誰かにとっての幸せは、誰かにとっては奇跡。

人工呼吸管理をしていた症例のうち1頭が、主に費用面から治療終了となりました。
人工呼吸管理は治療ではなく、病態(主に肺の機能)が安定するまでの時間稼ぎでしかないので、いつ・どこでウィーニングトライとなるかを正確に予測することは難しいです。

器械の単調な作業による呼吸と薬剤による鎮静・意識消失、そして輸液と昇圧剤による循環管理。数多くの管につながれた目の前の命は、果たして生きているのか、それとも生かされているのか。

オーナーによってその理解は様々ですが、 それでもなお彼らが生きていることそのものに執着してしまうのは、人間の悲しい性質というものなのでしょうか。日々がどんなに苦痛であっても、この身を引き裂かれそうな経験をしたとしても、たとえ夜明けはもう来ないであろうと前向きになれないときでも、心臓は鼓動を続け、肺はガス交換を止めることはなく、やがて私たちは空腹を覚えます。
私たちにとっての当たり前が、他の誰かにとっては喉から手が出るほど欲しいものであることを、忘れずに日々を迎えたい。

もうすぐ6月、静かな雨風に乗ってどんなシアワセがやってくるのでしょうか。

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