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TOKYO2020からNIPPON2021へ

先行して非常事態宣言が解除された地域に続いて、東京をはじめとした残りの大都市圏や北海道も宣言解除へと向かっているようである。私の住む石川県も紆余曲折ありつつも先行して宣言解除となったが、道路の電光掲示板には「県境を越えての不要不急の移動はやめよう」とか「ドライブ観光自粛キャンペーン中」などと表示されており、県の観光連盟のホームページでも写真のようなポップアップが表示される。
日常生活を取り戻すのにもまだ時間がかかりそうだが、移動を伴う観光産業が活力を取り戻すためにはそれ以上に時間が必要になることは確実だ。

コメント 2020-05-25 020629

さらに言うと、小池東京都知事が公表しているロードマップを見る限りにおいては東京都が以前の状態に戻るのはもはや不可能である。新型コロナ感染拡大の第二波に備えて基準を定めているが、その内容は以下のようなものらしい。(ロードマップの一部)

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この資料を見る限りにおいては(一概に人数だけで決めるわけではないだろうが)一日当たりの新規陽性者数が50人を超えるたびに様々な要請がなされるということだ。都民をはじめとして国民の要請に従って今後PCRの検査数は拡大していくはずであるし、無症状の人も検査を受けることになればこの数字を超える事態は容易に起きうると想像される。分母(検査件数)を増やしながら、基準を実数に置くというのはちぐはぐな印象を受けるのは私だけだろうか。しかも50人/日という基準値の妥当性についても首をかしげざるを得ない。ちなみに東京都においては3月4月の二か月の間に交通事故の負傷者が4171名であり一日当たりにすると約70人である。これと比較しても厳しい措置をとるための基準として妥当性が疑われるし、東京都の人口に対して50人は0.000358%という数字についてもよく考えてもらいたい。

私は医療に関しての専門家ではないので、この数字でも医療崩壊が起きうるかどうかについて十分な知識があるわけではない。50人/日の受け入れやそこからの拡大を計算すればかなりの確率で医療崩壊が起きるということであればご指摘いただきたいが、感染症対策についての知見や経験が高まれば対応する側のキャパシティーも強化されていくと考えられる。

さて、私は都民ではないので東京都のことを心配してもしょうがないし、小池知事をはじめとする都民の方から「ほっといてくれ」と言われるかもしれないが、私が言いたいのはこの基準では東京が以前の経済的勢いを取り戻すことは相当に困難であるということであり、そしてそれが地方にとってチャンスとなりうるということを強調しておきたい。

ただし、これまで観光分野や移住政策において地方が交流人口や関係人口の取り合いを続け十分な成果を上げることができなかったという失敗の轍を踏んではならない。人口減少対策として人口減少に歯止めをかけようとしたり、人口の取り合いをしたりすることを目的としたさまざまな取り組みはほぼ失敗に終わっている。地方創生が言われて5年以上たつが大都市圏への人口集中の流れは一向に弱まる気配を見せていないのだ。地方から都市への人口の流れが止まっていないのに、地方間で人口獲得競争をしていても疲弊するばかりであるということにそろそろ気が付くべきだろう。もちろんわがまちは成功したというところもないではないだろうが、基礎自治体単位で多少人口が増えても、地方衰退のトレンドが止まるわけではない。

なぜ東京をはじめとする首都圏に人口が集中するかといえば、経済活動において密であることが有利だからである。ヒト、モノ、カネに加えて情報を集約すれば効率が高まるとともに、集中することによって狭い地域に大きな需要が生まれ、市場が活性化する。地方ではその逆のことが起きて衰退していくために、それによって一段と都市への集中が加速してしまう。様々な交通手段を高度化して移動を容易にすることは”均衡ある国土の発展”(昭和49年制定の国土利用計画法で登場する言葉)に寄与するものの、国民が生活する場所の均衡を促進することは出来ないということだ。

しかしながら、新型コロナは首都直下型地震への警告にすら大きな反応を示さなかった私たちに実際の行動の変化を促した。しかも国の要請という形まで伴って「密=危険」というこれまでの原理とは逆の方程式を私たちに示したのだ。

地方はこの流れにのって機能分散型の国土形成に向けた合意の下で新しい地図を描くために協力することから始めなければならない。もちろん、今後もこの国において東京の影響力が著しく衰退することはないものの、様々な活動を行うにあたって東京でなければならない理由は小さくなってくるはずだ。一方で様々な機能を分散するためにはある程度のコストがかかることも事実である。したがってまずは地方が声を上げて政治や行政分野の機能を東京に集中させている状態を変えていくことから手を付けていくべきだ。

国会議事堂を東京から移転せよ
一番移転するのが難しいものから動かしていく方がいいという意味で、移転すべき機能の一丁目一番地は国会議事堂だ。埼玉県の本庄早稲田駅はもともと第二東京の機能移転のために新幹線の駅ができたと耳にしたことがある。伝統ある現在の国会議事堂には参議院を残し、衆議院は最新鋭の議事堂で職務に当たればよい。災害や戦時においてのリスク分散にもなりネガティブな要因は何もない。

中央省庁は分散せよ
様々な省庁は全国の主要都市に分散することを提案したい。国会議事堂の移転先に首相官邸も移動し全体の統括はそこで行いつつ、各省庁の機能は分散する。閣議も一部はリモートで行うことが可能であるし、幸いなことに日本は全国どこの主要都市からでも短時間で集合できる程度の面積しかなく、交通網も十分に発達している。
また、それぞれの省庁に関連する産業分野の機能分散も同時に進んでいくという効果も十分に期待できる。

東京にはアートとアカデミズムを残しておこう
分散する必要がない機能として大学があると考えられる。また芸術分野においても東京が古典から現代アートまで様々な発信機能を持ち続けることが望ましい。学術と芸術の都として、機能分散の後に緑化された広大なオープンスペースを持った都市として生まれ変わり、多くの若者を”一時的に”受け入れてもらいたい。

小池知事をはじめとする東京の政治家はこうした流れを好感をもって受け入れることはないだろう。これまで密になることで価値を高めてきた東京にとって分散の方向性は受け入れがたいのは当然のことだ。したがって、ここは地方の政治家が一枚岩となってこの流れを促進する議論をしていかなければならない。国を二分するような議論を進めるためにも、地方のための国政政党の誕生が望ましい。維新の会と既成政党を飛び出すことができる地方出身の保守政治家が連合できるかどうかがカギだろう。
また、この流れが本格化するまでは地方間のつまらない綱引きは禁物だ。「わがまちには○○省を持ってこい」などと個別の課題について議論の当初から争うようでは、むしろ東京を利することになる。地方創生における人口の取り合いの失敗の轍を踏むことは厳に避けたいものだ。

さて、ここでやっとタイトルについて書くことができる。
東京オリンピックが一年延期されて、組織委員会の森会長は来年こそは絶対に開催すると意気込んでいるが、不透明感をぬぐうことは出来ない。東京都が示すロードマップとこれまで準備した東京オリンピックの開催の在り方には大きな乖離があるといって差し支えないだろう。ポストコロナの状況で日本のみならず世界で最も「密」な場所でオリンピックをやるというジレンマを解消できる糸口を見つけるのは難しい。
そこで提案したいのはTOKYO2020からNIPPN2021へと変更して、日本各地に競技を分散して開催してはいかがだろうか。さすがにすべての都道府県での開催は難しいかもしれないが、主要都市での分散開催は十分可能なはずである。あれほど唐突に決まったマラソンの札幌開催ですら可能だったことがそれを証明している。

震災からの復興オリンピックという位置づけも踏襲しつつ、ポストコロナの新しい日本のビジョンを掲げてオリンピックに臨むことができれば本当に価値のある大会になるはずだ。これは真の意味での分散型国土へと日本がバージョンアップするための契機となりうるだろう。このくらい夢のあるプロジェクトを短期間で成し遂げてこそのレガシーではなかろうか。

TOKYO2020からNIPPON2021 へ!

強くこのことを提案しておきたい。

東京の皆さん、高橋が勝手なこと言ってごめんなさい(笑)
怒らないでくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました-
また次回もお楽しみに~

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