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一枚の自分史:この日のために準備していた?

2008年平成20年4月6日、58歳の春のことです。
作法会の許状式が行われていました。
名前を読み上げられて、会長から師範を許状されるために前に出たところです。
なかなかに袴姿は堂に入っていますが、ガチガチに緊張している様子の娘が写っています。

水を打ったように静まり返った中、シュッシュッと衣擦れの音が響いている。今にも失敗しないかとハラハラしていました。

娘はこの2年前、社会人になって3年経ったとき、このままでずっと働き続けるのだろうか。そろそろ、何かを新しく学び始めたい。何がいいのかを探っていました。

その前年の7月に母が亡くなって、色々あって私は落ち込んでいました。
そんな中で母の遺志を継いであげたくて作法会に飛び込んでいました。

その作法会に娘も入会してきました。
そのきっかけは
「祖母が亡くなって落ち込んでいた母が作法会で学び出してから元気になったこと」
だったと聞きました。

後ろから娘が走って来るわけですから、嬉しいけれど、ボヤボヤしてられませんでした。

動機は立派なのですが、この娘、忙しい仕事を抱えていて、余裕のない中での作法のお稽古でした。遅刻は常習、課題もきちんと提出していない。
私も仕事を持っていますから、人のことどころではない。
目の前で見えていても、援けようもなく、ハラハラしイライラが募るばかりでした。
教室が少し離れていたのですが、一時仕事を抜け出して会社の自転車で暴走して、それでも遅刻して来て、終わると会社に戻ってまた仕事を片付けて、夜の11時ごろ帰宅するというパターンで週2回1年間頑張りました。

娘は同期の仲間に助けられ、先生方の温情でこうして修業できました。
免許状そのものは一枚の紙ですからごく軽いものですが、ズシリと重いものでした。
それは私もその前年にいただいていますからよく分かっていました。

自分が許状されるより嬉しかったかもしれません。けれど、本人が一番嬉しかったでしょう。
殊勝な顔をして畏まっているけれど、今にも泣きそうでした。
いや泣いていました。

そして、その時気がついたのです。
これって、亡くなった母の野望やったなと・・・、ね、 お母さん。
母の目的はこの娘でした。

母が、70歳で作法師範を志したそのきっかけは孫娘のお行儀が悪すぎることだったのですから、わが意を得たりでしたね。

そのことは、二十年経った今の今、また確信をもちました。
娘の来ている着物は、私が若い時に着ていた付け下げですが
母がもう派手だからと娘に縫い直したもの。
袴は、母が娘のために卒業式用に縫ったものでしたが
娘は卒業式にはスーツで列席したので着ないままタンスにありました。
今回は娘が着たいといって陽の目を見ることができました。

そうだったのですね。こうして晴れ着まで周到に準備していただなんて、
やはり確信犯ですね。

さて、母からやってほしいと言われていたことにそろそろ着手しないとね。
またお達しが来そうです。
来年3月10日までに父の物語を書きあげたら、「キッズマナー」に手を付けますね。
さあ、どんな形でやっていきましょうかね・・・。


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