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つづくよ、どこまでも

お日様が高くなって、日差しが強くなって、いよいよ夏が近づいてくると、線路を思い出す。年中電車に乗ってるのに、線路のことが気になるのは、暑い季節だけの気もする。

小学生の頃は、昭和のどこかのんびりした時代で、電車の通る線路沿いにはフェンスなどまだなかった。子供たちは線路の中に入っては、線路に耳を当てて「ゴトンゴトン、ゴトンゴトン」という電車の音を聞いたり、線路脇のドブでザリガニを釣ったり、トンボの幼虫であるヤゴを取ったりして毎日飽きずに遊んでた。

僕の家の前を走る京阪電車は、駅ひとつ分かふたつ分先くらいまで自分の知ってる世界だったけれど、みっつかよっつ以上離れるとそれは未知の世界で、その先に何があるのか見たい気持ちやワクワク感と、少し怖い気持ちが入り混じっていたのかなぁ。

で、友達と冒険に出る気分で線路を歩き出す。今ではあり得ないけれど、昔は割とみんな線路を歩いてたりした気がする。
スタンド・バイ・ミーなんて映画はまだ知らなかったから、男の子は本能的に線路を歩いてしまうのかも知れない。どうなんやろ。

ずっと遠くまで続いていると思っていた線路も、実は限りがあって、終点でさえも自分が行ける範囲になった頃、冒険や秘密基地なんかへの興味が薄れて、それと同時に社会や大人への疑問に気づくようになる。

なんて事は、線路の熱さを思い出したせいにして、人生の線路はどこにつながっているのかなどと、夏休みの宿題みたいなことを考えてる。

たぶん、自分で終点を決めなければ、人生の線路はどこまでも延びていくんだと思う。