心の距離感、必要なサポートも変化していき、
私たち親にとっても、育てられている・・・というのが、
子育ての醍醐味なのかもしれないなと日々感じています。


受験だけではないですよね。
新しい学校生活、転勤する人もいれば
新しく社会人になる人もいます。
楽しみでもあり、緊張もあり ですよね。


息子もそうでした。

受験を終えた後の、身体も心も緩んだあの様子を見ていたら
これが本来の姿なのだろうなぁと感じます。
みんなそれぞれの場所で、それぞれの日常で、
こうして受験という仕組みに向き合っているのだろうけれど

    誰でも学びたいと思った場所で
    自分の意思を尊重されて
    学ぶ権利を存分に得られる

学力だけで、未来が決まっていくことのない仕組みになっていくといいなと
受験生を2人の子どもを通して見つめてきて、思う一人です。



受験を終え 友だちとの時間から


受験を終えたその日。
『次の土曜日さ、〇〇たちとボーリングに行ってくる』と予告がありました。
夏休みや冬休み、テストが終わったタイミングにも誘われていたのですが、予定が重なったり、特に冬休みは受験前で、自分の気持ちにも余裕がなく、
『次の時に』と言っていたようです。


友達と計画して、あっという間にスケジュールが決まったようでした。

遊びの予定は、最初から最後まであっという間に
”パズルのピースが埋まるように決まる” 大人も子どもも一緒ですね。


ボーリングの日は、シャキッと起きてシャキッと出かけていきました。
隣町に出かけたのですが、友達とバスに乗り
帰りの時間もしっかり予告通りに帰ってきました。

そして、帰宅した時の姿をみて、びっくり!
なんと両手に大きな袋を抱えて帰って来たのです。

サンタクロース並みの大きさの二つの袋の中身は、お菓子。
業務用のようなサイズのバケツ型のポテチや、
チョコレート、20袋位入ったポッキー、チョコボールなどなど
ごそ!っと入っています。

家を出た時とはまた違った息の弾み。

いったい何があったのだろう??と聞いてみると。。。


ボーリングを2ゲームしたあと、
近くのショッピングセンターに行きゲームで遊んできた。
持ち帰ってきたのは、クレーンゲームでゲットしたお菓子たち
ということでした。

しかし、よくよく聞くと、これは息子がゲットしたものではなく
得意な友達が、抱えきれないほどのお菓子をとって
みんなに分けてくれたのだそう。

息子はその彼が、どれだけクレーンゲームが上手いのかを
ずっと話しています。
悔しいというより、すごすぎて叶わない のだそうです。
その表情が面白そうというのか、とても嬉しそうでした。


いいな~と思いました。
自分にはとてもかなわない技をもつ Kくん。
それを嬉しそうに話す息子。
自分のチカラでその技を身につけたKくんのことを、尊敬する気持ち
誇らしそうに話す様子。


学童保育で、子供たちと関わっていると、
友だちのことを 「すごい!」と嬉々として話している場合と
自分の方がもっとすごいんだ と強調する場合と
どちらの場面にも出会います。

一概に誰がというのではなく、一人一人の中に
様々な反応が見え隠れしています。
心の成長度合いや、友だちとの関係性、距離感によっても
違いは出てきます。



遊びの中で 何を学んでいるか、何が育っているか


自分にはできないことをやりのける存在がいること
叶わないと面白がれること、喜べること


子どもにとって、『友達から教わる』ことはとても大切な経験です。
例えば、遊びの中で道具を借りる、使い方を教えてもらう。
ゲームのルールやちょっとしたコツを教わる。
遊びではなくても、友達の得意な何かを、教わる

自分も何かを教える、してあげられることがある。

教えてもらったり教えることは、
高度なこととか質が高いとかいうことが重要なのではなく ”量” です。。
たくさんたくさん、そういった体験を積み重ねる。

つまりは、
自分ができる何かを分けてあげられる経験、
友だちができる何かを分けてもらう経験 です。

大人からだけ教わる場合と、子どもたちどうしで教わる場合との違いも
明確であると言われています。
大人だけから教わる場合は、
”友達を尊敬する”とか、”自分ができることを差し出す” 
心が健全に育たず、
敵意や嫉妬、羨望のような感情に意識が向いてしまいやすいのです。

社会性が育つ先に見える世界


子どもの心の成長を考える時、この
 ”教えてもらったり、教えてあげる” 行為の積重ねは
(子どもどうしでも、大人になってからでも)
社会に、自発的に自分を与え、
社会のなかで自分を活かしていこうとする意思・意欲に繋がっていくことが
精神保健の分野でもわかっています。

単発的にではなく、継続的に社会に期待される活動をしていける。

社会に期待される活動というのは、
立派な行動や大きな成功ということではなく
誠実な心が伴った行動。だと思っています。


その 誠実な心が伴い成長した大人がつくる社会 は、
どんな社会でしょうか?

私にはその先に
『やさしい強さ』をもつ世界 を感じます。

みなさんは、どう思われますか?







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