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ポストコロナの日本地図 予告編

ずいぶんと政治放談のチャンネルの新規投稿をおろそかにしてしまった。新型コロナの影響について書きたいことは結構あるものの、筆が進まずに今日まで来た。

その原因は主に三つあると感じている。

一つは私自身がこの状況を掴みきれていないことだ。私は専門家でもなければ何らかの影響力があるわけでもないので、別に状況を掴みきれていなくても好きに書けばいいような気もしたけれど、こうして書く以上は自分なりに責任をもって書きたいといつも思っている。たしかに安倍首相がマスクを配ると言い出したころは確かに政府の対応はまずかった。中国からの水際対策の不備など初手を誤ったのも問題だが、それをカバーずるために打ち出される対応策が残念なものばかりだったと多くの人と同様に私も感じたから、それについて掘り下げていくことができた。しかし、現在の政府の対応は手続きの煩雑さなど不十分な点はあるものの国民の暮らしを支えようとしている意志は見られる。さらなる財政出動が必要であることや消費税の減税に踏み込む必要性を個人的には感じるものの、そうしたことに対応するのも時間の問題ではなかろうか。したがって現時点で政府与党に対して声高な批判をするのも的外れな気がしているのだ。

もう一つの理由は、すこし大げさな表現になるかもしれないけど、私自身がこの自粛ムードの中で焦燥感というか虚無感というか、いわば精神のブラックホールのようなものに引きずり込まれそうになっているからかもしれない。いまのところその状況から私を救ってくれているのは主に読書と食事だと思う。本を読みながら、物語に身をゆだねたりビジネス書の中にあるアイデアについて妄想したりして、いわばもう一つの世界から現実を眺めることができているからこそ精神が保たれているのではないだろうか。そしてやっぱり旨い飯を食うというのは栄養を取る以上に人間にとって重要な営みであるということだ。とはいえその食事とて以前ほどの楽しみはない。というのも本当に直接顔を合わせて対話する時間というものが少なくなってしまったのだ。たしかにZOOMなどで講義をしたりミーティングをしたりすることはあるけど、特段の目的もなくふらりと友人を訪ねて近況や世相について語り合うという機会が激減してしまった。話すことが私にとっていかに重要なエネルギー源であるかということを思い知る毎日だ。

さらに三つ目として、どうしても私はこのコロナショックの先に何があるのか、そのなかで私たちがどのようにアクションしていかなければならないのかということについて考えていきたいし、書いていきたい。にもかかわらず、その勇気がなかったのだろう。ポストコロナについて表現することは時期早々なのではないかという思いがあったのだ。
感染拡大を防ぐためにこれまでと日常生活においてこれまでとは大きく行動原理を変えていかなければならないことは間違いない。しかしながら現状の自粛要請に基づく経済の停滞は私たちの暮らしにコロナウイルス以上の致命傷を与える可能性が少なくないと私は感じている。経済活動を元に戻そうというのではない、「耐える」フェーズから「踏み出す」フェーズに差し掛かっているのに、そのことを声高に語ったり書いたりすることを過度に恐れてしまっていたのだ。私自身が。

今回は予告編なので、具体的な現状分析や今後の展開についての予想、私なりの処方箋については次回以降に譲るとして、一つだけ宣言しておきたい。それは、

ポストコロナは地方にとってチャンスである

ということだ。
私は能登半島の七尾湾に浮かぶ能登島に住んでいる。進学と就職の一時期を除けばずっと過疎地に住んでいる。今回の新型コロナを乗り越えたとして、また同様の攻撃力のあるウイルスを向き合わなければならないときが来ないなんてことはあり得ない。たしかに新型コロナの影響は甚大だが、もしも先に首都直下型の大地震が起きていれば日本の混乱はこんなものではないはずだ。そういう意味では、コロナショックを、国内における過疎と過密の不均衡を是正し持続可能な国土形成をするための機会ととらえ、分散型で多様性を包摂した社会を作るための契機としなければならないのではないだろうか。

この議論を早い段階でスタートしておく必要がある。なぜならば、過疎地域は能登半島だけではないので日本中の地方が本当の意味で力を試される局面になり、まさに戦国時代の様相を呈するのではないかと考えられるからである。魅力的な地域には有能な人材や組織がちょうどいいぐらいボリュームで移動してくるはずだ(過密にならない程度に)。交流人口や関係人口というこれまでの表面的な言葉ではなく、多様な人材が多様なかかわり方のできる地方の構築が目指される。そのための戦略や戦術を準備していくことができる地域が生き残っていくはずだ。

そのためにまず必要なことは、ファクトに基づいて思考し冷静に議論することだ。誤解を恐れずに言うと、コロナの感染に対して、満員電車に乗りどこに行ってもたくさんの人がいる大都市と、一日に見かける初対面の人がほとんどいない過疎地域に住んでいる私たちが同じリスクをしょっているかの如く考えているようでは結局ポストコロナでも私たちは置いていかれる。過密な大都市にはできなくて過疎な地方にはできること、それをいち早く見つけることが重要だ。

例えば来年になれば本当に不安なく東京でオリンピックができるのだろうか?と考えたときに確実にYESとは言えないはずだ。ならば東京2020を日本2020に変えて日本中の地方で開催すればいい。どうせ外国ではTVで放映されるし、そもそも「新しい生活様式」とやらに準じれば東京の大規模競技場での開催にメリットはない。そんな妄想も含めて日本地図はコロナショックで書き換えられるのではないかと予想される。もしかしたら来年の今頃は何もなかったように元の経済活動に戻っているかもしれないが、それでも私たちの行動原理はアップデートされるはずだ。だからいまから準備しておこうぜという企画。

それが「ポストコロナの日本地図」だ。

医療や流通などコロナ危機の最前線で戦っている皆さんへの感謝を忘れずに、そして学校に行くことができずに不安を抱えている子どもたちの未来の光が失われないように、頑張って書いていくので、皆さんお楽しみに~

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