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【連載】永遠のハルマヘラ ~生きて還ってくれてありがとう~第二章 父がないことにしたことは・・・

父がないことにしたことは・・・

父さん
何でわたしは父さんの戦争を書こうと思ったんだろう。
それは、京都のお寺での心理の学びから始まっていました。そのことをいつかどこかで書きたいと思っていました。

 定年退職後のセカンドキャリアとしてキャリアカウンセラーを選びました。
クライアントや受講生と接しているうちに経験だけではなくてもっと理論も必要であることと、カウンセリングのスキルもこれでは足りないと感じて、七年前から数年間を京都のお寺での心理カウンセラーの学びに費やしました。そこでは多くのあまりにも深い気付きがありました。

 阿弥陀様のおられる方丈が教室でした。
カウンセラーにとって自己ヒーリングは必須で、クライアントに向かうには自分の問題を解決しておくことが必要でした。
 そのための修行のひとつが「繋がる」ことでした。自己の深い部分と繋がり、過去、現在、未来に繋がりました。他者と繋がり、想念と繋がり、善意と繋がるのはもちろん、悪意にも繋がりました。大いなるものにも繋がりました。これまでの自分には及ばないような深い世界でした。その中で学んだのが究極のヒーリング、癒しとは「人と繋がること」でした。

 その日も、ジョイニングセッションが始まりました。受講生同士がその日必然で選んだバディを正面からただ向き合って見つめ合ううちに投影が始まりました。その日は二十五年も前に亡くなった父と繋がったのです。
 母のことは、まだ亡くなって数年だということもあり、また、遺志を継いでいることもあり、常に胸にあったのですが、つい、父のことは「去る者は日々に疎し」となっていました。
「ごめんなさい」と「ありがとう」がどんどん沸き上がってくる。そのことで、心のパイプが通る感覚がありました。父のことを近くに感じていました。

 続くセッションではもっと自分の問題の核心に触れることになりました。他の人の問題を扱ったセッションだったのですが・・・。
 お祖父さまが激戦の地から還ってこられた。亡くなった戦友に対する罪悪感をないことにしたことで、孫娘であるその方が償いを続けている。そのことでその方の人生は疲弊していました。

 もしや、これは自分の姿を見せてくださっているのか?父の抱えていた問題もこれではなかったのか!だとしたら激しく腑に落ちる…。人の心は触れたくないものにはふたをする。見たくない問題は見ないようにする。最初からなかったかのように。しかし、問題はなくなったわけではないから、そうするととんでもないところでそれが表に出てくることがある。父のこと、自分のルーツを考えて、自分も限りなく黒に近いグレィではないか・・・。

 これまで、父のことを何もわかってなかったことに気が付きました。そこからは心のパイプの詰まりが通り始めますが、痛みが伴いました。決して楽なことではありませんでした。

 今はキャリアカウンセラーとしての仕事をセカンドキャリア支援にシフトしています。「マンダラエンデイングノート」ファシリテーターの養成講師としての活動もその詰まりを通すための緩やかな援けとなりました。「自分史活用アドバイザー」の学びが書くための大きなスキルとなっています。 この世は愛の学校、そこでの学びには何一つ無駄がありません。

 いずれ父の戦争史を書きたいと思うようになりました。ただ、仕事に追われる状況と何処かで制止をかけるものがあり書き出せないでいました。躊躇しているうちに、昔を語れる最後の叔母が福井の豪雪禍で急逝してしまいます。間に合わなかったのです。もう、それは史実ではなく史実に基づいた物語にするしかなくなりました。

父さん
そこから、早く書かないとどんどん風化すると思っても、どう書いたらいいのか、わからなくなったよ。そして、凄いことにも気が付いてしまいました。


 夢を見たのは、会社ではリストラが終わったころのことでした。真っ暗な海岸は何処かで見た風景でした。砂浜の砂にろうそくを立てて、灯りを燈す。何本も何本も立てて、燈し続ける。
ただ、ひたすらに、無になって・・・。やがて、海岸一帯がろうそくの灯の海になっても、それでも闇はなくならない。それでもやり続けている。夢から覚めて、また眠ると、また夢の中で灯し続ける。不思議な夢でした。ずっと、気になって覚えている夢でした。

 お寺での心理の学び、ユングの夢分析のところで、その夢にフォーカスしてもらえることになりました。
師は、ろうそくに火を灯すことは「鎮魂」を意味すると分析しました。リストラをお手伝いする側となったことに対する罪悪感が影響をしていると。

 仕事とはある意味「いのち」である。仕事を失うことは「いのち」を失うこと。だから、あなたは「魂を鎮めていたのだ」と・・・。
 師の「鎮魂」です!という言葉を聞いたとき、漆黒の闇だった海が明るい月の光に照らし出されました。心で起こった不思議な現象でした。
 闇を消すことはできない。けれど、闇は恐ろしいものではない。灯りを燈し続けていこう・・・。それが学びでした。

父さん
でも、そうじゃなかったのですね。どうしよう。書けなくなった。

わたしはハルマヘラの海を見たこともないけれど、ハルマヘラの海だってついに気が付いてしまいました。あの海でジャングルで逃げ惑い、飢餓と戦い、病魔に倒れた魂を鎮めに行かなきゃ、「鎮魂」に行かなきゃ何にも書けない。そうでなければ、書いても意味がないと・・・。そして、その島に行くことがなによりも怖い・・・。費用だって工面できそうもないしと、行けない理由を探してしまいました。わたしにどんな鎮魂ができるというのだろう。書けない・・・。

父さん
そんな私だったけど、ある出来事が起こります。おかげで、今こうして書いています。

無意識が止めていた兵歴簿も取ってくることができました。そこには驚くべき事実と真実がありました。
書くことであの不幸な時代をねぎらいたいと思います。
次からは、そこから書いていきますね。

※父のないことにした罪悪感を娘が引き受けていた。
トリガーとなったのはリストラの罪悪感だった。
心理学からの学びがそこにありました。


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