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一枚の自分史:君はこの世で愛を学べ!

夏休みも終わり、その頃の高校生にとって、青春の一大イベントだった体育祭も終わり本格的に受験勉強一色に染まる直前のことだった。
すでに受験勉強に集中している人たちのほうがむしろ多かった。なかなか集中できない。そんな中、やっと受験勉強に本腰を入れたばかりだった。

その出来事は高校3年生の2学期に起きた。クラスメートたちから、ある家に呼び出された。そこで何人かに囲まれて、耳を覆うような言葉を浴びせられてた。集団による言葉のリンチだった。そこにいたのは今も誰だったか覚えていない。同じ顔をした人たちばかり、誰がそこにいるのかわからない。
一人だけ顔を覚えている。何故、彼女があの中に、あちら側にいるのだろうか。いつも一緒にはいなかったけれど、互いに心を寄り添わせていると思っていた友人がそこにいた。踏みにじられたような気がして悔しく悲しかった。そのことは長くトラウマになり、人に対して臆病になった。

耐え切れず、途中で逃げ出して、下町を流れる汚れた川まで来た。逃げ続けても、それらの言葉は追いかけてくる。橋に夕陽が落ちていく。
「こんな汚い川では死ねやしない」
当時のことをあまり覚えていない。胸が苦しかった。墜ちていく夕陽のディテールだけが、今も目の裏に貼り付いている。

頭の切れるリーダーだったが、私にはガキ大将にしか見えなかった。そんなクラスでも目立っていた男子がいて、いいことも悪いことも周りの数人を巻き込んでやっていた。硬派を自認する受験校で3年生ともなると、上位大学を狙っているものはもう彼のようなふるまいはしていなかった。というのに、つい巻き込まれて一緒にバカをやっていた。

女子数人から理不尽な集団つるし上げにあったとき、彼が仲裁に入った。しかも、そこは彼の家だった。
何故こうなったか、その原因を考えたとき、私には頭をよぎることがあった。主犯者は彼に恋していた。誰よりもそのことに彼が気が付いていなかったことがますます事を複雑にして行った。そんな状況でも私は傲慢な女と思われたくなかったので、全くその核心には気が付かないふりを通した。
誰かが際立つためには、誰かがはみ出される。出る杭は打たれる。
主犯はクラスの人気者だった。彼女の心に巣喰っているものの正体が見えていた。
子どもの頃からそうだった。他の人には見えない別の顔が見えてしまう。その時もそうだった。それが原因でどこかで彼女を拒否している。上手く調子を合わせていたつもりだが、相手にも伝わっていた。
彼女は歪んでいた。彼女たちの恋愛・友情至上主義をどこかでバカにしていた私も歪んでいた。
中学時代に違和感を抱きながら優等生の女子グループに居続けたしんどさから、高校では群れなかった。
群れないことで投影の的にされた。的を作って徹底的に叩くという集団心理の罠に鈍感で気が付かずに巻き込まれていった。私の方が好かれて当たり前という奢りから始まったんだ。自己否定が始まった。一緒にいなくても親友は親友だと思っていた。喪失感に吹きさらされた。私は誰からも愛される存在ではない。どんどん自己否定を積み上げていった。
怒りを鎮めようとすると哀しみになって、自己否定と自己不全感のループに陥っていった。

そんな出来事はなかったことにして、なにもなかったように振舞い続けたけれど、孤独感と自己不全感から逃れることはできなかった。
私の中で黒いものが日々育っていく。うっかりすると、自分たちが追い込んだ死を知った時の彼と偽りの親友と主犯格の彼女やその取り巻きに与える傷をいかにして深くするか方法を考えている自分がいた。
死の誘惑から逃れるためにひたすら勉強をした。私、全く傷ついていませんから。受験勉強は辛いどころか、むしろ、そこに没頭することが楽しかった。

クラスで孤立した私の傍にいたのはいつも彼だった。そのことが迷惑でしかなかった。それでますます事は悪化した。でも他に居場所はなかった。
彼の成績はどんな時も上位だった。どちらかというと劣等生の私が死に物狂いで勉強し始めた。一部の教科はすぐに追いつくことができた。
きっかけは忘れたが、実力テストの点で負けたらデートするという賭けをさせられる。全教科では全く歯が立たない。得意な日本史と国語で賭けをすることになったが、結果は驚くことに学年順位で日本史10位、国語が2位だった。勝ったと思ったら、彼は5位、1位だった。なんと、これまでで一番勉強したらしい。結果、なけなしのお小遣いをはたいて、観たくもない映画を観る羽目になった。

本当は、彼の存在はうざかった。それでも文学に早熟だった彼からは大きな影響を受けた。受験勉強の合間に真似事のような文学論をたたかわせた。その姿は、またまた周りから冷ややかに見られていた。それでも私の居るところはそこにしかなかった。
大学は国文学を目指していた。おかげで合格したようなものだった。そして、志望した道を歩むことができた。
何もないような顔をしてやり過ごした数か月。やるべきことに集中する姿を見て、謝罪をしてくれた人もいた。
卒業するころ、表向きはなにもなかったかのようになっていた。だが、もっと向き合った方が、お互いの為だったと、今は理解している。
ずいぶん長い間、思い出すことはなかった。ずっと人生最大の汚点だと思って蓋をしていた。そのせいで、手を差し伸べてくれた人さえ、いなかったことにしてしまった。
別々の大学に進学して目の前にいなくなると、何もかもないことにしたくて、彼の存在もなかったことにした。今から思えば人生最大のギフトだったのに、気が付くのは数十年後だった。
今頃になってやっと謝罪することができるのにもういない。自死を選んだのは彼だった。
そして、いつまでも私はそのことを引きずりながら生きている。

人の心理を学んだ今は、自分も傷ついていたけれど、クラスメートたちも傷ついていたことに気が付く。そして、大切な人だった人を傷付けたことに愕然としている。
気付くのに膨大な時間がかかった。今は謝罪すらできない遠いところに行ってしまった。

そこにある心の痛みをないことにすると違うところに出てしまうということを体感したことがのちにカウンセラーとしての大きな資産となった。
あの頃は自分のプライドが一番大切だったのだろう。守りたかったのはプライドだったって今さら気付く。そして、誰かに甘えたかったんだなと思う。素直に甘えたらよかった。
今は亡き旧い友が、何が大切なのかを教えてくれる。君はこの世の愛の学校でもうしばらくは学べと教えてくれている。

ありがとう。やっと、一つづつ罪悪感から解放されていっているよ。
もう少し、後始末してから、そちらに行くから、そのとき、きちっと謝らせてください。そして赦してほしい。
 最近は、あの頃のようによく本を読んでいるよ。最近の文学の話をしてあげることにしますね。

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