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ほら、なんにも詰まってないから、身体の中で響くでしょう。

だれかのためのじぶんである必要なんて、ないのだけれども、じゃあじぶんのためのじぶんでいることが正しいのかって思うと、難しい気がしてしまいます。いつだってここにいるからね。いなくなることなんてないからね。振り子が往復するスピードが、じぶんが自分であることをおしえてくれる。時間はいつだってずっとながれていて、ながれているのにやさしさがなくて、なにも見えない。とおくで、織物を編むような機械のおとが聞こえる。リズムよくカシャン、カシャンと音を立てていて、そのリズムを、そのリズムだけに意識をあつめて、目を瞑る。ほら、なんにも詰まってないから、身体の中で響くでしょう。
あらがえない濁流のようなはげしさは、すこしずついきおいを増して、時間が流れていたなんてことを忘れさせてしまいます。だいたい夜なんて、悲観的になるようにつくられているんだから、こんなことなんの心配もいらないんだけど、ホワイトノイズのような、終わらない耳鳴りがするような静けさなんて、なによりもうるさくて敵わないんです。

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