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東京都知事選 頑張れ小野泰輔!

東京都知事選挙も中盤を迎えているが、私としては正直なところあまり関心がない選挙である。というよりは関心がない選挙になるはずだった。ところが、気になる候補者が飛び出してきたのだ。それが維新の会が推薦する小野泰輔候補だ。

能登と佐渡に続いて阿蘇を世界農業遺産に押し上げた立役者の一人である知人を介して、小野氏とは直接話をしたことがある。私と同じ歳の彼はその時すでに熊本県の副知事であったと思う。熊本県知事が抜擢したに値する能力を持っていることは、世界農業遺産の件のみならず熊本地震からの復興事業において手腕を発揮していたことから間違いないはずだ。その時の印象としては、「この人は伝えることよりも耳を傾けることが得意なんだな」と感じた。

正直なところ厳しい戦いであり、当選することはほぼ不可能であろう。しかしながら、私はこのチャレンジに敬意を表するとともに、このチャレンジもまたこれからの日本の政治の地殻変動の一つになりうるのではないかと大きな期待を寄せている。

主要候補者に対する私の評価を書いて、私が小野泰輔候補を応援する理由を読んでいる方にご理解いただくとともに、届かないだろうが小野候補へのエールとしたい。

小池百合子候補が優勢すぎて、、、

まず、現職の小池知事が圧倒的に有利な選挙になっている。アメリカ大統領選挙においては戦時下では現職は負けないといわれているらしいが、それに近い状態といえる。それにしても、小池知事のコロナ対策はほとんど自身の選挙対策とリンクしているように見える。私が東京都民なら東京アラートなどという暮らしを混乱させるだけの妙な基準を打ち出してみたり、二番煎じの都庁ライトアップを税金でやってみたり、「私が東京都民を守ってあげる」的な取り組みを快く受け入れることはできないと思う。にもかかわらずその小池知事が優勢だというのであるから、理解しがたいだけでなく面白くない。

東京都民の暮らしをあずかり、都民の税金によってその運営を行うことについて私がそれを表する立場にないのかもしれないが、やはり小池知事についてはどうしても政治活動を自己顕示欲を満たすための手段としているように見えてしまうのだ。それは希望の党の設立時からそうである。新型コロナ対策の記者会見にを見ると「COVID-19」の文字が自身のイメージカラーであるグリーンで印字されたパネルの前で話している。防災服も緑色だ。うがった見方をしていると思われるかもしれないが、これは自身のスカーフの色にイメージカラーを用いるのとは意味合いが違う。パネルや防災服は公的なものであり、それに私的な表現を忍ばせている様子が私には下品に見えるのだ。

現職知事としての実績については、オリンピックの騒動、築地の移転、4年前の公約である「7つのゼロ」の達成状況などをみても都知事としての続投に疑問が生じる。評価できるとすれば、前もその前も都知事が「政治とカネ」の問題で辞職したのと比べて4年間無事に勤め上げたことになるかもしれない。

山本太郎候補の出馬について

最近少しばかり期待していた山本太郎氏の半ば強引な立候補が残念でならない。新型コロナの影響でれいわ新選組の露出が減ったことによる焦り、党の資金不足、自身が公職にないことによる無力感など様々な要因があろうと思われるが、私が見るに今はその時ではないのではないか。

山本太郎という人物についてはいろいろな評価がある。喪服に数珠携えての国会パフォーマンスなど問題行動も多かったのは事実であるが、私としては彼が現在主張しているMMT理論に基づく経済政策については間違っていないと考えている。実際に自民党の中に同様の経済政策を求めるグループも存在し、消費税減税も含めた積極財政を求める主張は彼に固有のものではない。

しかし、国政で正しいことがそのまま都政でも通じるとは限らない。都政と国政はやはり違うので、都知事選において国政を都政に置き換えて選挙を戦っても、当選が不可能であるのみならず、せっかく地方において少しずつ認知度が上がってきた勢いに水を差すことになるのではないかと私は見ている。なぜといってこの国には都市と地方の間に対立というかジレンマがある。それは資本主義や新自由主義による選択と集中を推し進めれば、経済分野に関して都市が優位になるという宿命によるものであり、都民の意図的な搾取があるわけではない。しかしながら東京都政に多くの財源を投じることは結局地方にしわ寄せがいくということになる。少なくとも地方からはまた東京だけが豊かさを享受しようとしているように映るのだ。したがって、「都民のために」と主張すればするほど、地方での人気が下がると私は予想している。彼には国民のために仕事をしてほしい。

宇都宮健児候補はよくわからない、、、

よくわからないと書いたのだが、宇都宮健児氏の主張の中には共感できるものもある。それは彼が「社会の連帯」を重視し新型コロナへの対応も含めた社会課題の解決の柱としようとしていることである。しかし残念ながら、アメリカ大統領選挙の民主党の候補者選びにおけるバーニーサンダースと同じ道をたどることになるだろう。民主党の候補者選びの中で前回ヒラリークリントンが選ばれた4年前の候補者選びの時に、私は実のところサンダースに期待していた。彼の演説に込められた危機感はアメリカのみならずわが国にも当てはまる重要なポイントをついており、サンダースの躍進があればアメリカ自身がポスト新自由主義に踏み出すのではないか。そしてそれは巡って日本にもいい影響があるはずだと期待したものだ。しかし残念ながら、ゲームチェンジやパラダイムシフトを主張するにはオーバーエイジだったのではないだろうか。若ければいいというものではないにせよ、やはり新しさを主張するには”若さ”が必要だ。もしも彼が40歳代ならば勝機はあったと思う。

このことは宇都宮健児氏にも当てはまると私は思うのだ。残念だが東京の新しいリーダーとしては老いている。やはりエネルギーがみなぎっているように見える必要があるのだ。そこはかつてテレビで活躍した小池知事は自身がどう映るかについての気遣いが半端ではないし、実際にエネルギッシュに見える。

若さは候補者を際立たせるために重要なポイントである。宇都宮健児氏については弁護士としてはまさに社会の連帯を強化するために尽力してきたものの政治家としては都知事選候補者以外の実績はない。それでもチャレンジするというのであれば、やはり若さが必要なのではないか?野党統一候補としては非常に物足りなく感じるのは私だけだろうか。

そして、小野泰輔候補!

小野泰輔候補に対してはパンチ力不足を指摘する記事をよく耳にする。冒頭にも書いたけれど、それは私も実際にお会いしたときに感じた印象と一致する。かれは語る人ではなく耳を傾ける人なのだろう。私はこのことはとても大切なことだと思う。なぜこのことが大切なのかについて少し遠回しになるけど私なりに書いてみたい。

私は政治家には二つの能力が必要だと常々考えてきた。一つは「ビジョンを示す力」でありもう一つは「マネジメントをする力」である。よほど能力の高い人間でない限りこの両者はトレードオフの関係にある。

だからこそ政治は一人ではできない。どんなリーダーも独断では判断を誤る。したがってリーダーのもとには様々なサポートをするためのチームが存在し、そのチーム内でビジョン構築とマネジメントの両方を磨いて社会課題を解決するための新しい技術やシステムを実装していくことになる。ビジョン型のリーダーにはマネジメントにたけたチームが、マネジメント型のリーダーにはビジョンを描くためのチームが必要になる。単純な二元論では語ることができないが、おおむねそういうものだと言って間違いない。これは企業組織でも同じだと私は考えている。さらに、統治する対象が大きければ大きいほど前者のビジョン型のリーダーが必要であることは言うまでもない。多数の人に大きな期待を抱かせるにはビジョンが必要だからだ。

小野泰輔氏は熊本県の副知事として蒲島知事を支えるチームの中枢において、彼が重視する現場主義を貫きマネジメントに徹してきたのではないかと想像する。ビジョンを描きそれを示すのは知事の仕事であるとして、その分野に関して一歩引いた立場で職にあたってきたのではないだろうか。とするならば、かれの記者会見における言葉の一つ一つが理路整然としていて説得力があるにもかかわらず、それを聞いた私の胸が熱くならないのはある程度仕方がないことだと思う。(ただし、かれの決断や勇気には最大限の敬意を表しているし、そこについては心から立派だと思う。)

東京都知事選挙において当選を果たすためには250万票にせまる得票が必要だろう。私の住んでいる石川県の人口の2倍をはるかに超える。短期間でそれだけ多くの有権者に選ばれるためには、やはり明確なビジョンを示す必要があり、その点で小野候補の浸透は十分な領域には届くまい。したがって当選することは限りなく難しい。しかし小野候補はそのことを承知の上で戦っているように見える。実際に記者会見においても本人自身がそう述べている。

小野候補は十分な政策論争もなく現職の小池知事が続投することに危機感を覚え出馬したとたびたび述べている。東京都知事は単に東京のリーダーであるのみならず日本全体に影響を及ぼす存在であるからこそ、その選挙においては十分な政策論争をもとにした比較検討がなされるべきであると主張している。その通りだ。しかし彼の本意はもっと深いところにあると私は見ている。

私の個人的願望が多分に含まれていることを承知で言うのだが、小野候補は「東京都民の暮らしは東京都民のみによって成立しない」ということを都政におけるビジョンの出発点としているのではないだろうか。いくら政策論争が必要とは言え、このように考えなければ熊本県副知事を辞しての電撃的ともいえる出馬に合点がいかない。彼のキャリアからすれば熊本県知事選挙のほうが余程勝算があるはずなのに、今回の出馬に至るには、小野候補の中で都知事にならなければならない理由があったはずだ。そしてそれは決して熊本県民を見捨ててでも実現したいことのはずがないのだ。

しかしこのことを前面に打ち出してこの選挙を戦うのは不可能だ。なぜといって、これは見方を変えれば東京という都市の傲慢を刺す言葉にも聞こえてしまうからだ。しかしそれでも本来であればこのビジョンは非常に理にかなっている。東京(都市)が地方から様々なリソースを吸い上げるモデルではなく、まさに連帯することによって実現される豊かさことが真の意味で東京都民が求める豊かさであるはずだからだ。詳細に見れば、出生率が著しく低いことを他の地域からの人口流入で補いながら、加えてカネやモノと集約するという経済分野のアドバンテージに見合う経済成長を東京が実現しているとはいいがたい。さらに言えば今回の新型コロナの影響によりそもそも”蜜”であることは、今後も集中し続けることがアドバンテージであるかどうかすら不透明といえる。東京もまた停滞しているのだ。そしてその停滞は過剰な”蜜”は経済成長にとってもマイナスに作用するということを証明している。選択と集中は資本主義における合理性の基準の一つであるものの、どのような基準で何を選択しどの程度そこにリソースを集中するかについて単純な方程式はない。不効率なものを排除し、どんどんリソースを集中すればよいというような単純なロジックはとうに破綻している。そのことを地方の現場から東京を見ていた小野候補はよく理解している。

きわめて単純に言えば、東京都民と熊本県民(をはじめとする、東京圏以外の地域に住む人々)のどちらか一方だけが幸せになることはほんの一時的にはあっても、持続可能ではないということだ。いまこそ、東京と地方の連帯が必要なのだ。

このことを実体験をもって主張できるのは小野泰輔候補のみである。自民党は小池候補を支援しているようだが、そもそも自問党の国会議員の多くが地方の窮状を(建前としては)理解しており、東京と地方の連帯の重要性を理解しているはずなのに、それを可能とする候補を応援しているという矛盾に気づく自民党関係者がいないのが残念だ。山本候補や宇都宮候補はそれぞれ社会の連帯や格差の是正をテーマとしているが、その解決についてマクロでみれば東京だけでは解決できない問題ばかりである以上、両者の主張は小野候補のそれに実のところ包摂されている。

こうして考えると、小野候補の出馬は、候補者自身が自覚しているかどうかはわからないが、相当に大きなインパクトを秘めているのだ。

しかし、これを短期間で都民に理解してもらい、最大の得票を得るのは不可能だろう。であるとしても、これを単なる一つの選挙結果としてはならない。この戦いを始まりの始まりに位置づけられるかどうかは、東京の有権者だけの問題ではない。これは私たち地方に住む人間たちにとっても、その未来を左右する意味が含まれているからだ。

私からのエールは候補者本人には届かないかもしれない。それでも私はここに表明する。

頑張れ!小野泰輔候補! 

体に気を付けて、最後まで熱く闘ってください。そしていつかともに闘うことができるように、私も頑張ります。

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