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前略 市長候補殿 二通目

はじめに

私がかつてリーダー論について学んだ時に一番印象的だったことについてまずは紹介したいとおもいます。愛なき者にそれが務まらないことはすでにのべました。それに加えてリーダーとして必要なものとして教養、経験、知識、コミュニケーション能力など様々なことがあります。こうした数多くの資質の中において特に重要なのは「実務力と構想力」だと私は思います。

行政組織を動かすことを通じて市民の幸福を実現するためにはこの両方が必要だということは論を待たないでしょう。しかしながら、希なる天賦の才を備えていない限りにおいてはこの両方を高度に備えた人間はおりません。つまり実務力と構想力はトレードオフの関係にあるということです。

なぜトレードオフの関係かといえば、それは実務力が現実と向き合い目の前の課題を乗り越える力であるのに対して、構想力は理想を示し広くそれを共有する力だからです。現実と理想は背中合わせなので常に矛盾をはらんでいます。したがってそれを同時に満たすという高度な能力を兼ね備えることは困難を極めるのです。言われてみれば当然のことなのですが、そのことを教わったときのことを私は鮮明に記憶しています。

実務力と構想力とは

実務力に長けたリーダーは主として内政を得意とします。行政組織は提供するサービスが多岐にわたるために組織全体としては守備範囲が広いものの、それを構成する部署や担当者の職務は縦割りによって守備範囲が狭いという構造になっています。また国、県、基礎自治体それぞれの分限も細かく規定されていて複雑で、さらには予算も事細かく積み上げていく必要があります。これらの要素を”踏まえて”組織運営をする場合には実務力が必要です。個人的な考えとしては、かつてのN市のように起債許可団体レベルまで財政が厳しい状況ににおいては”未来”を語る前に”現状”の改善が急務であり、実務力が求められました。実際にN市は現在は起債許可団体ではなく、この8年間に市債(借金)が大きく減り、基金(現預金)が増えたのはコストカットを可能とする実務力のなせる業であろうと思います。

一方で、産業振興や対外政策には構想力が必要になります。ビジョンを描き投資をすることが求められるからです。大別すると行政コストには義務的経費と投資的経費があります。義務的経費は人件費や借金の返済といった動かしがたいもの、投資的経費はインフラ整備や教育、産業振興に充てられるものと言って大きな間違いはないと思います。投資的経費といっても一般的な投資とは異なりほとんどが使い道の決まっている予算ではありますが、しかしこの中に含まれる教育や産業振興の分野での予算をどのように用いて何をするかについてはリーダーの構想力によって10年後に大きな違いとなって結果が表れてくるものと私は考えます。
さらに重要なこととして、条例や公共資産の活用によって民間の力を引き出すことが求められる局面において、前例にとらわれない発想と公民連携を可能とする行政側から民間への積極的なアプローチが必要になるでしょう。予算だけではなく枠組みの設定と資産の活用によってまちに活力を取り戻すことができるのは構想力のなせる業です。

どちらも必要なんだからどちらもやればいい。それは理想論というものです。最初に書いたようにこの二つの能力はある程度トレードオフの関係です。

つまり
実務力と構想力が必要だが、実務力か構想力のいずれかのみを強みとする。
これが人間というものではないでしょうか。どちらも持ち合わせていないのは論外といえるでしょう。

自身の特性に合ったマネジメントしかできない

おおむね組織全体はリーダーの特性に合わせて運営されていくものです。実務型のリーダーの場合は内政型、構想型のリーダーの場合は産業振興型の運営になるでしょう。しかしここは注意深く見なければなりません。なぜならば行政機関の場合、予算や業務の9割以上は誰がリーダーになってもやるべきこととして変わりませんので、一見するとほとんど同じように見えてしまうからです。

しかし、残りの1割に個性は現れます。(経常収支比率から言えば厳密には5%ほどかもしれません)この部分をどのような形で活用するか、あるいは将来に備えて温存する(借金の返済に充てることを含む)かによってまちの形が変わるということになるでしょう。ここにリーダーの個性が現れます。

こうしたリーダーの個性とまちが置かれている状況がマッチしたときに、まちは呼吸を始めると私は思います。

ここが大切だと私は思うのですが、実務力に長けたリーダーに構想力が必要な企画を求めたり、逆に構想力に長けたリーダーに実務力が必要な運営を求めたりするとおおむね不幸な結果を招くことになります。それはアクセルを踏むタイミングでブレーキを踏み、ブレーキを踏むべきタイミングでアクセルを踏むことと同じだからです。

自身の特性がマネジメントの枠組みを決める以上、そのどちらをお持ちなのか候補者は明らかにし、有権者はそれを見極める必要があるということです。

とするならば、N市にお住いの皆さんは、いまN市に必要なのは実務力なのか構想力なのかをあらかじめ見極めなければなりません。これは新型コロナの状況においては非常に困難を極める選択となるでしょう。なぜならば、新型コロナは今現在において市民の生活をむしばみつつ、将来の可能性を棄損するものであるからです。目の前のことを処理しつつ、未来を描くという高度なマネジメントを新型コロナは要求します。

それでも今必要なのは構想力だと考える

一通目の手紙に愛が必要だと書きました。実は愛が必要なのはリーダーだけではありません。自分のまちを愛して、ことの大小にかかわらず献身的に取り組むことができる人や事業所の数がそのままそのまちの可能性だと思います。かつてのように地域のコミュニティに力があったころは、郷土愛を醸成する装置がそこここにありましたが、残念ながら戦後とはその機能を弱める歴史でもありました。

したがって、現在においてまちのリーダーには市民の郷土愛を醸成するという役割があり、そのための言葉が今必要だと私は思います。構想といえば具体的な事業の組み合わせによって作られるものように思われるかもしれません。確かにそういう一面はあります。しかしそれだけが構想ではないと思います。いまN市に必要なのは過去から未来へと続く歴史の中で、この町に生まれてよかったと感じることができるような言葉です。その言葉は構想力によって引き出されるものではないでしょうか。

私が好きな海外ドラマにゲーム・オブ・スローンズというシリーズがあります(シーズン8まであって長いですが大変面白いのでご覧になってください)。その最終話においてある登場人物が次の王を決めるためにこう語ります。

「人々を団結させるのは軍隊か?金か?旗印か?、、、どれでもない、物語だ。良い物語ほど強いものは何もない。」

新聞報道を見ていると、N市の選挙は政局との関係づけられて話題となっているようです。政治と政局を切り離すことは出来ないのでやむを得ない面はあります。しかし、それだけでリーダーを選ぶのは不幸の始まりだと私は思います。

選挙は「地盤、看板、カバン」が重要と言われますが、それは先ほどの台詞の「軍隊、金、旗印」に相当するでしょう。しかしそれらはほとんどの市民の暮らしとは何の関係もないのです。大切なのは過去から未来へN市の物語を紡いでいくために先頭に立って不確実性と向き合うための構想にどれだけ共感を集めることができるかということではないでしょうか。

そんなことは選挙の勝敗に関係ない無意味なことだという批判が聞こえてきます。選挙の勝敗だけを見ればその通りでしょう。しかし、大切なことをないがしろにしてきたからこそ今の閉塞状況があるとは言えませんか?

一通目にも書きましたが、ここでもできることではなくここでしかできないことは何かについて考え、構想を練ってそれを物語として語ることが求められています。リーダーの語る物語(ストーリー)はやがてそのまちの(歴史)ヒストリーになります。そしてその歴史が市民の誇りを生み、まちは100年先まで守り伝えられていくはずです。

今般の選挙で様々な物語が語られ、結果として最上の物語を紡ぎだす構想力の持ち主がN市をリードしてくださることを祈ります。

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