「何て事ない一杯」にこだわる
年内最後の投稿になります。
今年の11月の初旬
とある作家さんがナビゲーターを勤める、某ラジオ番組で、
小生が送った「お便り」が読まれるという、幸運に恵まれた。
きっかけは、その番組内で、作家さんが神保町を「東京のおすすめの街」として、紹介してくれたことだった。
お礼を兼ねて、少しその作家さんに「あなたが BAR に求めるものは何ですか??」的な質問を投げかけてみた。
詳細は省くが、
「最近は、カンパリソーダのような「何て事ない一杯」を、さっと飲んで帰れることに、価値を見出す人っていないのでしょうか。うちの店は、それにこだわっていきたいと思っています。」
といった内容を含ませた。
作家さんの回答は、いたって肯定的なもので、小生とても救われた気がした。
それはそれでいいのだが、
「お便り」を採用された僕は、喜び勇んで、当店の「X」(旧「Twitter」)にもその旨を投稿することにした。
店の宣伝に利用しているようで、大変恐縮だったのだが、こちらとしては、またとない機会。作家さんもきっと許してくれるだろう。そんな気持ちでの投稿だった。
それ自体はいい。
が、
その投稿の中で、僕は、
「何て事ない一杯」を、「何てこと無い一杯」と記載してしまう。
これは、彼に向けて「お便り」した文章とは、明らかに違う。
・・・。
当然のことながら
「何て事ない一杯」
「何てこと無い一杯」
「何て事無い一杯」
「なんてことないいっぱい」
「ナンテコトナイイッパイ」
では、意味が違う。
仮にも、言葉を「生業」にする方に、いくらなんでもこれは「雑」だったと思う。
その作家さんは、「X」でも好意的に流してくれたが、
はたして、それで本当に「その一杯にこだわっている」と言えるのだろうか。
正直、己の文章の稚拙さに、顔から汗が噴き出るほど恥ずかしかった。
来るべき2025年。
内容云々はともかく(笑、
まず最低限、そのあたりには留意して参りたいと、心に誓う次第でございます。
「カンパリソーダ」と同様に。
本年もお付き合いいただき、誠に有り難うございました。
皆様、どうぞ良いお年をお過ごしくださいませ。
追記:
タイトルの「こだわる(拘る)」は、本来 “ 物事に執拗に囚われる、執着する ” といった、ネガティブな意味だったように思われますが、現代では “ 物事を突き詰める、探究する ” といった、ポジティブな意味合いで使われることが多くなってきているので、ここではあえてこの表現にしました。
ん??
本来の意味でいいのか・・・??
神保町へお越しの際は、是非お立ち寄りください。
年末は30日まで営業しております。(29日(日)も臨時営業!!)
お待ちしております。
Heavy Sweet Dub / Dr.Echo-Logic
Grand Gallery
2008
(本文の最後に、お店でよくかける音楽を紹介しています。お家でお酒を飲まれる際に是非どうぞ。今度お店に聴きに来てくださいね。)