真っ白なキャンバス
〖夏嵐〗
それは、夏に吹く南風のこと。
夏という単語から夏の季語だとわかるが
嵐といっても雨が降っているわけではないらしい。
日向坂46 金村美玖ちゃんが
言葉なしに
しなやかな踊りだけで伝えたかった事は何なのだろう。
それを私なりに考えていきたくなったので
noteに綴ります。
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MVが公開されたのは8月17日。
17日は中旬であるため、時候の挨拶で考えると
「晩夏の候」「立秋の候」
こう考えてみると、夏はもう終わりを告げて
日が沈む早さから秋がやってくると思わせられる。
ここ最近は日本全体が雨雲に覆われ、
雨の日が続いていた。
私は、少し肌寒く感じる日常に
あーもう秋がやってきてるなぁ…と寂しく感じていた。
そんなときに公開された、このMVには
キラキラした夏が描かれていた。
空の主役は自分だ!と
主張しているように浮かんでいる真っ白な入道雲
美玖ちゃんの
🔹ノースリーブ×◽️オーバーオール姿
夏休み
心は休めない
だってまだ
何も残せていないから
夏休み、閉まっている校門を飛び越える...
その姿から感じ取れるのは“やんちゃさ”
校門を飛び越えるなんてマンガの世界です、、
私からすれば(笑)
でもそれくらい、何もできていないのに
夏が勝手に去ろうとするから
心がざわついているのかもしれない。
映える白い肌がまたよくて。
普段は、焦げないような生活を送っている
のかもしれない
と想像を掻き立てられたりして。
空蝉を見てた
窓の外は青から徐々に赤へ
ひたすら小さくなった
夏の大きさに拒まれて
空蝉(うつせみ)…は、これまた夏の季語だそう。
蝉の抜け殻のようにこの世で生きている人間、とは
校門を飛び越えるようなやんちゃな自分ではなくて
制服を着て机に向かうまじめな自分
のことを言い表しているのだろうか。
このシーンでは、後者がふと窓に目を向けたとき
前者はさっとその視界に入らないよう後ずさっていた。
初見時はただただ
美玖ちゃんは、
映像のなかで生きているひとりの人
だと思っていたが、観るごとに気づきがあった。
ひとりの人の“内面”を表現しているのだとするならば
“夢をみる自分”と“生きる自分”
が映し出されているのかな。
夕立に
心を奪われた
それだけで今日は何もいらない
何もいらない=充分だ
(十分と充分もそれぞれに意味がありますよね。
私は充分で捉えました。)
夕暮れ迫る時間帯に何かグッとくるものがあれば
それだけで今日という日に満足できる
...ここのよい所は、落ちサビだということ。
サビの曲調だけれど「夏の大きさに拒まれて」から
スンと音が一瞬消えて、そのあと静かに「夕立に」と
入り、歌い上げられて、
最後のサビにつなげている。
私は「転調」がすきなんですが
敢えて転調せずに最後のサビを盛り上げているのも
悪くないなぁと1リスナーとして思いました。
夏はゆく
残り香は切なさ
吸い込んで
目を閉じた、今
最終的には夏は逝ってしまう。
次にやってくるのは“来年”の夏だから
もう今年の夏は二度とやってこない。
午後の蒸し暑さや、密かに削られたテレビサイズの
音楽、くだらないと記憶していたはずなのに
残った匂いは切なくて。(aメロより)
それらを吸い込んで
また来年の夏までさよならと。
暑そうな日差し
冷たいプールの中
自分が映像の世界にいるように温度を感じられるのは
今がもう
真夏じゃないからなのかもしれないな。
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「水色 美玖色 迂回路は迷路でぐるぐるカラフル
髪色 声色 私まだ真っ白キャンバス」
夏嵐のMVを通して
すこしだけ、美玖ちゃんの色が見えた気がしました。
これからも先もまた、楽しませてくれるに違いない。
MVのコメント欄を見ると心から思ったことは、
踊りで沢山の人の心を掴む美玖ちゃんは
すてきだってこと。
ジェニーハイさんへの感謝の気持ちを込めて
このnoteを書き終えます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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