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思春期の苦悩と「じごくトニック」 ㅤ感想

ロングコートダディの単独「じごくトニック」を観た。
芸人の単独公演というものに手を出すのは初めてだったので、相場もよく分かっていない金欠学生の僕は、
「DVD、3800円か…ちょっと高いな…」と
足踏みしていたけれど、今となっては本当に買ってよかったと思う。
あのときの僕、ナイス。

これはこの単独を見た人全員が言うことだろうが、曲を使った演出が本当に良かった。
今でも「じごくトニック」の空気を感じたくなったときは、曲を流して頭の中で上映している。

というのも、DVDって結構めんどくさい。
ホコリを被ったDVDプレイヤーをひっぱり出し、
効きの悪くなったリモコンのボタンを何度も押す。
その後の楽しみが確約されているから、人間は辛抱強くリモコンを押し続けるのだ。
…でもまあ、これがいいんだよな。
Youtubeとかに載ってたら、見たくなるたびに見て、擦り切らしてしまうと思うから。

そんなわけで、僕の初「じごくトニック」は、3回目くらいでやっと反応したリモコンを持ったまま、体育座りをした格好。
見慣れない機械に興味津々の猫も、近くをウロチョロしていた。
ちなみに、猫が1番食いついて見ていたのはマユリカのVTRだった(近づくと漫才が聞こえてくるやつ)。
完全にマユリカのことを獲物だと思っていた。
でもよく見ると、ずっと阪本さんを捕まえようとしていた。中谷さんはガン無視だった。

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「じごくトニック」は、何かと敏感な少年の心の穴に、ちょうどぴったりとハマった。
思春期の終わりかけ、一丁前に色々なことを考え始めて、体調を崩すほど思い悩み、
気がつけばぽっかりと空いてしまっていた穴に、
ちょうどぴったりと。
芸人の単独という"初めて"に踏み出すのに
ちょっとだけ必要だった勇気とか、
なぜだかいつになく積極的だった自分とか、
そういうのって全部これのために存在していたんだ、とすら思った。

あの小説家の役がじごくにいた僕を救ってくれた。
堂前さんはそんな意図で書いたわけでは無いだろうが、人というのは思わぬタイミングで救われてしまうものなのだ。

そういえば、中学生の僕を救ってくれたのは、親身な先生でも友達でもなく、いつも通る公園にいるホームレスだった。
というより、僕が勝手に救われた、という方が正しい。
陽の当たるベンチでワンカップの酒を飲んで、
近くでキャンキャン吠えるチワワに「うるさい!」と怒鳴るホームレスに、なぜか救われてしまった。
あのチワワ、おじさんが飼ってたのかな。結構綺麗だったけど。そういえばリードついてなかったな。



死にたくなって、なにかに救われて、恐る恐る前を向いて。
また嫌になって、またなにかに救われて、少しだけ動けるようになって。
自分を救ってくれるのは、小説かもしれないし、
コントかもしれない。
まっすぐ前だけ見て生きる老人かもしれない。
でも確実に、拠り所が増えていっているのは分かる。

もしかして、大人になるって、こういうことの繰り返しなのか。
そう思ってもいいのか。
生きるって、老いるって、そんなに怖いものじゃなくて、もっとあったかいものなのかもしれない。
ずっとつかめなかった「生きる」のかたちが、一瞬だけゆらりと現れた気がした。








p.s.
じごくトニックの感想をまとめようと筆をとったのに、書いているうちに自分が前を向くためのものになってしまいました。

なんだか重い文章になってしまったけど、
「じごくトニック」は難しいことなんて一切考えないでも楽しめます。シンプルに面白いので。
色々な楽しみ方ができるのもこのDVDの魅力ですね。まだの方は、是非。

ここまで読んでいただいた方、
ご清聴、ありがとうございました。

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