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学校の先生は動画作成をやめましょう

進学塾GRIP代表  高橋 正浩

ちょっと過激なタイトルではあるとは思うけれども、最近リモート学習につて相談を受けることがあるので、その際に私がお答えしていることについて書いてみたいと思う。

新型コロナの影響による一斉休校は事実として子どもたちの学びにとってマイナスの影響をもたらした。一方で新しい学びの方法論について様々な試みが行われたことも事実であり、その点で中長期的には学びの環境をバージョンアップさせるための契機となりうるものであった。

学校において(特に地方の公立学校において)はリモートでの学習支援を行おうとしたところ、タブレットやWifiなど家庭で授業を受けるための環境が一律に整っていないことなどが障害となり、紙のプリントを先生が配って回ったり保護者に取りに来てもらったりといったアナログな対応しかできなかった学校も少なくないと聞く。また一部リモートでの授業を行った学校においても通常授業と同等の進捗とはいかず、今後は夏休みを短縮して補うことになりそうだ。

この間少なくない学校の先生方が、自宅で勉強する児童生徒のために録画やライブでの授業コンテンツを作成してきたと思うが、私は基本的にそれらのことにエネルギーを使うのはやめた方がよいと考えている。
その理由は以下のとおりである。

①リモートでの授業は対面授業の代替ではない

休校期間の授業の遅れを少なくするためにリモートでの授業を行うというコンセプトでは先生も生徒も投入するエネルギーに見合う学習効果を得ることができない。なぜならばリモートでの学習は対面授業を代替することは出来ないからだ。この両者は代替関係ではなく互いに補完するものである。

授業の予習や小テストの解説などのように個々の能力によって要する時間が異なる者に関してはリモート学習の効果は非常に高い。動画の場合、わからなければ繰り返し見ることができるし、わかりきっていればパスすることもできる。また再生速度を調整することで理解度と講義が進むスピードをマッチさせることさえも可能だ。個々にカスタマイズすることが可能という点でライブ授業は動画視聴というリモート学習に及ばない。
そして当然のことだが、リモート学習は時間と場所の制約からかなりの部分において学びを解放してくれる。

一方で集団かつライブで行うの授業の強みも当然ある。私は教室内で他人が間違えたときにそれを自分事としてとらえることができる生徒は伸びるといつも言っている。設問に対する答えの間違いを指摘されるような場合、間違えた本人は意外と冷静にそれを理解することは難しい。間違えたことが恥ずかしかったり、クラスメイトの前で指摘されたことが悔しかったりして意外と冷静に頭は回転していない。一方自分も同じ間違いをしてしまっているような場合、冷静になるほどとそれを理解することができるものだ。
これは先生のお説教でも同じ、叱られている当人よりもその周囲の生徒のほうが、そこから教訓を冷静に得ることができる場合が少なくない。成功も失敗も共有して糧にするのが集団での対面授業のいいところといえる。これは息遣いや空気感を肌で感じながらことが進んでいく場でしか演出できない。

私が懸念しているのは、学校が再開されたことにより現場でリモート学習を導入する機運がしぼんでしまっているのではないかということだが、これはリモート学習が通常授業の代替手段に過ぎないという考えによるものだと感じている。ここをはき違えているようでは新型コロナの影響を未来の教育に活かすことは出来ない。

②餅は餅屋に任せた方がよい

当塾ではほとんど集団授業を行わないで、生徒は基本的に学校教材と「学びエイド」という動画講義のツールで受験対策をしている。私もテストの解説などで一部動画を作るが、基礎的な知識を教えるツールとしては対面授業を行わない。なぜなら、すでに導入している動画サービスのクオリティが非常に高いからだ。

サンプル動画をご覧いただければわかるように、動画だけではなくテキストも含めこれと同等のものを作るのは少なくとも私には無理だ。一コマや二コマならいざ知らず、大学入試の範囲を全て網羅する動画をこのクオリティで作成するのは相当の覚悟と技術が必要になる。
自分以外の誰かに担当生徒が教わるということに多少の抵抗はあると思うが、一方ですでに学校でも教材の映像を観たり、業者の参考書やプリントを採用たりしているはずであり、教育コンテンツのすべてを自前で整えているわけではない。

ちなみに、私たちの世代ではわからないことがあると”ググって”調べるのがすでに一般的だが、生徒を見ていると”ググる”こともせず、”ユチュブる”ことで疑問を解決している。数学のわからないところも、料理の仕方も、サッカーのリフティングの上達方法もYouTubeで検索する。よく伝わる指導法の一つに「やってみせる」があるが、動画はまさにそれにあたるので、非常に効率がいいわけだ。

YouTubeは玉石混交だが、ある程度のクオリティが担保されているサービスを活用すれば教育効果は確実に上がるはずだし、これはプロの仕事に任せた方がいい。(ユーチューバーにもすごい指導動画を上げている人もいますが。)

餅は餅屋に任せて、自分たちは自分たちにしかできないことをやるという割り切りもこれからの先生のスタイルとして重要だと考えるのである。

③先生の多忙化解消にもなる

学校の先生の忙しさは尋常ではない。教育者としての使命感がなければ耐えられないレベルだ。そんな先生たちにさらに動画の作成も担当させるということになれば、現場は崩壊するだろう。動画による講義は学習効率を高めるのみならず、先生たちの労働環境の改善にもなると私は考えるし、その観点からも早期に導入するべきであると私は考えている。

おおむね上記の理由から私は、先生自身が動画授業を作成することをあまり歓迎していないのである。

学校再開が再開されて今準備しておくこと

学校が再開されたとはいえ、今後の状況次第では再度休校になることも考えられる。そうなったときのために今のうちから備えておくことが必要だ。

授業の冒頭に今日の課題について共有する

講義については動画をみんなで観る

講義を視聴した後に振り返りや感想をシェアして課題を出す

一部の授業においてでもこうした流れを採用しておけば、再度リモートになった際にも画面共有などを活用して同じスタイルで授業を再現することができるだろう。今しておくべきはそうした備えのはずだ。全科目でやる必要はなく一部で取り入れておくだけでもいい。
大切なのは先生自身が教えなければ成立しないというスタンダードを少しだけ改めていくことだ。

そのためには動画授業を作ることにエネルギーを割くのではなく、すでにある動画授業を使いこなすことに専念した方がいい。

最後に

繰り返しになるが、学校が再開されたからと言って”元に戻そうとする”とか”失った機会を以前と同じ方法で補おうとする”ことは間違いではないにせよ、結果として苦労のわりに教える側も教わる側も幸せになることは出来ないのではないだろうか。
学校での学び方は本当に変わってはいない。一方で社会や家庭から要請によって学校の役割やなすべきことは増え続け、一方でテクノロジーの導入が遅れている。その象徴としてランドセルもカバンもかつてないほどの重量になっている。進学校に通う高校生のカバンの重量は笑えないレベルだ。

今必要なのは、「さらに何を付け加えるか」ということではなく「何をやめるか」ということに他ならない。やめることを決めてからやることを付け加えなければ、先生も子どもたちもノルマに追われる学校生活を送るのみになってしまう。

だから、新型コロナの影響による学びをどう保証するかについて先生方は様々なことを考えていることと思われるが、リモート学習のためのコンテンツを”作る”ことはやめた方がいいと強く申し上げておきたい。


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