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デビュー18周年を迎えて

関ジャニ∞に出会ったのは2004年だった。小学生の時に友達の影響でジャニーズに少し興味を持ったくらいそれ以降はゆずやインディーズバンドにハマってライブハウスを転々としていた。

認識としては三馬鹿の名前と顔が一致するくらい。

そんな私が本屋さんでたまたま開いたアイドル紙、たまたま開いたページに出てきたのが「大倉忠義」だった。笑ってる顔が可愛くて、カッコよくて一気にハマった。

帰りに「感謝=∞」を買って帰るくらいに見事にハマった。

好きになって半年以上が過ぎた時に悲しい出来事があった。

博貴の「無期限活動休止」すごく悲しくて私が8人の関ジャニ∞に会う日は二度とこないんじゃないかと思った。でもずっと帰ってくると信じてたし、8色の虹をみられると信じてた。「8→1」をずっと待ってた。

2007年47都道府県ツアー初めての東京ドーム2日目8月5日

この日は前日と違って何かそわそわした気持ちが入った時からしていた。

PLAYZONEの休演日もしかしたらいるかも…とどこかで思っていて

そしてどことなくメンバーもその日は前日とは少し違ってテンションが高かった。

ライブも進んでいってダブルアンコール「関風ファイティング」外周を4分の1くらい歩いた辺りから亮ちゃんが走りだして他のメンバーもそれに着いて走り出すとバックステージを飛び降りてダッグアウトから一人の男の人の腕を掴んで舞台に上げた。

その瞬間から会場内に大きなどよめきと歓声、泣き声、沢山の声が響き渡った。

亮ちゃんが引き上げたのはまさしく「内博貴」だった。

博貴は申し訳なさそうに頭を数回下げたり、他のメンバーが博貴に話しかけたり、センターステージに戻ると亮ちゃんが着ていた自分のTシャツを博貴に渡した

躊躇する博貴に他のメンバーも着ろと言うように博貴を見ていて博貴がTシャツに袖を通した

本当にメンバーみんな嬉しそうで「これから伝説がはじまる」、

「これが関ジャニ∞だーー!」という言葉も表情も永遠に忘れない

そして8人で手を繋いで「最高で最強の関ジャニ∞ーー!」とやったあの光景は私のeighter歴の中で一番の思い出かもしれない。

それくらい忘れられない、忘れてはいけない日になった。

この出来事は事務所に何も話を通してなくてエイトが自分たちでやったこと…そのあと怒られたみたいだけど初めての東京ドームで8人で立った事実は今でも変わらない。

2008年は博貴の活動も活発になって8人が同じステージ場にたつこともしばしばあった。

でもお別れは少しずつ近づいてきてた。2009年元旦に突然大倉くんのレンジャーから「8→1」が消えた。

その時のレンジャーの内容を見てもう8人が同じステージに立つこと、揃うことはないんだと確信した。

ただひとつの現実だけを残して8色の虹が揃うことはそれから一度もなかった。

2012年の8ESTのパンフレットで2005年の博貴やエイトに関することを皆が語ってるから昔の関ジャニ∞の歴史に触れたいと思う人がいたら是非呼んでほしい内容。

私はこれを読んで友達とホテルで涙したことは今でも鮮明に覚えてる。

話は飛んだけどエイトにも危機は何度かあって、2008年すばるがFiVEとFLAT FIVE FLOWERSを結成してバンド活動を活発化していた時少なからず私はこの時ステージで歌うすばるが生き生きとして見えて「このまま関ジャニ∞に帰って来ないんじゃないかと」不安になったこともあった。


ただ2009年PUZZLEを発売した時には7人でやっていくっていう意思が明確に見えていて、2010年になると7人で上に上がるんだっていうやる気がひしひしと伝わってきたのを覚えてる。

でも、もしかしたらこの年はとても悲しいことがあった年だったからその出来事が関ジャニ∞の絆をより深めてくれたのかもしれないと振り返れば思う。

辛いときを7人で乗り越えていくことでグループとしての絆が強くなっていったなって思う。


2011年から5大ドームツアーがスタートしてここから8周年、10周年までは怒涛に駆け抜けて関ジャニ∞は唯一無二を作り上げていったなって思う。

そしてこのままおじいちゃんになっても7人でやっていくんだ、7人は永遠だと思ってたのもこの時期だったな。

でも別れは突然で2018年4月15日「渋谷すばる関ジャニ∞脱退」

会見は仕事に向かう電車の中でみた

電車の中で涙が止まらず人目も気にしないくらい泣いた。

最初は信じられなかった、だけど心のどこかで、2008年のあの時期と交差して「ついにこの日が来てしまった」とも思った。

ずっと怖かったんだ、すばるがいつか羽ばたいて飛んでいってしまうことにビクビクしていた。

それが現実になってしまった。

そしてこの会見にヤスの姿がないことにもすごく動揺したのを覚えてる。

7月2日仕事が終わるとメールで「安田章大の体調に関するお知らせ」と来ていて心臓がまた止まるかと思った。

2017年2月に髄膜腫の手術をしていたこと4月9日にそれの後遺症によるてんかん発作で転倒して腰と胸の骨を骨折したこと。

どれも衝撃的で骨折がなければ頭の手術はきっと私たちは永遠に知らされなかっただろうと思うと少し悲しくなった。

この1年半ヤス自身もメンバーもどんな葛藤があって、どんなことを話あってきたんだろうと思うといつもと変わらない彼らを見せてくれていたことに感謝しかなかった。

7月15日から始まったツアーは6人だけ。

すばるの脱退も含めてこのツアーが今後の関ジャニ∞を大きく左右していったんだろうなと振り返れば思う。

ヨコと信ちゃんは常にどこか寂しそうだった

マルちゃんも空元気、突ついたら壊れてしまいそうだった

ヤスは自分の身体が思う様に動かなくてもどかしそうで、でも精一杯できることをしてくれていた

亮ちゃんはひたすら真っ直ぐ前だけを進んでいかないと、と少し焦っている様に見えた

大倉くんは俯瞰的に必死に状況を見て動いてくれていた。何でもないような顔をして本当は心が疲れていたのに…

皆が精一杯6人の関ジャニ∞を保とうとしてくれていた。

皆が一生懸命だった。

でもきっとこの一生懸命がきっとグループではなくて、みんなが知らない間に自分の気持ちを保つことに重視していたんじゃないかと思う

それが「熱量の差」としてボタンがひとつ、ふたつと掛け違えていったんじゃないかなと思った。

確かにすばるの存在は大きくてそこがなくなるとバランスが微妙に崩れていくことはすごくよくわかるけど、でもここでしっかりと皆が自分だけじゃなくて他の人の気持ちも荷物(負担)も分けあえてたらまた違ったのかもしれない。

でもあの時の全員が一生懸命で精一杯なエイトにそんな事を言ってあげられる人もいないし、言えなかったと思う。

それくらい必死でやってくれていたから。

あの時立ち止まっていたら今のエイトはないかもしれない

ただあの時立ち止まっていたら違う未来があったかもしれない。

それはもうわからない話だけど

でも、立ち止まらずに進んでくれて今はありがとうって思う。

そしてヤスがツアーに参加してステージに立つ決断をしてくれたことに一番感謝してる

亮ちゃんが強行派だったと自分で言っていたけど、亮ちゃんはヤスが本当に出来ないって選択していたら辞めてただろうし、ヤス自身がやるって決めて、あのツアーが完走できたからこそ言えた言葉だと私は思ってる。

でも6人の関ジャニ∞は実質1年も持たなくて…

2019年十五祭でみた6人は私の中で1年前とは全然違ってみえてすごく成長していて、3月頃から密かにあった亮ちゃんの脱退説を覆すくらい、まだまだできるじゃんって思った。

十五祭は本当に楽しくて、私たちが笑顔になれて楽しめるお祭りだった。

ただ振り返れば沢山のことに意味があってそれを思い返して理解すると切ないなと思うこもが今でもある。

これを考えてくれた大倉くんはすごいと思うし、オーラスで歌った蒼写真は今までとこれから、そしてもしかしたら違ったかもしれない未来でさえも、きっと8人が信じて歩んだ道、そして自分自身で選んだ道が決して間違いではないと言っているみたいだった。

あとは最後まで楽しい時間を貫き通してくれた亮ちゃんにもすごく感謝してる。

最後の16の文字と「to be continued…」は今までの不安を吹き飛ばしてくれたなって思ったんだけど…

9月5日までは。


亮ちゃんが脱退して5人の関ジャニ∞になってしまった。

どこか腑に落ちない、信じられない「どうして?」その気持ちが優先して全然涙がでなかった。

でも大倉くんがラジオで手紙を呼んでくれて「みんなはまだ、立ち止まっててもいいかなと。後ろを振り返っていても全然大丈夫です。

時間が経って前を向いたときに、ちゃんと僕たちがそこに立っていられるように、笑顔で迎えられるように、準備をします。」こうやっていってくれたことにすごく心が救われた。脱退を知ったあの日から泣けなかったけどこの手紙で初めて泣くことができた。

亮ちゃんは多くは語らない人

でも脱退してすぐの雑誌できちんと脱退した経緯を話してくれていて、それはマルちゃんが話してくれた内容と変わらなかったし、両方の経緯を知ってやっとどこか腑に落ちた。


でもやっぱり語らない美学は時には素敵だけど、最後くらいは語って欲しかったなっていうのは今でも思ってる。

まぁ、それがらしいというか、亮ちゃんだよねって感じ…

もう3年たったけど声を大にして言いたいのは「寂しかったよ」っていうのは言いたいかな…

たった一言でもいいからちゃんとした言葉を亮ちゃんの口から話して欲しかった。

でもそうすると十五祭が悲しい思い出になっちゃうから、十五祭を楽しい思い出を沢山散りばめてくれて…

これで良かったんだろうなって思う。


5人になってスタートした47都道府県ツアーは途中でできなくなっちゃって2021年やっと再開したツアー「8BEAT」は2年ぶりで5人の関ジャニ∞をきちんと確立させてた。

何よりもヨコがギターを始めて、弾いてる姿にとても感動した。

きっと5人にならなかったら始めてないだろうし…ヨコの負けず嫌いなところも、何よりも40歳にして新しい事を始める勇気は本当にすごいなって思った。

メンイボーカルが二人抜けるって相当なことだし、楽器にしてもギターが2本抜けるってバンドとしての厚みもなくなっちゃうけど

でも個々に努力して少しずつ5人のパフォーマンスを物にしていってる感じがしてすごく嬉しかった。


そして今年18周年

「18祭」スタジアムに帰ってきたエイトは

私がずっと見てきた関ジャニ∞だった。

大倉くんが4月の終わりから耳の不調で休業しちゃってどうなるかと思ったけどそんな不安も吹き飛ぶくらいスタジアムでみたエイトは昔と変わらない、がむしゃらで面白くて、カッコよくて何よりもその存在が大きかった。

バンドもきちんと5人の音になってた。

いつだったか大倉くんがステージに立つときは全員で立ってる気持ちでやっていると言うような事を言っていたことがあったけど

今回の18祭でもそう思えるところが随所であった様に思えた。

8人で初めて立った東京ドームあの時からきっとメンバーはそういう気持ちでずっとやってきたんだろうな、そして居ないメンバーの姿を私たちと同じようにステージ場で思い出して自分達の励みにしているんだろうと私は思ってる。


18年…彼らがグループを組んで20年家族よりも長い時間を共に過ごして何よりも大切な仲間

きっと離れていったメンバーも同じ様なおもいでいてくれてると思ってるし、きっとこの5人に、3人に何かがあった時はすぐに駆けつけてくれるだろうと思ってる。

お別れは悲しかったけどそれぞれが自分の信じた道を進んで

その道がいつか交わるときがきたらその時は手を取り合ってくれたらいいなって思うし、

たとえ交わらなくてもお互いの背中を見て自分の選んだ道を後悔しないように進んでくれたらいいなと思う。


すごく長くなっちゃったけど私は、

5人が関ジャニ∞を続ける道を選んでくれたことに感謝してるし、続けてくれる以上は応援していきたい。

8人、7人を振り返ることはこれからあるもしれないし、絶対あると思うけどでもどの時代も私にとってはキラキラと輝いてる最高で最強の関ジャニ∞には変わりないから、比べたりは絶対したくないし、なんならその最高で最強の過去の関ジャニ∞を上回るくらい、これから最高で最強の関ジャニ∞を作ってくれたらいいなって思う。


人それぞれペースも違えば、考え方もそれぞれだけど、これからどれだけ望んでも8人、7人の関ジャニ∞が戻ってくることはない。だから少しずつでも昔のエイトが好きだったっていう人に今の関ジャニ∞も昔と変わらず素敵だよと知ってもらえたらいいなって思う。

過去を肯定しすぎず、今を肯定しすぎず、過去があるから今があるんだよっていうのをどの時代を好きになったeighterの方達にも思ってもらえたら…


私が好きになった関ジャニ∞はどのアイドルよりも最高にカッコよくて、最高に可愛くて面白い人達です!


18歳おめでとうございます!

決して永遠とは言わないけど少しでも長く応援させてください。

関ジャニ∞を続けてくれて本当にありがとうございます。



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