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君たちが忘れてはいけないこと 佐藤優

実質的新学期のスタートに寄せて

今日は6月1日。多くの児童生徒にとって実質的な新学期を迎える人なりました。長い一斉休校が終わり、少しずつ学校にも日常が戻ってくることは喜ばしいことだと思います。今回の休校期間の間に学びのスタイルや学ぶ目的について様々な気づきがあった子どもたちは少なくないでしょう。自分一人でも学ぶことができるもんだなと思った人もいるかもしれません。それは間違いではないはずです。国際的にみると遅れているという指摘もありますが、それでもかつてに比べれば飛躍的にネット環境は向上しており、自宅にいても学習面においては学校とかわらない授業を受けることができるようになりました。しかし休校期間の間に、学校は勉強のためだけにあるのではないということもまた明らかになったのではないかと思います。
人間を定義するためには少なくとも二人以上の存在が必要です。大げさに言えば、サルは一匹でもサルですが人はひとりでは人間になることができません。人と人の間も含めて人間だからです。そしてその間をつなぐものとして言葉をはじめとしたメディアが存在し、そしてメディアを通じて豊かに感情や意志が通じてこそ良い人間が存在できるというものです。そうした人間の活動をして社交と呼ぶのであれば、学校は子どもたちにとって社交の場といえるでしょう。社交において活力を醸成しなければ独学も続かないという意味でも、学校は重要な存在と言えます。子どもたちが学校で豊かな時間を過ごすことができる日常が続くことを祈って今日も本を紹介したいと思います。

佐藤優とは

今日紹介する本は佐藤優の「君たちが忘れてはいけないこと」です。佐藤優といえば、鈴木宗男の北方領土をめぐる疑惑において外務官僚としての関与により実刑判決を受けた人です。その事件については『国家の罠一外務省のラスプーチンと呼ばれて』に詳しく佐藤優が書いている。当時を思い出すと現政権が黒に近いグレーを白であると言い張る現在の状況とは真逆のことが国策として起きていたのではないかという気もします。そんな佐藤優氏ですがなにせ見た目が怖い(笑)。知らない人のために筆者の写真を。

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(見た目と実際の人となりは一致しません。それは私も同じはず。)

こんな風になかなかに迫力ある方なのですが、今私が直接話を聞いてみたい人物の最有力候補でもあります。現在の日本において国際政治分野で彼の右に出る人を探すのは容易ではないと思います。
そんな佐藤優と日本一のエリート校といって差し支えないであろう「灘高校」の生徒との対話を収録したのがこの本です。本のタイトルにある「君たち」とは直接的には彼の目の前にいる灘高校の生徒ですが、間接的には未来の日本を担うであろうエリート予備軍である子どもたちすべてに対して語っていると思われます。

なぜこの本に惹かれたのか?

私がこの本を手にすることにしたのは、第一に佐藤優本人に非常に興味があるからです。かれはもともと外務官僚ですから、官僚の職を追われた後もほとんど大人を相手に言葉を武器として戦ってきましたが、本書でも述べているように最近は少しずつ教育分野に関心を持ち、様々な活動を行っていると知り彼が子どもたちに対して何を語るのか知りたかったのです。
そして第二に、対する灘高校の生徒のレベルにも関心がありました。どれだけ賢いのだろうかと。おそらく佐藤優と対談するとなれば私だって相当準備しなければならないし、正直ビビるだろうと思います。そんなつわもの相手に高校生がどこまで対話できるのか興味がありました。

驚異の灘校生!

読んでいただければ、みなさんも本当に驚くと思いますが灘高校の生徒のレベルは私の想像を超えていました。単に偏差値が高いというのではなく、そこら辺の大学生はおろか私もかなわないほどの知識レベルでした。それはただものをたくさん知っているということではありません。普段から教科書に載っていることを覚えてテストで再現することを学びの目的とせず、歴史や政治経済における事実の背景について常に考えているようでした。さらにはそうした解釈に自分の見解を加えて未来を語る様子に驚愕しました。

対話の内容は国際問題、宗教、日本社会、教育、天皇や国体、ファシズムと共産主義、沖縄など本当に多岐に及びます。佐藤優と灘校生の対話については本書をぜひとも読んでいただきたいと思います。もしも可能であれば高校生やこれから大学に進むような世代の人たちに読んでほしい。少なくとも今は同じ空間を共有していなくても、自分の日々の努力の先に灘校生のような普通の進学校とは違った鍛え方をして、一段も二段も高いところから世界を観ようとしている人たちとともに過ごすことができる未来があると思えば、受験勉強もまた意義あるものに感じるかもしれません。

エリートを育てる意義

佐藤優が本書の中で取り上げることの一つとして、大学進学実績も含めた学力と経済状況には正の相関があるということがあります。これは他でもよく言われていることですが、その傾向は今後一層強まるのではないかという見解についても私と一致しています。
このことは二つの危険性をはらんでいます。一つは経済的格差の固定化です。とうぜん学歴と生涯所得についても正の相関があるので、金持ちの子は賢い傾向があり賢い子が金持ちになりやすいという循環が続けば階層化していきます。このような階層化による格差の拡大は社会における不安定要素となりがちです。もう一点は所得については都市と地方における格差がありますから、経済状況と学力の相関は、都市と地方における学力格差と同義と言って構いません。つまり経済的(金銭的)には都市はより豊かに、地方はその逆の方向に固定化されることも意味するということです。これは大きな問題といっていいでしょう。
このように言うと、秋田県をはじめとして学力テストの結果をみれば地方のほうが上位を占めているという反論があるかもしれませんが、それは大切なことを見落としていると私は考えます。本書において佐藤優も指摘していることですが、日本の教育システムの問題点として「中学校までのカリキュラムのボリュームが薄い反面で高校のカリキュラムが過密すぎる」という問題があります。たしかに高校は義務教育ではないので、誰もが普通科や進学校に通うわけではありません。したがって高校生のすべてが分厚い教科書や参考書で勉強しているわけではありませんが、現在の大学進学率から考えれば大学に行く時点で必須の学力から逆算して中学校あたりのカリキュラムも作り込んでいく必要があるでしょう。そうなれば、灘高校には及ばなくても普通の高校においてももっと深い学びが可能になるはずです。

彼らがモラルとモラールを携えて成長すれば日本の未来は明るい。私はそう感じました。そして、国であれ地域であれ若い人材を育て輩出するために何ができるかを真剣に考えて実践すること。そして若い人たちに失敗を許容して次々にチャレンジできる活躍の場を提供できるかどうかが未来の可能性を左右するのだと了解しました。自分の住んでいる地域がそれを実践できているかを反省し、自分自身が何をすべきかさらに考えていかなければならないと突きつけられる思いです。

最後に

政治経済、国際関係、人種、宗教、哲学などなど普段の生活とはあまり関係のない分野の本は読まないという人も少なくないでしょう。しかし、新型コロナによる混乱のなかで様々な情報が飛び交い不安を助長しているような事態において、冷静を保つために教養は必要なものの一つだと思います。さらに、コロナ如何に関わらず佐藤優の話の内容は平易ではありませんが、読む価値はあると思います。でもとっつきにくいですよね。
こうしたちょっと難しいテーマの本を読むときのコツはやはり対談本を読むことから始めるということだと思います。そして、もっと深く知りたくなったらさらに著書をあたるとよいでしょう。

「エリート」と聞いただけで嫌な奴らと思ってしまいそうなニュースも少なくないですが、そんなのに出てくるのは本物のエリートではありません。本物のエリートとはどんな道を通ってできるのかということについて関心がある人にもおすすめの一冊です。私もダメもとで塾生に勧めてみようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに~


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