瞳の太陽

 そこは花畑。

 部屋をこっそりと抜け出し逃げ込んだ街のはずれ、またさらにその先。薄暗い袋のような森を抜けたころ、あたり一面真っ白な花が咲いている。手が届いてしまいそうなほど空に近づける場所がある。

 そこまでの細い獣道をうきうきとした気持ちで走り抜けて、ワンピースの裾をはためかした。そこには大好きな男の子がいる。

「おかえり、また来たの」

 会いたかったのだ。

 私はいつも日が暮れたら家に帰らなくちゃいけない。そして夜の間は外から鍵のかかった薄暗い部屋の中、一人で朝を待っていなくちゃいけなかった。

 そういうしきたり。生まれた時からそう決まっている。

「そっ、そろそろ花が咲く頃かと思って」

 楽しみだったから。

 つり上がってしまいそうな唇を結んで誤魔化して、そっぽを向いて言う。隣のおばさんからもらったクッキーが2枚あるのかどうか、ポケットで確かめておいた。この人は真っ直ぐに目を見つめてくるから、なんだか居心地がわるくなってしまう。

「花?ああ、前に君が気にかけていた」

「あ、うん。うん、そう・・・・」

 言葉が尻すぼみになる。町の同い年の子は、こういうのを嫌がった。なんでちゃんと言葉にしないの、とか、もっとはっきりと話しなさいみたいなこと、言う。

 でもこの人は違った。私のぶっきらぼうな返答を気にもとめない様子で笑うのだ。それが心地よくて、肩の力がいつも解けてしまう。まるで言葉にしないのに、警戒なんかしなくていいってわかるから。

 心地が良かった。


「あの子のことだね」


 さあ、と風が吹いて、彼の言葉に呼応するみたいに桜の木が揺れる。花なんかよりもその髪が揺れる横顔に見惚れて、返事もできない。視線が私に戻ってくる。

 どうしたの、見にきたんだろ。またなんでもないみたいに笑う。

 

 虜だった。


 この世のひとじゃないみたい。

 彼は花をあの子と呼ぶ。まるで人みたいに。


「君がきてくれて喜んでいるよ。ほら、君も話をしてご覧」

「う、うん。」

 花と話をするだなんて。花はしゃべったりしないのに。

 よくわからない。どこに住んでいるのかも、彼の名前がなんていうのかも知らない。全てが不思議だ。


「花はなんて?」

「よ、よくわかんないよ。話すとか、そんなの」

「そう?そのうち仲良くなれるさ。焦らなくていい。この人は繊細なところがあるけれど、ずっと忍耐強い。ほら、君とそっくりだろ」

 ほら。ここであったことだって数えるくらいしかないのに。


 次の月になったら、またあの真っ黒い祭壇で体を切られる。街の人は私の血が必要なんだって。来月になったら魚も食べさせてもらえないで、変な味の花ばかりを口にさせられるのだ。

 それ以外の月はずうっとあの薄暗い場所に閉じ込められて、朝を待つ。夜になったらごてごてとした甲冑を着た門番がきて、外から鍵をかけられて外に出られなくなる。

 隣のおばさん以外は、みんな私に石を投げたりいないほうがいいっていう。隣のおばさんもどこか遠慮がち。同情。そんな感じがした。

 ふと、つよく握りしめてしまっていたらしい。ポケットの中のクッキーはボロボロになっていた。ああ、一緒に食べようと思っていたのに。そっとポケットに突っ込んでいた手を解いて、裾で手を拭った。

 ポロポロ、かすが落ちる。

「いやなことがあるなら、ここにずっといればいいのに」


 見透かされる。


 この人だけ、私と対等でいてくれた。わかってくれている気がした。

 手を取りたかった。でも、昔夜に部屋を抜け出したときのこと。村でとんでもないことが起きたと一日中折檻されたことが思い出される。

 次の一週間くらい、ずっと部屋から出してもらえなかった。今でもそのあざは横腹に残っている。おそらく私は悪魔か怪物なのだ。だから夜に暴れ出さないように、檻に入れられる。

「きっとたのしいよ。ぼくも、 きみも。」

 その透明な瞳から見えている世界は、宝石のように輝いているのだろうか。きっとそうに違いない。彼の目の中に映る私ならきっと、悪魔なんかじゃないはずだ。

 じっと覗き込む。眩しくて目を細めた。その瞳が私の太陽だった。夜を抜けて私は太陽に会いにいく。

 そのためだけに生きていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?