上田久美子演出「道化師」「田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)」@東京芸術劇場 感想乱れ書き

めーちゃめちゃ面白かったので記憶が薄れないうちに書きます。勢いで書いてるので文が乱れているのはご容赦ください。セリフは完全にうろ覚えです。もちろんネタバレを含みます。書いている人は上田久美子ファンの宝塚ファンです。


ウエクミ先生の演出オペラ、マーーージで面白かったです。オペラ!?演出!?文楽風!?現代日本に翻案!?とどうなるか分からず大して予習せず行ったのですが超おもしろかったです。

基本の上演形式二関してですが、全二幕で、一幕と二幕でそれぞれ独立した別作品を別キャストでやる形。実質小品のアンサンブルと言っていいかもしれません。ポスターとは上演順を変更し、一幕が「田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)」、二幕が「道化師」。かなり変則的な演出で、文楽のごとく歌う人(オペラ歌手)、そして演じる人(ダンサー)が舞台に並ぶ構成です。ただオペラ歌手とダンサーが絡んだりその役割の境界はときに曖昧になります。歌はもちろん全編イタリア語ですが、日本語字幕と、ウエクミ翻案関西弁字幕がつきます。オペラ歌手はシックなドレスを着てザ・オペラと言った感じなのですが、ダンサーたちは現代日本の衣装を着て、シンプルな舞台セットも現代日本の大阪に。登場人物の名前や設定も全て現代日本の大阪に翻案され、トゥリッドゥは大阪の居酒屋の息子の護男に、カニオは大衆演劇の座長の加美男になります。

19世紀イタリアの「リアル」なオペラことヴェリズモオペラ。ファンタジーの世界や王侯貴族のきらびやかな世界ではなく、貧困や困難のなか生きる市井の人々の苦しみと冴えない人生でのドラマを描きます。それでもまだお高くて遠いものと思えるオペラの世界。それが現代の大阪に置き換えられると一気に生々しい「あるある」な人間ドラマに変貌します。イタリアの教会のまつりはだんじりに、旅芸人の一座は(おそらく西成の)大衆演劇の一座に。まるでどこかのストリートやご近所さんから聞いたような、あるいは週刊誌の低俗なゴシップのような、惚れた、腫れた、痴話喧嘩、不倫の話が繰り広げられ、両方とも最後には刃傷沙汰で結末を迎えます。「田舎騎士道」のヒロイン聖子(オペラだとサントゥッツァ)は惚れた男振り向いて欲しさにプッシャーになってパクられてしまう、といった翻案からも読み取れるように、SHINGO☆西成やJin Doggの曲に描かれるような「大阪」を舞台に面影ラッキーホールの曲のようなダメな男と女のどうしようもない転落劇が待ち受けています。

どちらも大まかな物語構成は同じで、男と既婚女性が不倫する→男あるいは既婚女性に好意を寄せる人が逆恨みで夫にチクる→刃傷沙汰といった話です。

もう何が面白いかというと翻案のおもしろさ、セリフの面白さです。先程も書いたように、イタリアのオペラが一気に「あるある」「わかる」生々しさと実感を持って立ち上がってくる。そして「道化師」の方は原作の口上の形式を借りて「この字幕も嘘つくときあるねん、堪忍な(要旨)」という風に語りかけます。このウエクミ大阪弁字幕はほとんどのシーンで出てきますが、ノーマルオペラ字幕のみのシーンもあります。そのようなシーンはダンサーの踊りが長く続き、ようはオペラを重ね移された、「現代」の次元にいるダンサーたちのパ・ド・ドゥを見ているというのが近いかもしれません。愛や喧嘩の激しい感情が咲き乱れるシーンです。

すみれコードから解き放たれたウエクミ先生は「人間は一皮向ければ欲よ(桜嵐記)」を露悪趣味寸前のラインでこれでもかと見せつけてきますが、痴情のもつれ、愛、欲、がドラマを生む今回も同様でした。「後生のお願いやねん、一発ヤらせてくれ!」といった言葉が客席に飛び込んでいきます。やはり人間は一皮向ければ欲。この字幕の脚本ほしい。ル・サンク出して!

しかし人間の「どうしょうもなさ」を描きつつも、どこか人間なんてしょうもないもんだけどそこが愛おしくない?といった眼差しも感じたりしました。面影ラッキーホールがファンク・ノワールなら今回のウエクミオペラはオペラ・ノワールとでも言えばいいのでしょうか。本当にどうしようもない男ですが、そのどうしようもない優しさで命を落とします。(ちなみに大阪弁字幕と衣装があいまって護男がJin doggにしか見えず、Jin doggにこんなこと言われたらそりゃ惚れちゃうよなと謎に納得していました)

「道化師」の方は奥さんに間男がいて…というコメディをやっている大衆演劇一座が、実際に劇と同じような事態が起きてしまい、ついには座長である夫は芝居と現実を混同し舞台の上で刃傷沙汰を起こしてしまう話です。ちなみにこちらは、ラストはオペラ歌手のみが舞台を降り刃傷沙汰へと突き進み、途中は大衆一座を演じるダンサーたちはそのまま舞台にとどまります。「道化師」自体「実際にあったお話をもとに上演いたします」といった前口上があるのですが、メタ構造が最終的に、劇中劇のシーンで現実次元(ダンサーの次元)→オペラ次元へ回帰したといえるかもしれません。fffなどでもウエクミ先生はたしかメタ構造を使用していたと記憶しているのですが、エンディングも「喜劇は終わりだ!」とメタな台詞で締められます。

聖子の恨みを買い、不倫バレしてから(中途半端な、「田舎騎士道」の)優しさを発揮した護男の死で幕を下ろす、「田舎騎士道」の方がお話としてもビターなどん詰まりなテイストも込みで好きなのですが、最近芸人さんが自らの恋愛や離婚を赤裸々に話すラジオをよく聴いていたからか「道化師」は色々とうんうんありそう…となりました。妻の不倫を知った座長加美男は、プライドがズタボロの状態でいまから妻に不倫される亭主を演じなくてはならないのか!人間の仕事か!と嘆くのですが、某芸人さんのスキャンダルを思い出したりしました。フィクションとリアルの間の混同がこちらでは一つのテーマとなっています。作中でも「劇とリアルを混同するな!」という言葉が出てきますが、大衆演劇、アイドル、ときにお笑い(リアリティーショーの側面もありつつ、あくまで「お笑い」のコードで話されている話であるという了承が必要である)、そしてときに宝塚もそうなのは言うまでもありません。このセリフがなかなか示唆的に感じました。

しかしなによりもぐっときたのは、大衆演劇を観る人たちの心情を綴ったコーラスのセリフです。「こんな大変な人生 どうしてこんな思いをせなあかんの」「これがないとやってられない」「これだけが楽しみなんや」「現実逃避させてくれ」(「田舎騎士道」とごっちゃになってるかもしれません)。上田久美子は前々から「現実逃避でないエンタメ」を志向し、えげつない鬱展開を繰り広げ「人生はつらい、でも生きねば」といった作風を展開していました。出自からして「労働者が余暇にひととき日常を忘れ、夢の世界に浸って明日の活力を得る」宝塚において、彼女の「現実逃避の心地よいエンタメでなく、えげつないまるで現実のような悲劇を接種することによって、日々を生きるワクチンとする」(という表現に近いことを言っていたインタビューがあった気がする)考えは趣向を異にします。ほんとそう、まじで生活はクソ、労働はクソ、人生はクソ、それをパーっと明るくやりたくて、クソ日常を忘れたくて観劇するし、ライブ行くし、酒飲むし(「飲まないとやってられねぇ!」という台詞が「田舎騎士道」で出てきます)と思っていた私は不意にこの字幕を見て涙ぐみそうになりました。現実逃避が恋であることもあるでしょう。ただ恋が現実逃避となるとき恐ろしいのは、「この環境から出して」という恋の場合他の人の恨みを買うことです。そしてその恋にまつわる機微が、「道化師」では悲劇を生むのです。

日々の憂さ晴らしを求めて演劇やエンタメ、推し活にうつつを抜かす私たち。今回のウエクミオペラでなにより驚いたのはそんな人々への眼差しの変化(だと個人的に思っている)でしょうか。「もしもオペラとか全然やってないところにこのポスターがあったら落書きされるかもしれない言葉」として選んだ「みんなさみしいねん」。大衆演劇の人に、「なぜお客さんは観にいくのか」とウエクミ先生が尋ねたときに返ってきた答えとのことです。「このさみしさを埋めてくれるものがあれば」といったセリフが「田舎騎士道」に出てきたと記憶しているのですが、さみしさや不安、どうしようもなさ、うっぷん。そこから生まれる愛憎、痴情のもつれ、欲望、エンタメを求める心。どこかその人のどうしようもなさ、ままならなさ、愚かしさをえげつない物語で描きつつも「しゃあないなぁ」と決して裁かず突き放さずに眼差すようなトーン。人間のちょっとした虚栄心をコメディとするのは宝塚時代でもちょくちょく見られましたが(桜嵐記のフラれる三男やfffの「ペンじゃなくてパン!」周辺のシーン)。勝手ながら今回そんなしょうもないどうしようもなさを描きつつも愛おしく思えるのが(そしてそれは劇場で観る私たちも同様なのですが)とてもぐっと来た収穫でした。だからこそ舞台は「大阪」であった必要があったのかもしれません。ポスターで出ている、シャッターにグラフィティが描かれているような町。たださみしさは、どこにもあるものなのです。きっと。


過去に読んだ記憶がある記事で
うろおぼえながら参考にしたもの(記憶が正しければ)

*Domaniのインタビュー
宝塚歌劇団を離れた上田久美子さんがオペラ初演出。文楽形式のヴェリズモ・オペラで新たな試みを【インタビュー前編】 | Domani (shogakukan.co.jp)
*朝日新聞のインタビュー
「推し」でなく中身で問う演劇 宝塚を離れた演出家が向かう先 [KANSAI]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
小説新潮のインタビュー


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