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学校再開!進化した学びをキープせよ

久しぶりのNeGLLaは学校再開にあたって私が心配していることを書いていきたい。学校再開にあたっては心身への負担も小さくなく体調に変調をきたす子どもや、ストレスで不登校になってしまうケースも少なからず出てくるであろうが、そういった分野については専門外なので、今日は学習面についての課題というか思いを私なりに記しておきたい。

9月入学について

まず書いておくと、私は9月入学については賛成ではない。北陸に住んでいる人間としては、大学入試が雪の季節であるとかインフルエンザの蔓延時期に重なるなどの不安要素が春から夏にかけての受験であれば緩和されるという意味で、高校入試や大学入試の時期が温かい時期ならよいとは思うが、それ以上ではない。
少なくとも新型コロナの影響を軽減するために手を出してよいという課題ではないし、進めていくならば大学から順番に長期的かつ段階的に導入するべきだと考える。だいたいが、今の学年を半分ずつ入れ替えて新しく学年構成をするには無理がある。おそらく学習の遅れを取り戻す以上の混乱が生じて、結果として子どもたちの学びは阻害されることになるだろう。
与党で議論したものの見送りとなったと聞いて安心しているところだ。

学校再開後のカリキュラムについて

個人的には休校期間中の学習内容を”取り戻す”ことばかりにとらわれて、今年度の残りの期間のカリキュラムを(授業時間を過度に増やす方向で)再構成することには大きく反対しておきたい。休校の遅れを取り戻すために、授業時間を増やし、週末の休日や長期休暇などを減らすのはぜひともやめてほしいと思う。
その理由としては、第一に既存のカリキュラムは学習内容の定着を図るためのタイムスパンも加味して作られているはずである。授業時間数(コマ数)を確保すれば取り戻すことができるわけではない。極端に言えば一日のコマ数を二倍にすれば一年分が半年で学び終わるというものではないのだ。学びと余暇のバランスの中で学習内容を定着させていかねばならないからだ。
第二にここが重要だが、子どもたちの中に芽生えた自主性の芽を摘んではならないともう。休校期間中に自分なりの学びのスタイルを確立しつつある子もいれば、学校での勉強以外の分野に興味を持った子もいるだろう。彼ら彼女らの中に芽生えた成長の可能性を尊重してほしいと思う。
したがって、感染対策も含めて考えるならば、分散登校や時短登校を継続しつつ、学校でなければ勉強ができないというタイプの生徒に対しては保護者の希望にも沿う形で学校にいる時間を長くすることができるようにしてはどうだろうか。一人でできることと集団でしかできないこと、自分で学ぶことと教えてもらうことを切り分けして、集団で教えてもらわなければならないことやグループで活動することで身につくことを学校のマストの役割として、そうでないことについては学び方についてある程度子どもにゆだねてもいいと私は考える。
特に高校生にもなれば自己決定に基づいて自身の学び方を身につけなければ、結局学んだことを活かすべき社会において主体性が発揮されない。

リモートラーニングへのシフトについて

大人の社会においてリモートワークへの切り替えが進んだのと同様に、このコロナの状況下で子どもたちのリモートラーニングの流れも進んだ。もちろんIT後進国といっていい我が国ではハード面においても不十分なままのところが多く、学校を始めとした学びを提供する側の準備が整っていなかったために十分に機能したとは言い難い。
あと3ヶ月休校が続いたとしたら、リモートラーニングの流れは不可逆なまでに確立し、学校の授業も半分以上は家で受講できるような状況もありえた。しかし、休校が終わりまた時間と場所に制約される学びがスタンダードになるというか学校においてはそれしかできないという元の状態に戻ってしまうのではないかと不安だ。
学校での授業ができないから映像授業やzoomなどを取り入れたのではなく、そちらの方が時代に合った学びだからこそ取り入れたというふうに考えてほしい。そして学校再開後もリモートラーニングを可能とする体制づくりを継続してほしいものである。

学力を向上し成績で競う

私が尊敬する教育産業の経営者である廣政愁一氏がかつて当塾の塾生向けに語っていたことで印象的だったのは、「学力と成績の違い」についてだ。学力とは自身が持つ知識の量とその応用力の総和のようなものだという。したがって少しでも勉強すれば必ず学力は上がる。一方で成績は他人との比較にあるため自分の学力向上の速度が他人に比して遅ければ成績は上がらないことになる。そして入試は成績によって決まることになるとのことだった。たしかにその通りだ。
それを踏まえて、学校行政の役割は「必要かつ時代の要請にこたえる学力の定義」をさだめてその獲得のための方向性を示すことで、学校の役割は学力向上を実践すること(成績の向上ではない)だと考えるが、一番必要なことは「子どもたちが幸せになるために学ぶ」ということを忘れないことだと思う。広義の学力を手に入れることは幸せに通じると私は信じているし、こうしたことを仲間とともに実践することができる学校という場所は特別であり神聖な場所だと私は認識している。だから、私は塾業界に長くいるが学校や先生に対する敬意は常に持っているつもりだ。
一方で成績を上げることについてはもっと児童生徒個人や民間の教育機関にゆだねてもらいたい。学校内の成績は誰かが上がればだれかが下がるのだから、単に数字上の序列に過ぎない。学校ではただ子どもたち一人ずつの学力向上に目を配るだけでいいと私は考えるのだ。
この休校期間に私たち民間教育に携わる者だけでなく学校の先生方も様々に思いを巡らせる時間があったはずだ。対話の機会は少ないが互いに内省し新型コロナの混乱を学びの進化の機会としたい。

学力向上に視点を置いて今年度の残りを過ごすことができるように

繰り返しになるが私が考える学校の役割は学力の向上だ(私たち民間はそれを踏まえて成績を上げるためのサービスを提供する)。学力向上は机の上だけでできることではない。様々な学校行事も学力向上に寄与しているといって差し支えない。脳、体、心に多様な刺激を与えてこそ学力は向上する。そのために年間を通したカリキュラムがある。
失われた時間を取り戻すことができないので、これをどうカバーするかについてだが、初めに取り組むべきは学習時間(コマ数)の確保ではなく学習内容の優先順位を再確認することではないだろうか。科目の中にはこれを学ばなければ次の学年での学習に影響するという分野もあるはずだ、算数や数学において顕著だろう。こうした科目は内容を省略することができない。一方で、国語のように工夫の余地がある科目もある(と個人的に考える)。国語には読解力を高める機能、表現力を高める機能、文章を味わう感性を養う機能などがあるが、学年ごとに今年は読解力強化に努めるなどして、全体量を減らすことが可能だ。また体育や芸術については短期集中でそれこそ合宿などでプロの指導者を呼ぶなどしてイベント化した授業を取り入れるなどの工夫をすれば、むしろ効果が上がったり良い思い出になるかもしれない。こうした予算はどんどん国に出してほしい。
とにかく量ではなくて質での勝負が必要だ。そして学校行事や休日を犠牲にすることなく2020年度を過ごすことができるようにしてほしいのだ。これらの学校行事もこれまでのやり方にとらわれず子どもたちにとってより価値のあるものにバージョンアップしていくとよいと思う。
良い意味でのゆとりを学校から失わないでほしいと切に願うばかりである。

最後に

いろいろ書いたけれど、この新型コロナにおける様々な出来事について大学受験をひかえる高校生には「学び」は結局自分次第だということを肝に銘じる機会としてほしい。休校期間の学習についてその環境はかつてに比べれば飛躍的に向上している。自分で調べることができないことはほとんどなく、友人や先生に自宅からリアルタイムでしかも画像や動画を使って質問も可能になった。様々なことが可能な環境でみんなと競争しているのに、みんなと同じことをしていても成績は上がらない。みんなより学びの量をこなし質を上げるしか成績を上げる方法はない。
このことを痛感した中学生や高校生は少なくないはずだ。学校が始まって何となく元に戻ってしまうのはもったいない。この三か月間に気が付いたこと、始めたこと、抱いた決意を大切にして入試に向かって時には仲間と、でもほとんどは孤独に頑張ってほしいと思う。

もう一度最後に言うけど、「学校が始まっても学びの進化を止めるなよ!」

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