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老人と海 ヘミングウェイ

珍しく洋書を紹介しようと思う。

ヘミングウェイの作品には「誰がために鐘は鳴る」とか「武器よさらば」もあるけど、やっぱり代表作は老人と海なのではないだろうか。晩年のヘミングウェイの風貌は老人と海に登場するサンチャゴそのもののように見えるが、若かりし頃は行動派の作家といわれるだけあってなかなか精悍な顔をしている。老人と海が高い評価を受けてノーベル文学賞を受賞するも、飛行機事故や精神疾患から作家としての活動力は失われていき、最後は散弾銃で自殺する。戦場で多くの死を目の当たりにして、自分もまた死と隣り合わせの中で生き延びてきたにもかかわらず、自死を選んだヘミングウェイは最後に何を思ったのか私には興味がある。単に肉体の衰えに耐えられなかったのか、世界が絶望的に見えたのか。遺書があったということだがその内容について私は知らない。

話は変わる。私は毎日能登島大橋を渡って能登島と七尾市内を行き来する。ちょうど今時分、春から夏に季節が移ろう5月下旬から6月にかけて七尾湾の海の色が夏の色へと変化していく。私は季節の移ろいを海の色で感じる。全長約1キロのそう長くもない橋であるが、海を真上から毎日のように眺めることができる暮らしというのも悪くない。いやそのことはずいぶんと私の暮らしにいろどりを与えてくれていると思う。

海が夏の色になってきたことを感じて海の小説が読みたくなった。衝動的にそう思ったのであんまり長い小説を手にする気にならずに「老人と海」を読むことにした。
読みながらこんなことを感じていた。人並み以上にアクティブを自認する私は行きたいところに行き会いたい人に会うことが自分のエネルギーの源であると思っている。そんな私ですら新型コロナではある程度のステイホームを強いられ、ずいぶんと一人でいる時間を過ごした。これはちょうどサンチャゴが釣果を上げられずに過ごした80数日間と同じぐらいの期間だ。サンチャゴがこの間悶々としていたように、わたしもまた少しばかり憂鬱な時間を過ごしていたものだと。

この物語は老漁師サンチャゴの(おそらく)最後の戦いのエピソードだ。サンチャゴは80数日間の不漁の日々を送る中で、たった一人彼のことを慕う少年マノーリンも彼とともに漁に出ることを親から禁止されてしまう。そんな、もう仲間からも漁師として”終わった”存在とみなされているサンチャゴが超大物のカジキと三日間夜を徹して格闘するさまが描かれる。サンチャゴの独白、けがや空腹やアクシデントが淡々と並べられているような文体だ。しかしだからこそ自然や海の厳しさや、自然に対して一人の人間の矮小さが際立つ。一人の人間が自然と対峙するとき、人間に対して自然の存在はあまりに大きく人間は無力だ。その無力さを受け入れつつそれでも果敢に自然に対して戦いを挑むとき、意外かもしれないがドラマティックなことは何もなく、人間は自然に飲み込まれないように自然と対話を試み、自然と一体になろうと試みるのみである。

冒険といえば未知との遭遇や危機一髪を潜り抜けるアクションをイメージしがちだが、本当の冒険というのは孤独と単調なリズムに耐えて生き延びるということなのかもしれない。老人と海はそういう意味においては一級の冒険小説といえるだろう。

この本を手に取ったのはもう一つ理由がある。それは翻訳が福田恒存によるものだったからだ。福田恒存といえば戦後の保守思想の大家である。批評家であり演劇科であり翻訳者でもあった。マクベスをはじめとしたシェイクスピアの作品の翻訳者としても知られている。この本にはぜいたくにもその福田恒存の書評が付いているのだ。本編は比較的読みやすいものであるが、福田恒存の書評についてはなかなかに手ごわい。戦後の知の巨人はこうして老人と海を咀嚼しているのかということについてその一端に触れることができる。私が印象的だったのは以下の部分である。

”『老人と海』でもわかるでしょうが、ヘミングウェイの人物は、ことごとく闘争的であります。自己の負った痛手を無視して敵と闘います。というより、わざわざ敵を見出すといった方がいいのかもしれません。
こういうストイシズムのまえに、いったい悪とはなんでありましょうか。また全とはなんでありましょうか。「戦後派」としてのかれは、甘い社会主義やヒューマニズムを軽々しく受け入れたがらず、善も悪もない、要するに人生は強いもの勝ち、負けることが最大の悪徳だ、と言っているようであります。勝ち抜き、生き抜くこと、これがヘミングウェイの登場人物の唯一のおきてであるかのように見える。”

勝ち抜き、生き抜くことを掟として闘い、勝利を目の前にしてそれが砂のように手から零れ落ちる。この物語の主人公が老人でなければならず、舞台が海でなければならなかったのは、こんな理由によるものなのかもしれない。この設定であればこそ人間の勇気と自然の厳粛さを描き切ることができたのではないかと、巻末の福田恒存のあとがきを読みながら考えさせられた。

老人と海

ノーベル賞作家であるヘミングウェイの最後の作品を、戦後保守の大家である福田恒存が訳しあとがきを寄せている。短い作品であるが、ぜいたくな一冊であると私は思う。

YouTubeに映画のダイジェストがあったので観てみたが、これを見て本編映画を観たいという気分には正直ならなかった。
物語の性質上、映画にするのは難しいのかもしれないし映像のクオリティの問題なのかもしれない。

むしろ同じタイトルのこちらの方が私たち日本人にとっては見ごたえがあるかもしれない。機会があれば先にこちらを観ることにする。

最後まで読んでくださってありがとうございました。
次回もお楽しみに~


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